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砂の船  作者: 杜若
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第二話 病院にて

「そうか、佐々木君だったのか。彼女を連れてきてくれたのは」

救急車が彼女を搬送したのは、この街では一番の規模の坪内総合病院。

自分のかかりつけ医でもある羽生ういば医師の言葉に、佐々木は

「どうですか、彼女の具合は」

とたずね返した。やや長めの半分白髪の髪が縁取った、細面の神経質そうな顔とは裏腹に

ざっくばらんで人懐こいこの医師は、佐々木が顔をあげて会話ができる数少ない相手だ。

「うん、いま救急救命の小鉢こばち先生が診ているけど、多分、大丈夫だよ」

「そうですか、よかった」

佐々木が胸をなでおろした時、羽生医師の背後の個室の扉が開いて、青い手術着の上に

白衣を羽織った外国人のように彫りの深い顔立ちの医師が出てきた。

「バイタルも血圧も問題ない。おそらくパニックで過呼吸発作を起こしたんだろう

現場の処置がよかったから大事にならないで済んだ。羽生先生、後は先生の領分ですね」

「だそうだ、よかったな佐々木君。君のお手柄だ」

「お、君が処置してくれたのか。ありがとう。しかし羽生先生どうして彼の名前を」

羽生医師は苦笑しながら佐々木に問いかけるような視線を向けた。

「あ、あの実は俺、羽生医師の患者なんです。

その、お、俺も時々過呼吸を起こすからそ、それで」

クリーム色のリノリウムの床を見つめながら、つっかえつっかえ説明する

佐々木の頭上でふむ、とうなずく声が聞こえた。

「なるほど、それで迅速な措置ができたんだな。しかし、佐々木君だったか。怒られて

いるならともかく、褒めているんだから顔くらいあげてくれよ」

「すいません」

消え入りそうな声であやまりながら、佐々木はそれでも床から目を上げることができない。

自分の顔を見た小鉢医師がどんな顔をするか、想像しただけでこの場から逃げ出したい気分になる。

「あんまり無理強いしないでくれ、小鉢先生。彼も色々抱えてるんだ」

と羽生医師が助け船を出した時、

「羽生先生、木之口さんが目を覚ましました」

再び開いた病室の入り口から顔だけ出した看護師が告げた。

「お、気が付いたか。じゃあちょっと診てくるかな。佐々木君、彼女が気を失ったのは

救急車に乗る前、乗った後?」

「乗った、後です」

「わかった、ありがとう」

頷いて羽生医師が病室に姿を消すと、じゃあ俺もこれでと小鉢医師も去って行った。

俺も帰ろうと佐々木は手に持っていたダウンジャケットを羽織る。

救急車が到着した時女の子の知り合いはいないかと呼びかけたのだが、答えるものはなく

しかたなく同乗して、病院で倒れた時の状況などを事細かく説明したのだが、

どうやらもう役目は終わったようだ。

なんにせよ大したことがなくてよかった。安堵のため息をついて立ち去ろうとしたその時

「佐々木君。木之口さん、ああ、君が助けた患者さんがお礼を言いたいそうだ」

羽生医師の言葉が、佐々木の足をとめた。

                      

「あの、みっともないところを助けていただいて、ありがとうございました」

ベッドの上で上半身を起こした女の子、

木之口は小さな声でお礼を言って深々と頭を下げた。

「別に謝ることはないと思うぜ、病気なんだから。みっともなくもないし」

ぶっきらぼうな佐々木の答えに、びくりと木之口の体がこわばる。

それを見て、ああなんで俺はこんな言い方しかできないんだろうと

佐々木は頭を抱えたくなった。

同じ年頃の女の子と話すなんて恐ろしく久しぶりで、

意識すればするほど緊張してますます不機嫌極まりないような話し方になってしまう。

「佐々木君の言うとおりだよ。過呼吸発作は立派な病気の症状のなんだから

みっともないなんて思う必要はない。今日は念のために病院に一泊していきなさい。

今御両親にも連絡したからすぐにきてくれるよ」

御両親と羽生医師が言ったとき、長い前髪で半ば隠された木之口の表情が

はっきりとこわばるのを見て、佐々木はおやと思った。

「また、心配させちゃうわ」

棒読みのような木之口の言い方に、ますます違和感が増す。

あまり両親と仲が良くないのかな、と思ったが

口に出すことでもないので佐々木は黙っていた。

「えっと、じゃあ俺はこれで」

これ以上話すことは何もないだろうと思って佐々木がそう言うと

「あの、もうちょっといいですか、多分、両親もお礼を言いたいと思うんです」

相変わらず白い上布団に視線を落したまま、木之口が引きとめた。

「あ、ああかまわないけど」

「うん、じゃあ御両親が来たらナースコールを押してくれる?

私からも病状を説明したいから」

と言って羽生医師が立ち去ってしまうと、

残された二人の間には重苦しい沈黙だけが残った。

なにか会話をしていた方がいいと思うのだが、

浮かんでくるのはコンビニの接客マニュアルの言葉ばかりで、

結果佐々木は床を、木之口は布団を見つめたまま時間だけが過ぎていく。

「繭ちゃん、大丈夫。倒れたって聞いてびっくりしたわ」

だから慌てた声とともに中年のきちんとした身なりの男女が部屋に入ってきたとき

佐々木は心底ほっとした。

「大丈夫よ、ママ。そこの、ええと」

「佐々木、です」

「佐々木んが救急車を呼んでくれたから」

「そうなんですか、ありがとうございました」

多分よほど心配していたのだろう、型どおりの例を述べて母親は再び

娘に向き直り、父親らしい男性の方も無言で頭を下げただけで、娘の枕元に近寄る。

今度こそ本当に退場時間だ。

顔をじろじろ見られなくてよかったという安ど感と一緒に

佐々木がそっと扉に手をかけた時

つんざくような木之口の悲鳴が部屋に響き渡った。

「ど、どうしたの繭ちゃん」

「こないで、こないでいやああああ」

「落ち着きなさい、繭。お母さんだよ」

両親の呼びかけにもかかわらずベッドの上で激しく

木之口は体をよじって悲鳴を上げ続ける。

「先生、羽生先生。すぐ来てください」

廊下で張り上げた佐々木の大声に、すぐに白衣姿が走ってきた。

「発作だな、佐々木君悪いけどそのハンドタオルかして」

木之口の姿を一瞥して羽生医師は佐々木の手から、

先ほどからかれが手持無沙汰にもてあそんでいたハンドタオルをむしり取った。

その勢いで廊下にでてしまった佐々木の鼻先でぴしゃりと扉がしめられる。

中からかすかに聞こえる悲鳴と、落ち着いてとなだめる医師の声に

胸が重くなるような思いを抱えながら、佐々木はゆっくりと歩き出した。

同じ発作を抱えた同じ年ごろの木之口のことを気の毒だとは思ったが

彼女とはほんの一瞬だけ手を触れあっただけの関係。

次回会うことがあったとしてもそれはコンビニの客と店員としてだろう。

そんな木之口にこれ以上自分ができることは何も、なかった


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