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砂の船  作者: 杜若
5/12

第五話 疑問

佐々木が三度木之口と出逢ったのは、さらにそれから5日後の昼下がり。

バイトは休みで予備校の授業も午前中に終わり、今にも雨が降り出しそうな

重苦しい雲に覆われた空の下、風の冷たさも手伝って佐々木は足早に

家路をたどっていた。

 途中近道をしようとビルとビルの間の細い路地に入る、と

「やめてください」

 抵抗というには小さすぎる声が聞こえた。

 古いビルとビルの隙間にできた小さな駐車場。

 そこの止められたバンの影に見覚えのある黒髪と制服の後ろ姿が

引きずられていく。 

「やめてください」

もう一度か細い悲鳴が上がる。

周囲に人影はない。

考えるより先に身体が動いていた。

「何をしているんだ」

男にしては甲高い、つまりちっとも迫力のない声を精いっぱい張り上げながら

バンの陰に回ると、泣きそうな顔の木之口と

その手首をつかんで下卑た笑いを浮かべる

三人の柄の悪い男達がいた。

「さ、佐々木さん」

「ああ、何だてめえは」

さっきよりもずっと大きな声で名前を呼びながら、

あいている方の手を精いっぱい伸ばす木之口と

上目づかいにこちらを睨みながら肩を前方に突き出して

じりじりと近寄って来る男達。

「き、木之口さんを離せ」

背中を冷たい汗が伝うのを感じながら、

佐々木は駐車場のしきりに使われている黄色と黒の

コーンバーを握り締め、青眼に構えた。

これでも高校卒業まで剣道部に所属していて

、三段の段位を持っている。もっともこの1年は

全く練習していないが。

「おい、やる気だぜこいつ」

男性にしては小柄でしかもバーを握る手が細かく震えている佐々木の姿に、

男達が馬鹿にしたような笑みを浮かべる

――先手必勝――

相手は嫌がる女の子を車の影に連れ込むような輩だ。

木之口の手を握った男の喉元を狙ってバーをつきだす。

「ぐふう」

あやまたずそこを強打された男は、短いうめき声を上げて地面に崩れ落ちた。

剣道では絶対に狙ってはいけないと言われる急所の一つだが、

今はそんな事は言っていられない。

「木之口さん、こっちにきて早く」

叫んだとたん、右のこめかみに激痛が走り視界が真っ赤に染まる。

急速に低くなる視界の端に、同じようにコーンバーを構えた残りの男達の姿が見えた。

「てめえ」

「やってくれたな」

男達は口々にわめきながら、地面にうつぶせに倒れた佐々木の背中を容赦ない力で

蹴りつける。立ち上がる暇もないほどの連続した衝撃と痛みに気が遠くなった。

「佐々木さん、佐々木さん」

泣きそうな声が微かに聞こえる、ああ、俺ってなんて格好が悪いんだろう。と

ぼんやりと思った直後、耳をつんざくほどのボリュームでアラームが鳴り響いた。

「やべ」

「逃げろ」

慌てた声と遠ざかる複数の足音。静寂が戻ってからも、佐々木はしばらく痛みの為に

起き上がることが出来なかった。

「佐々木さん、しっかりして、佐々木さん」

何度もかけられた声にやっとのろのろと身を起こすと、

清算機の非常ボタンに指をあてたまま、がたがたと震え続ける木之口の姿が見えた。

「……木之口さん、け、怪我はない?」

こくこくと頷く彼女に佐々木はよかったと笑いかけたとたん、こめかみと背中に

酷い痛みが奔る。

「で、でも佐々木さんが、佐々木さんが怪我してる」

身体と同じように震える声で言ったとたん、木之口の両目から涙が零れおちた。


                 ※

「2週間前とは立場が正反対だな。珍しいぞ、こういう例は」

と佐々木の頭と背中の傷を診ながら、小鉢医師は苦笑交じりに言った。

坪内総合病院救急救命センター。

大丈夫だよと言い続ける佐々木に、木之口は絶対に駄目ですと言い続け

ついに救急車を呼びますと携帯電話を取り出した。

「そ、そんな大事にしないで、わかった。病院には行くから」

その態度に佐々木は慌ててたまたま通りかかったタクシーを留め

最も行き慣れた病院に運んでもらった、というわけである。

「本来ならこんな軽傷は整形のじいさんに任すんだが、君は運がいい

ちょうどここに誰も患者がいなかった」

と軽口を叩きながら包帯と消毒薬を持ってきたまだ若い医者を

「おいおい、じいさんじゃなくて水地みずち先生といいなさい。

