表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂の船  作者: 杜若
1/12

第一話 出会い


「佐々木はん、コレも張っといてくんなはれ」

目の前にどさり、と置かれたチラシにため息をつきながら

「はーい」

と佐々木は店長の半井に返答した

A5サイズの薄っぺらな紙には

1リットルサイズの牛乳パックに顔と手足が

つけられた絵が

「さあ、良い子のみんな牛乳を飲もう」

と叫んでいる。

「ミル君」と言うらしいこのキャラは、佐々木がバイトをしている

コンビニ「ハッピーストア」の親会社である大手乳製品会社の

販売促進用キャラらしいが、いくらゆるキャラ、擬人化流行りの

今日こんにちであっても、あまりに安直だ。

「……おれだったらもっとましなものを作るなあ」

と呟きつつも、佐々木はノロノロと表のガラスにチラシを張る作業を開始した。

秋も大分深まってきて、冷たい風が街路樹にこびりついた枯葉を揺らしている。

それを見ながらそろそろおでんの季節だなあと考え、

苦笑が浮かんだ。

仮にも自分は浪人生の身の上だ。普通だったらこの時期は受験の追い込みであり

そのことで頭がいっぱいになるはずなのに、なんで真っ先に思い浮かぶのが

気分転換と収入手段を兼ねたコンビニのことなのだろう。

「1年働いているうちになじんじゃったのかな、俺」

独り言は、いつ始めたのか覚えてないほど幼いころからの癖だ。

いくら記憶をひっかきまわしても背中しか思い出せない両親は、

多分、自分のことなどほとんど関心がなかったのだろう。

自分で自分に話しかけてやらなければ、くうに溶けて消えてしまいそうな

不安感が常に心の中にあった。

どんなに小さくとも確実に耳に届いてはいただろうに、ついに一度も両親は

その独り言に一度も応えることなく、

ある日突然二人してついていけないところに旅立ってしまった。

無責任、となじりたい気持ちもあるが、一方であの両親らしい、

ともため息混じりに思うこともある。

「これ、終ったら上がってくれてかまへんでえ」

「はーい」

仕事が終るのはほっとする、だがそれだけだ。この後の予定は特に無い。

冷えきった部屋に帰って、パソコンを見ながら出来合いの夕食を食べるだけ。

昨日も一昨日もそうだった。そしてこれからも多分ずっとそうだろう。

参考書は一週間前から開いていない。予備校の授業は出ているが内容は右から左だ。

「俺、大学に行って何したいんだろう」

張り残したチラシを片付けながら、佐々木は又呟く。

特にやりたいことがあるわけでもない。ただ、両親がある程度資産を残してくれたので

周りに合わせてなんとなく受験をしてみて、落ちた。

そしてまた、なんとなく浪人生活を送ってみてはいるものの、

大学生活にも、その先に続く人生にも何の期待も見出せなかった。

どうせ、これまでとおなじことが繰り返されるだけだろう。

両頬と右手、さらに服を脱げば胸と背中についた大きな傷跡に向けられる視線。

遠慮がちに、しかし「怖いもの見たさ」という名の好奇心が見え隠れする問いかけ。

真実を話せば、同情と哀れみがたっぷり詰まった言葉が一度だけかけられる。

言葉を濁せば、可能な限り猟奇的に捏造された噂話がひそひそと、自分以外の耳から耳へと囁かれる。

そして、どんな場所でも遠巻きに見つめられるだけで、ずっと一人ぼっち。

いつからか、生身の人間がたまらなく怖くなった。

と、同時にこの傷をつけられたときに自分の人生は終ったのだと思うようにもなった。

狭いコンビニの、さらに狭いレジカウンターの中で必要最低限の会話を交わし、

機械を操作して、給与を得る。それは自分に一番合った生き方かもしれない。

たまに襲ってくる寂しさは、携帯やパソコンの液晶画面の中の文字のやり取りで解消できる。

恋愛は、平面世界の美少女達との擬似行為で十分だった。

「……あの、レジお願いします」

か細い声に佐々木は我にかえった。長いだけの癖のある髪の間から上目遣いに見上げれば、

この辺りでは有名な隣の市の名門女子高の制服を着た女の子が立っている。

今時珍しい背中までの長さのある髪は、佐々木と違って手入れが行き届いているものの

真っ黒で、重そうな印象を与える。前髪も目の上ぎりぎりまで伸びていて、

女の子の表情をひどく判りづらいものにしていた。

普通なら溌剌さが、はちきれそうに詰まっている年齢なのに、

まるでもう人生に疲れきってしまったような影が顔にこびりついている

悪い意味で目立つその女の子は、週に2,3回来る常連さんだ。

「すいません」

独り言と同じように口の中でもごもごと呟いて

佐々木はレジの前に立ち、差し出された飲み物に機械を当てる。

レジに表示された金額を、女の子はさりげなくブランド名が入ったチェックの財布から取り出して

トレーに乗せた。と、その時にコートの袖口が少しめくれ上がり白い手首と、そこにはしる

無数の赤黒い傷跡が見えた。佐々木の手が一瞬とまる。その視線に気付いたのか、

女の子が慌てて手を引っ込めた。

「……そんなことやったって、何の解決にもならないよ」

ぼそりと呟かれた言葉に弾かれたように、女の子は飲み物を掴み取ると足早に店を出て行った。

「またなんかしはったんか?」

店長の声に、佐々木は首を振りながら

「じゃ、あがります」と言って、エプロンを脱いだ。

どうして、もっと俺はもっとましな言い方が出来ないんだろう。と

心の中で呟きながら。

                     ※

ダウンジャケットを羽織っていても、突き刺さってくるような寒さの中を

佐々木が地面だけを見つめて黙々と歩いていると、か細い女性の悲鳴が耳に飛び込んできた。

思わず顔を上げると、人垣の中から

「大丈夫、しっかりして」

とやはり悲鳴のような叫び声が聞こえる。

普段だったらそのまま通り過ぎてしまっただろう、だが、見覚えのある制服と

地面に転がるハッピーストアと印刷されたビニル袋から半ば飛び出た飲み物が、

佐々木の足を人垣の方に向けた。

はたして、人垣の中心にいたのは先ほどの女の子で、のどに両手をあてて

苦しそうに短い呼吸を繰り返している。

その肩に手を当てておろおろと同じ問いを繰り返しているのは、首から募金箱を

下げた中年の女性だ。おそらく女性の方も相当あわてているのだろう、指先が

力の入れ過ぎか真っ白になっていて、爪に塗られた紫のマニキュアが異様に鮮やかに見えた。

考えるより先に、佐々木の体は動いていた。

「これを口に当てて」

女の子に駆け寄って飲み物が入っていたビニル袋を差し出す。

「できる範囲でいいからゆっくり呼吸して」

二、三回ビニル袋が膨張と縮小を繰り返すと、女の子の呼吸が

徐々に落ち着いてきた。

「念のために救急車呼んでください」

「は、はい」

募金箱をぶら下げたまま女性が駆け出していく。

集まっていた野次馬たちは、これ以上のことが起こりそうにないと

わかると皆無言で立ち去っていき、それと入れ違うように

救急車のサイレンの音が遠くから聞こえてきた。


続く




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