第八話 デート
「こんにちは、寒くなりましたね」
「うん、今日から肉まん始めたんだ」
「あ、本当だ。もう冬なんですね」
夕暮れ、紅色の光が差し込んでくるコンビニ「ハッピーマート」
二人で夜遅く駅まで歩いたあの日から、
木之口は一日おきほどの割合で佐々木が働いている時間帯に
店にやってくるようになった。
清算が終わるまでの短い時間の間に交わされる言葉は
あたりさわりのないもので、店員と常連客の域を出ることはなかったが、
それでも木之口の表情は来る度に明るくなってきて、そしてある日、
「あれ、木之口さんその髪」
「……変ですか」
レジカウンターの前で恥ずかしそうに目を伏せる木之口の長い髪は、
すっきりと首元で束ねられていた。
「いや……すごく、いいよ」
綺麗だが、重そうな髪の毛が顔の両脇から消え多分、
木之口の綺麗な卵型の輪郭が露わになって、
可愛らしさが三割ほど増して見える。
「ありがとうございます、あの、これ下さい」
彼女が差し出したほっとココアに機械を当てている間も
佐々木の視線は木之口に釘づけだった。
バイトが終わって狭く散らかった部屋に帰ってきても
その面影がまぶたの裏にちらついて、ひとりベットの上でぽーっとしていると
携帯電話が鳴った。
液晶画面に記された名前は『木之口 繭』
鼓動が急に早くなる。嫌な予感と期待がまぜこぜになってなぜか震えだした
指先で通話ボタンを押す。
聞こえてきた声は遠慮がちではあったが、今まで聞いた中で
一番明るいものだった。
「あの、カットモデルの付き添いをお願いしたいんです」
「え、木之口さんがカットモデル?」
「はい、本当は友達が引き受けたんですけど、急に都合が悪くなって
髪質がよく似ている私が代わりになったんです。
でも、彼氏を同伴するのが条件で、こんなことを頼めるのは
佐々木さんしかいないんです。御迷惑でしょうけどお願いできませんか」
見えるわけでもないのに、佐々木は電話を耳にあてたまま激しく首を振った
「お、俺でよければ喜んで」
その答えに、電話の向こうからほっとする気配が伝わってくる。
「よかった、じゃあ次の日曜日、10時に隣町の駅で、よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ」
電話を切った後、佐々木は埃だらけの部屋の真ん中で何度も万歳をくりかえし、
当日まで眠れぬ日々をすごした。
※
「うーん、これは綺麗だけど重そうな黒髪だねえ」
日曜日、隣町にある洒落た美容室で木之口にエプロンカバーをかけながら、
若い美容師は言った。
「思い切ってバッサリ切って、少しだけヘアカラーをしてみようか。
せっかく可愛い顔をしているのに、隠れちゃっててもったいないから」
ひとしきりそう説明すると、美容師は後ろのソファに腰掛けた佐々木を振りかえる。
「彼氏さんも後で何とかしてあげるからね、ワカメみたいなその髪」
大きなお世話だ、と思ったが口に出せる性格ではない。
顔の傷を隠すために肩口まで伸ばした髪は、
確かに碌に手入れもしていないものだったので
結局佐々木は別の美容師の手によって、
木之口の隣に座らされることになった。
「どうしましょう、お連れ様と同じように
思いきって切ってしまいましょうか」
「そ、それだけは、やめてください」
顔が露わになれば傷痕が余計に目立つ。
結局多すぎる髪を半分ほどの量にすいてもらい、毛先を整えてもらったけで
見た目も大して変わらず、短時間で散髪は終了した。
「はい、終わりましたよ。綺麗になった彼女をよく見てあげてね、彼氏さん」
一足先に別室に設けられた待合場所に戻っていた佐々木は、美容師の後に
ついて現われた木之口の姿に目を丸くした。
