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砂の船  作者: 杜若
7/12

第七話 告白

「大丈夫?」

「ごめんなさい、こんな場所で泣きわめいてしまって」

「謝ることじゃないよ、良かったね泣く事が出来て」

佐々木の言葉に、木之口は首を傾げた。

二十一時を回ったスナック「ククル」。

ようやく泣きやんだ木之口と佐々木は、

こっちの方が落ち着いて話せるだろう、と久代に言われて

カウンターからボックス席に移動していた。

「泣いたって何にもならないじゃないか

と思うんだけど、『泣く』ことは心を癒す効果がある、

無駄じゃないってある人に教えられたんだ」

「それ、羽場先生でしょう」

「あたり。木之口さんにも言っていたかな」

こくりと頷いた彼女に、佐々木は続ける。

「俺の経験だけど、本当に苦しくて、悲しいときは泣けない。

感情がマヒして何も感じなくなるから。

気に障ったら謝るけれど、俺は木之口さんが

思い切り泣く姿を見てちょっと安心したんだ」

「あの、聞いてもいいですか」

意を決したような表情の木之口の問いに

今度は佐々木が首をかしげる。

「さっき、久代さんが言っていた事なんですけど……」

「ああ、この傷の事? 」

すっと佐々木が顔の傷痕を指でなぞる。

「楽しい話じゃないけれど、いいかな」

苦笑する佐々木に、木之口はもう一度頷いた。

「せめて甘いモノを飲みながら話しな」

とカウンターの中の久代がさりげなく

熱いレモネードを持ってきてくれた。

「俺は心中の生き残りなんだ」

マグカップの中で微かに揺れる透明なレモン色の液体を

見つめながら、佐々木は語りだす。

「母が信仰していた宗教団体に

父に内緒で全財産をこっそりお布施として寄付していたらしいんだ。

それに気づいた父が激怒して、ナタでめった打ちにしたらしい。

俺と、そして母を」

「そんな」

「そしてそのまま父親は首をつったらしい。運ばれた先の医者の腕が

良かったんだろうな、大怪我をしたけれど俺は助かったんだ」

語り続けるうちに、とっくに治ったはずの体中の傷がじくじくと

痛みだす。

「私より、私より佐々木さんの方がずっとひどい目に

あっているじゃないですか」

「そうかな」

レモネードを一口すすって佐々木はもう一度苦笑した。

「こういうことはどちらが酷いかなんて、比べる事じゃないと思うんだ。

それに俺は記憶がないから、多分木之口さんみたいに辛いことを

思い返す事がないだけ、楽かもしれない」

「記憶が……ない? 」

「うん、これが起こった時俺は十歳だったんだけど、全身に包帯を巻かれて

病院のベッドに横になっている記憶が、俺の思い出せる一番古いものなんだ。

それより前はいくら思い出そうとしても何も浮かんでこない」

「お父さんやお母さんの顔も、ですか」

佐々木は頷く。

「写真がかろうじて数枚残っているから、顔くらいは判るけど

後は全然。まあ、子供に余りかまわなかった人たちみたいだったから

思い出した所で、碌な物じゃないと思うけど」

「そんなこと、ありません」

きっぱりと言い切って木之口は強く首を振った

「ママにおぶわれた時のぬくもりとか、一緒に焼いたお菓子の甘さとか

パパが一回だけだけど、本当に一回だけだけど、肩車をして野原を

かけ回ってくれた時の風の心地よさとか、私だって

このくらいの楽しい記憶はあるんです。それがあるから、それを

思い出せるから、私は今日まで頑張れた」

マグカップを包んでいた佐々木の手に、すっと木之口の

荒れた指先が触れる。そのぬくもりと柔らかさに

身体の奥で心臓がとびはねた。

「痛かったでしょう、こんなに酷い傷痕が残ってるんだから

痛かったよね、辛かったよね」

そう言いながら、細い指先で木之口は何度も佐々木の右手の傷痕をなでる

その頬をまた光る粒が、いくつも伝っていた。

「大丈夫だよ」

答えながら、佐々木は胸の奥の方からゆっくりと暖かいモノが満ちてきて

眼がしらが熱くなるのを感じていた。

「今はもう、痛くないから」

言ったとたんに、今まで感じていたじくじくとした傷の痛みが消える

「それよりも俺は、木之口さんの方が心配だよ」

今度は佐々木の指先が、木之口の手の甲にそっとふれる。

「こんなに荒れて、痛いよね。手首だって、痛いよね。

もうやめようよ、こんなこと。見ていて辛いよ」

「……はい」

手を触れ合わせたまま木之口は頷く。

「よかった」

ほっとしたような笑みを浮かべた佐々木の眦から

涙が一粒転がり落ちた。


          ※


「じゃあ、きちんと繭ちゃんを駅まで送っていくんだよ。兵ちゃん」

「判っているよ、おばさん」

「あの、本当にすいませんでした。私の為にお店まで休みにしてもらって」

深く頭を下げた木之口に、久代は気にすることはないよと手を振った。

「それより電話番号の書いた紙はしっかりもったね、何かあったら遠慮なく

かけるんだよ。早朝でも、深夜でも」

「はい」

頷いた木之口の両肩をもう一度優しく叩いて、

久代は二人を店から送り出してくれた。

時刻は午後十一時、もうすぐ終電の時刻。

「本当にかえって大丈夫なの?」

心配そうに問いかける佐々木に、木之口は頷く。

「本当に、今は何もないんです。それに私、パパとママが待っている家しか

帰る場所がないから」

「そうだね」

自分で自分が養えるようになるまで、子供は親の元にいるしかない。

星もまばらな今夜は、道沿いに並んだ家から漏れる光が

よりまぶしく、暖かそうに見えた。

 でも、安全であるはずの家の中、暖かいはずの光の下で

恐怖と苦痛と悲しみに涙している子供達がいる。

家族神話がいまだ根強くはびこるこの国では、

子供達の悲しい顔、悲痛な声は見えぬ聞こえぬふりをされ、

最悪の結末を迎えてしまう事が多い。

「私、夜道を歩くのが好きです、悲しいけれど」

独り言のように木之口が喋り出した。

「家から漏れてくる光が綺麗で、暖かそうで

いつまでも見ていたい。私の家も外から見れば

暖かそうな光が洩れてる。このまま家に入りたくないと

何時間も近所をぐるぐるまわっていた事があるんです」

「俺は今でも真っ暗な家に帰るのがいやで、わざと遠回りして

明かりをたっぷりみて帰る時がよくあるよ」

世の中で、最も自分を愛しんでもらえるはずの人達に

体を傷つけられた者、そして心を傷つけられた者

癒えたはずの傷、見えぬ傷は今も痛みを伴って

見えぬ血を流しながら、心と体を歪ませる。

佐々木の手がおずおずと木之口の方に伸ばされた

酷い傷痕がのこるその手を、ガサガサに荒れた手が

そっと握った。

「似てますね、私達」

「うん」

それきり二人はだまったまま、暖かい光が並ぶ道を

駅に向かって歩いた。



続く

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