高齢なのは事実だが、少なくともインターンの片君よりは腕がいい」

小鉢医師がたしなめる。

「あ、あのすいません。大した怪我じゃないのに無理に

診てもらったみたいで」

「いや、片君の言う事なら気にするな。本当にインターンにしては

腕がいいんだが口が悪すぎてね。それに頭の怪我は軽傷でも

甘く見ない方がいい。血の巡りがいいから傷口の割には出血が多くなるし

頭蓋骨は無事でも中身が損傷している場合もある。それにここは

今すぐに迅速な処置が必要な人が来る所だから、君はまさにそれなんだよ

はい、これでいいだろう。吐き気や物が二重に見えるなどの症状はないかな」

「は、はい。ありません」

応えた佐々木に小鉢医師は頷いた。

「背中の打僕は2,3日痛みが残るだろうが、後はきれいに治るよ

念のために1時間、隣の部屋で休んでいきなさい」

看護師に促されて佐々木は隣の部屋に移る。

「そ、そういえば木之口さんは」

「君の彼女か? だったら化粧室で手を洗っていたよ」

別のベッドの患者の様子を見ていた片医師の言葉に、佐々木はえっと思った。

たしか病院について診察室に案内される時、彼女は手を洗ってきますと

化粧室の中に消えた。それからたっぷり30分はたっている。

「佐々木さん、大丈夫ですか」

と小さな声と共にそろそろと扉が開いて木之口が顔を出した。

「う、うん。大したことないけれど念のために1時間くらい休んで

いけって」

「よかった」

ほっと安堵したように木之口は笑みを見せた。

それが大層可愛らしくて、佐々木は胸の奥が熱くなる。

「よかったらそばでお話ししたら」

看護師にうながされて木之口はおずおずと

佐々木の腰かけているベッドまでやってきた。

気をきかせてくれたつもりなのか、カーテンまでぐるりと閉められてしまう。

僅か布一枚のしきりとはいえ、閉ざされた空間に二人きりになった。

「あの、よかったらすわってよ」

「どうして助けてくれたの」

「え?」

「こんな怪我までして、痛かったでしょう」

「だってあのままだったらどうなっていたか……

放っておけないよ」

「私なんて、私なんてそんな価値がないのに」

しぼりだすようにそう言って、木之口は両手で顔を覆う。

その手はガサガサに荒れていて、所々ひび割れさえできていた。

冬場、お湯で沢山の洗い物をした久代小母さんが同じような手を

していたことを佐々木は思い出した。

「まさか、ずっと手を洗っていたの」

かすかに木之口は頷いた。

「……リストカットの後といい、どうして君は

そんなに自分を自分でいじめるんだ」

「汚いから……私は汚くて、生きている価値もなくて

……だから、罰を与えなくちゃいけないの」

「なんで……」

そんな風に思うんだ、と佐々木が続けようとした時

場違いに明るい音楽が響き渡った。

「わ、ちょ、ちょっと」

慌ててズボンのポケットから携帯電話を取り出す。

耳に当てると、タバコの吸い過ぎでハスキーになった艶を含んだ声が

飛び込んできた。

「兵ちゃん、怪我したんだって。大丈夫かい」

「小母さん、なんでそのことを」

「羽場先生が電話をくれたんだよ」

「……」

どうやらこの病院にかかっている限り、彼女の地獄耳からは

のがれられそうにない。

「うん、大丈夫。1時間くらい様子を見て何もないなら帰っていいと言われてる」

「そうかい、じゃあ夕飯を作っておくから店においで」

「あ、で、でも今は」

「この間のファストフードの店でデートした彼女をかばって怪我したんだろう

一緒にいるならつれてきな。一人も二人も作る手間にかわりゃしないよ」

……あの医師はなんでこんなことまで喋ったんだろう。

内心で深く深くため息をついて佐々木は電話を切った。

「あの」

「うん、知り合いから。夕飯作ったから帰りに寄れって

木之口さんの分も作るっていうから……よかったらおいでよ」

「え、で、でも」

「もしかして門限が厳しいの?」

勢い良く首を振った木之口に、佐々木は思い切って告げる

「じゃあ、つきあってよ。なんだか今の君を一人にしておけない」

言ってしまってから気恥ずかしさに顔が熱くなった。

でもどうして、こんなに彼女の事が気にかかるんだろう。

断られたらどうしようかと思ったが、しばらくの沈黙の後

木之口は小さくうなずいた。


続く



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