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砂の船  作者: 杜若
11/12

第十一話 このままでいたい

固い足音をたてながらやってくる男を、

佐々木は緊張で強張った顔で迎えた。

夜も大分更けた坪内総合病院救急救命センター待合室。

いいかい、相手は人に対して平気で手を上げるような男だ

絶対に人の目のある場所で話すんだよ。

脳裏にこだまする久代の言葉。

「繭に会わせてもらえないと妻から聞いたんだが」

喋りながら、男の薄い唇の端がピリピリと神経質に震えている。

「はい。本人も望んでいませんし、俺も許さない」

腹の底に力を籠め、両足を踏ん張って佐々木は頭一つ分高い

男を睨みつける。

震えていた男の唇の端が、笑いの形に歪んだ。

「君に何の権限があってそんな事を言うんだ。

私は繭の親だ。あの子に会う権利も、行動を決める権利もある」

「木之口さん、いや、繭はもうあんたの子供じゃない」

その言葉に、男の眉が顰まる。

「どういうことだね」

「俺の、妻だ」

酷い傷痕の残る手が、男の眼前に一枚の書類をつきだす。

必要事項が全て記入され、捺印、受理済みの婚姻届。

「なんだ、これは」

男の怒声が待合室一杯に響き渡った。

身なりが整っている分、それは酷く奇異な光景で

ソファに座っていた数組の患者の家族が一斉に二人の方を見る。

「大きな声をださないでおくれ」

その中で声をかけたのは、そろそろ老いが始まっているとはいえ

口元や、仕草に匂うような色気が漂う女性だった。

「皆の迷惑だよ」

「こいつが、こいつが悪いんだ。

こんなものを見せて俺を怒らせる、こいつが悪い」

幼児じみた言いわけをする男に、女性ーー久代はため息をつく。

「怒らせてなんかいないよ。兵ちゃんは事実を告げたんだ」

「繭は、繭はまだ17だぞ。子供なんだ、それを結婚だと、

ふざけるな、誰が認めるか」

「別にあんたに認めてもらおうなんて思ってない」

と佐々木は言った。

「女性は16歳から結婚できるんだ」

「未成年の結婚は親の許可がいるはずだ。私も、妻も

こんなふざけた物に許可を出すはずがない」

「確かにいるよ、親の許可はね」

と久代が口を挟んだ。

「でもね、両方の親の許可が必要だなんて、

法律のどこにも書いていないんだよ

本人達に固い意志があって、どちらか片方の親が許可すれば、

未成年同士でも結婚は成立する。

結婚した以上もう未成年じゃないからね。

親の言う事に従う義務はないんだよ」

「じゃあ、こいつの親が許可をしたのか。どこのどいつだ、

こんなばかげた結婚を許したのは」

「私だよ」

間髪いれずに、久代は答える。

「繭ちゃんあんたらみたいな親の皮をかぶった獣と離れるには

それしか方法がなかったからね」

獣と言う言葉に、男の血走った両目が限界まで見開かれた。

にぎりしめた拳がぶるぶると震えている。

「獣、獣だと」

「ああそうだよ、実の娘に欲望を抑えられない男は獣以外の

何ものでもないだろう」

「お、お前らは、お前らは繭の虚言を本気にしたんだな。

あの子は息を吐くように嘘をつく、厄介な子なんだ。

今回もこうやって皆の注目を集めようとあんなことをして」

「やれやれ」

久代は大げさにため息をついた。

「言う事に事欠いて、ついに繭ちゃんをうそつき呼ばわりとは

本当に救われない、薄汚い男だね」

「これ以上木之口さんを侮辱するな」

怒りにも、讒言にも全く動じない佐々木に

男の顔から滝のように汗が滴り落ち、きょろきょろと

落ち着きなく目が周囲を見回す。

「と、とりあえず今日は繭と合わせてほしいんだ。

お、親として話しておきたい事もあるし。そ、それに

証拠がないだろう、証拠が、私がその、実の娘に

何かをしたと言う証拠が」

「……ここに運ばれてきた時の診察で

木之口さんの体内からあんたの体液が見つかったんだよ」

「嘘だ、俺はあの時避妊具をつかっていたんだ、体液が残るはずがない」

佐々木の言葉に叫び返した男は、そこではっとしたように