綺麗だが重そうだった黒髪は首筋の辺りまで短くなり、ダークブラウンに
染められて、ゆるふわのウェーブまでつけられている。
それは髪を束ねていた時よりさらに露わになった綺麗な卵型の輪郭を
リボンのように縁取り、彼女の可愛さを引き立てるアクセントになっていた。
前髪も大分短くなって、その下に隠れていた黒目勝ちの大きな瞳に
じっと見つめられて、佐々木の心臓は全力疾走をした後のような状態だ。
「こんなに髪を短くしたのは久しぶりで……、佐々木さん、私
みっともなくないですか?」
淡いさくら色のルージュが塗られた唇が放たれた言葉に、
佐々木は全力で首を振った。
「すごく、綺麗になったね。びっくりした。うん、本当にびっくりしたよ」
「よかったね。さ、写真を撮るから並んでね」
美容師に促され、待合場所の片隅に設けられたスクリーンの前で
写真を撮ってカットモデルは終わった。後で選ばれた数組のカップルが
ティーンズ雑誌に載るらしい。
「はい、これは今日の謝礼と記念写真」
と手渡された写真を見て佐々木はがっくりとうなだれる
街ゆく人が振り返るような美少女になった木之口と並んでいるのは
まるで柳の下の幽霊のような、自分。
もう少しカッコいい顔に生まれていたら、いや、せめてこの傷痕さえなければ。
がっくりと肩を落とす佐々木の隣で、木之口は謝礼の入った封筒と写真を
大切そうにかばんの中にしまった。
「私、この写真ずっと大事にします」
笑顔でそう言われて、ほんの少しだけ心が軽くなった。
「付き合って下さってありがとうございました。
バイト代でお昼を奢りますよ」
「いいよ、俺も髪を切ってもらったから。
でもお昼はいこうか、ただし、割りかんで」
一瞬曇った木之口の顔がぱっと明るくなる。
「あ、……ここ」
とりあえず駅に戻ろうか、と歩いていると
木之口が小さなホテルの前で足を止めた
入口の前に小さく「ビストロ オーシャン」とかかれた
立て看板が出ている
「どうしたの?」
「ちょっと前に友達の間で話題になったんです。
お料理もおいしいけれど、デザートやスイーツが最高だって」
「そう、じゃあここ、はいろうか」
「え、で、でも高校生のお小遣いじゃちょっと……」
「いいから」
尻ごみする木之口を半ばひっぱるようにして
佐々木はホテルの中のレストランに入った。
昼も少しすぎたというのに、中は満員に近い。
「あれ、佐々木君じゃないの。可愛い子つれちゃって」
「こんにちは、柳さん」
オープン式の厨房の中から親しげにかけられた声に、
佐々木は軽く頭を下げる
隣で木之口が目を丸くした。
「二人ですけど、いいですか」
「うん、すぐに案内させるよ」
柳の言葉にすぐにフロアスタッフが二人の元にやってきて
席に案内する。
「あ、あの、佐々木さん今の人は」
「このレストランのオーナーシェフの柳さんだよ」
「え、えっとなんでそんな人と」
遠慮がちに問いかける木之下に佐々木はいたずらっぽい笑みを向けた
「このホテル、実はこの間木之口さんが会った久代小母さんがオーナーなんだ。
コンビニのバイトを始める前、ここで皿洗いをさせてもらっていた。
バイトはまず身近でやれって小母さんに言われてね」
「そうだったんですか」
ようやく納得がいったという風に、木之口は頷いた。
「だからさ、あの人がスナックをやっているのは半分道楽なんだよ。
働くのが大好きなんだ」
「お待ちどうさま」
オーナーシェフ自ら皿を手にやってきたのを見て、木之口がもう一度目を丸くする。
「ちょ、柳さん。これ高いほうのランチじゃないですか。
俺達そんなに懐は豊かじゃないですよ」
「気にしない、気にしない」
二人の目の前にそれぞれ皿を置いて、柳は軽く片眼をつぶった。