口をつぐんだ。

「聞いたね、小田島さん。先生」

「はい」

久代の言葉に促されるように、待合室のすぐわきにある診察室の扉があき

ソーシャルワーカーの小田島と、羽場医師が姿を現す。

「申し訳ありませんが木之口さん、今の言葉を聞く限り

貴方とお嬢さんを会わせるわけにはいきません」

「別室に児童相談所の職員がおります、どうかそこで

もう一度詳しいお話を聞かせてください」

白衣をはおった二人の言葉に、男の全身が大きく震えた。

「いきましょう」

その肩を小田島がそっと叩いた瞬間、男が佐々木に掴みかかった。

「繭は俺のモノだ、心から身体から全て俺のモノだ、

誰にもやるものか、俺は親だ、親なんだから、当然の権利だ」

「兵ちゃん」

「佐々木君」

悲鳴が上がる中、男は佐々木の襟首をつかもうとして、そして

逆に腕を背中にねじり上げられる。

「ふざけるな」

痛みに顔をゆがめる男の耳元で、佐々木は押し殺した声で告げた。

「木之口さんはあんたのモノじゃない。一人の独立した人間だ。

これ以上薄汚い口を開くなら、俺はこの場であんたを絞め殺す」

佐々木の左手が男の首にまわされ、ねじり上げた手をつかむ手に

力がこもった。

男がこれ以上ないほどの、情けない声で悲鳴を上げ

助けてくれと哀願する。

「もうやめな、兵ちゃん」

佐々木の腕を、久代がそっとはずす。

そのまま床にへなへなと崩れ落ちた男を、小田島が抱えるように

何処かに連れて行った。

「あんな男、兵ちゃんが手を汚す価値なんかないよ」

「なんで……」

コンクリートの壁を激しくたたいて、佐々木は呻く。

「なんで、あんな男が、あんな男が親なんだ」

その問いに答えられる大人はこの場に誰もいない。

ただ、痛ましげな表情を全力で恋人を守り抜いた青年に向けるだけだ。

「佐々木君」

長い長い沈黙の後、ようやく羽場医師が口を開いた。

「こんなことを言っても何の慰めにもならないかもしれないが、

親の元で過ごす時よりも、その後の、伴侶と過ごす時間の方が

人はずっと長いんだよ。木之口さんの酷過ぎる半生の記憶は

素晴らしい伴侶である君がきっと癒せると、私は信じている」

「……その時間が、彼女に残されていたら。俺は全力を尽くします」

暗い表情で答えて、足を引きずりながらICUの中に入っていく

佐々木に、今度こそ誰も、何の言葉もかけることができなかった


           ※


「木之口さん、具合どう?」

「うん……、大丈夫。ありがとう」

ICUの中でも隔離された個室でベッドに横たわっていた木之口は

佐々木に笑顔を向けたが、その青すぎる顔色と

荒い息が彼女の言葉が嘘であることを無言で告げていた。

「パパは……」

「もう来ない、お母さんもそうだよ。

だから安心してゆっくり体を治して木之口さん」

「ありがとう、私酷い子供だね。親が来ないことがこんなにうれしいと思うなんて」

「ちがうよ」

ベッドサイドの椅子に腰かけて、木之口の顔を覗き込みながら

佐々木はゆっくりと首を振る。

「木之口さんの思いは当然だよ。お願いだから自分をこれ以上責めないで」

「あのね」

「なに?」

「私の事、名字で呼ばないで。結婚したんでしょう、だから名前を読んで」

「い、いや。こ、これは木之口さんから両親を引き離す、緊急的措置で

ちゃ、ちゃんと後で理由があれば取り消せるって小母さんが……」

慌てる佐々木の顔を木之口はじっと見つめる。

「だめですか」

「え、えっと」

「このままじゃ、駄目ですか」

荒い呼吸の下、木之口は声を振り絞る。

「私は、兵衛さんの妻でいたいです」

「ま、繭」

まだどこかぎこちなく、しかし大切そうに佐々木は妻となった人の

名前を呼んだ。

「俺も、俺もこのままで、いや、このままがいい」

「はい」

目に涙をためて、だがこの上なく幸せそうな笑みを浮かべる

木之口の唇に、佐々木は初めて自分のそれをそっと重ねた。



続く


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