「暗い顔してうつむいているばっかりだった皿洗いのバイト君が、
こんな美人な彼女を連れてきたお祝い。サービスランチ以上のお代は
頂かないから大丈夫だよ。あ、せっかくだから後で新作のデザートも
味見していって。若いお嬢さんの意見をぜひ聞きたい」
手をひらひらとさせて厨房に戻っていく柳の後ろ姿に
佐々木はまったくもう、とため息をついた。
「相変わらず一言多いよ、柳さん」
「でも……すごくうれしいです」
と、綺麗に料理が盛り付けられた皿を笑顔で見つめる木之口。
「木之口さん、なんか変わったね」
「そうですか」
「うん、なんというか。明るくなった」
「多分、これのお陰だと思います」
大分すべらかさを取り戻した手がかばんから携帯電話を取り出す
液晶画面にしるされたのは、久代の店の電話番号だ。
「この電話番号をもらって、いつでもかけてきていいよと言われて
なんだかすごく安心したんです。私の事を気にかけてくれる人がいるって。
先生も、友達も私の腕の傷を見ているはずなのに、
誰も何も言ってくれなかったからママも……」
と木之口は少し悲しそうな顔で言葉を切る。
「私の事なんか、だれも気にしてくれないんだと思い込んでいたんです。
それに、友達の家の話を聞くと私の家とは全然違っていて、自分だけが
皆と違うんだと思い知らされて、なんだか透明なガラス瓶の中に
ずっと一人で座っているみたいでした」
「俺もそう例えられた、羽場先生に」
ポツリと佐々木は呟く。
「皆気になると思うんだよ、この顔の傷。でも中々面と向かっては尋ねてくれなくて、
理由を知ったら知ったで思い切りひかれるか、やたらと同情されるかだし。
まともな人間関係ってなんだっけと思っちゃうよな」
「でも、佐々木さんえらいです。ちゃんと働いているのだから」
木之口の真剣な表情に、佐々木は戸惑う。コンビニのレジバイトくらいで
えらいと言われたのは初めてだ。
「酷い体験をしたのに、それを乗り越えて生きている人がいる。
その人も私を気遣ってくれる。そう思ったら、私もいつまでも
過去を引きずっていないでがんばろう、て気持ちになったんです」
そう言ってもう一度淡い笑みを浮かべた彼女に、佐々木も笑い返した。
世界が急に明るくなった気がする。胸の中にゆっくりと、ほの温かい感情が
満ちてくる。
「よかったね。そんな気持ちになれて、本当に良かった」
「はい」
「今日は、お祝いだね」
「はい」
木之口は頷いてフォークをとった。
それからゆっくりと新作のデザートまで試食させてもらい、
二人が朝待ち合わせた駅前に戻ってきたのは、もう夕刻だった。
「今日は本当にありがとうございました、とても楽しかったです
お料理もおいしかったし」
改めて丁寧に礼を述べる木之口に
「こっちこそ、こんな楽しい休日は久しぶりだった」
とさっきまで彼女と繋いでいた右手をポケットに突っ込んで
佐々木は答えた。
まだほんわりと手の中に残るぬくもり、それを少しでも長く
留めておきたい。もしかしたら、これきりかもしれないのだから。
木之口が明るく元気になったなら、きっと自分より何倍も
明るく、格好のいい異性がいることに気づくだろう。
そう思うと少しだけ悲しくなった。
しかし
「あの、もしよかったらまた、こんな風に会ってもらえますか」
桜色の唇から零れた言葉に、佐々木は今日何度目かの
心臓がはね上がる心地がした。
まさにそれは自分が今何よりも聞きたかった言葉。
「お、おれでよければ、喜んで」
「ありがとうございます、じゃあ、また」
上ずった声で答えた佐々木にもう一度頭を下げて
木之口は改札口の中に入る。
その後ろ姿を佐々木は雑踏に消えるまで見送っていた。
コートの中でほの温かい右手を握り締めて。
続く