モダン・ガールは殺されたのか?
[下記は笹峰直人と紗倉仁志の対談記録から、紗倉仁志の発言のみ書き出したものです。無修正の対談記録が必要な場合、院長に確認を取って下さい。]
──アア、はいどうも、こんにちは。本日はよろしくお願いしますよ。
イヤア、それにしてもよく取材の許可が降りたもんですね。見張りだっていないじゃあないですか。
……え?いやなに、ハハ、賄賂だって咎められませんよ。そんなことを咎められるほど私はできた人間じゃありませんよ。あなたもそれを知って取材に来たんでしょう。
あ、えーと……あぁすみません、笹峰さんね。どうもすみませんね、物覚えが悪いもので。アハハ。
さて、うーん、どこから話したものか。聞きたいところとかありますか。ア、というか手帳を開かないで大丈夫ですか。
……アア!録音してるんですね、なるほど。なんでしたっけ、そう、磁気テープ。3年前に出たんでしたっけ。これじゃ速記記者も商売上がったりですね、ハハハ。
……すみません、脱線しましたね。それじゃ一から行きましょうか。
そうですね、あれは10年くらい前だったかな。私には恋仲の女性が居たんですね。サヤさんといって、気のいい可愛らしい娘っ子でしたよ。私なんかには勿体ないくらいでしたね。
サヤさんは外出が好きでね。所謂モガというやつでしたよ。アレ、もう古い言葉なのかな、モダンガールって。まあそれは置いといて、彼女は外出癖があったわけですね。女給をして稼いだ金で喫茶に行ったりするんです。私も一緒に行くことは稀で、普段は彼女一人で出掛けていたんですよ。だからね、彼女が出先でどんな交友関係を築いているかなんて知りようも無かった訳で。
そう、サヤさんはたまたま入ったサ店でとある男性と出会ったんですよ。喫茶巡りが趣味の男で、それでサヤさんが働いている喫茶店のことも聞き出して、サヤさんのところに通いつめたんです。
…………浮気じゃありませんよ。サヤさんは私に操を立ててくださってましたから。で、その男とサヤさんはいいお友達になったんですね。勿論清い関係ですよ。勿論。その男の方も、恋仲の女性が居たそうですし。
そう、恋人がいたんですね。しかもどうやら嫉妬深い女だったようで、自分の男とサヤさんが仲良しなのがどうも許せなくて、憎くて憎くて堪らなかったと。酷い話ですよ、全く。
それで、サヤさんが職場に向かおうとしたとき。その女が待ち受けてたんですね。手に包丁を持って。サヤさんは吃驚してしまって、動くこともできなくて。お腹を刺されて死んでしまったんですよ。人通りが少ない道でサ店まで近道しようとしてたから、助けに来てくれる人も居なくて。可哀想で、可哀想で。今思い出しても涙が出ますよ。
それで、サヤさんは帰ってこなかったんですよ。お仕事が終わる時間になっても帰ってこないもんだから、私もおかしいと思って、彼女を探したんです。喫茶を覗いて見てもいない。彼女の好きな雑貨店にも見当たらない。
もしやと思ってサヤさんのよく通る近道の路地を行ったら、いたんですよ。イヤ、あったと言う方が正しいのかな。とにかくそこにサヤさんの死体が遺棄してあって、マァ、信じられませんでしたね。今日の朝はあんなに元気にしてたのにって。サヤさんを殺した女や、サヤさんが死ぬ原因になった男のことが許せませんでした。人殺しをしておいて、のうのうと生きていて良い筈が無いんです。
でも、サヤさんが死んでどうにも気分が沈んでいる自分も居て。結局どうだっんだっけな、えーと、そう、確か一年半くらいずーっと、ぼうっとしながら生きてたんです。光が無くなってしまったみたいで。復讐心だけがずっと燻っていて。
はい、その一年半が過ぎた頃、私はサヤさんが働いていた喫茶店に行ったんです。もしかしたら、あの憎い男女がいるかもと思って。
で、でね。本当にいたんですよ。店内に若い男女が向かい合って座っていて。こいつらだと、直感で分かりました。こいつらがサヤさんを殺したんだ。私の心は、案外穏やかなものでした。胸の内を焦がし続けた復讐心に、やっと区切りをつけられるのかと。わたしは二人が店を出るのを待ちました。二人が会計をするとき、私も急いで会計をして。こっそりフォークをくすねてポケットに入れました。…………あぁ、ハイ、それが凶器です。
二人の後をつけて、人通りも疎らになってきた頃。細い路地へ曲がったところで、私は男の背をフォークでグサリと刺しました。あの突き刺す感覚は、今でも鮮明に思い出されます。男は痛みに悶絶して、ドサリと倒れ込みました。女の方は腰が抜けてしまったようで、怯えた目でこちらを見ていました。ゼホ、ゼホ、ゼーと大きく呼吸をするのがなんだか変でした。私は女の腹を刺しました。サヤさんがされたことをしてやったのです。報いですよ、報い。二人とも血が沢山出て気を失ったのを確認して、私はその場から逃げました。フォークは道中投げ捨てました。足が棒になったようで、ヘロヘロになりながらも、私は墓地へ向かいました。サヤさんのお墓です。どうやら私の知らない間に、彼女の御両親が弔ってくれていたようでした。
肩で息をしながら墓地について、サヤさんの墓の前に行きました。ピカピカとしていて、少々小さな墓石でした。私はそれの前に立って、復讐を成し遂げたことをサヤさんに伝えました。
そうしたら、なんだか糸が切れたようになってしまって。もう生きていなくていいや、となってしまったんです。サヤさんに会いたい。その一心でした。私は墓地の真ん中の、一等大きな松へ近づき、ネクタイを解きました。そうしてそれを括り付けて、なんとか首を括ろうとしたんですね。石段の上で頭を通して、一段降りて。段々意識が遠のいて、死んだと思ったんですけどね。強度が足りなかったみたいで、気絶してる最中に切れちゃったみたいです。
それから私があの男女を殺したことがバレて、お縄になりました。それでここに来たんです。
間抜けですよね。
……はい、話はこれで以上です。ありがとうございました。
…………あ、ドア、気をつけて下さい。ドアノブの付け根がちょっとすり減ってるんです。手、傷つけないようにしてくださいね。
[1938年8月25日追記]
江戸川区在住の紗倉氏の近隣住民に話を伺ったところ、紗倉氏に恋人がいるような話は無かったとの事でした。紗倉氏が首を吊った墓所も、紗倉氏とは全く無関係の場所とのことです。
[1940年11月5日追記]
以下は対談冒頭部分を無修正で書き起こしたものです。
──こんにちは、私、笹峰精神病院の笹峰直人と申します。こちらの所長さんの依頼で、あなたとの対談予定を組ませて頂きました。
アア、はいどうも、こんにちは。本日はよろしくお願いしますよ。イヤア、それにしてもよく取材の許可が降りましたね。見張りだっていないじゃあないですか。
──監視を付けると錯乱状態になるとのことでしたので、このような体制を取らせて頂いています。
……え?いやなに、ハハ、賄賂だって咎められませんよ。そんなことを咎められるほど私はできた人間じゃありませんよ。あなたもそれを知って取材に来たんでしょう。あ、えーと……
──笹峰です。
あぁすみません、笹峰さんね。どうもすみませんね、物覚えが悪いもので。アハハ。
さて、うーん、どこから話したものか。聞きたいところとかありますか。ア、というか手帳を開かないで大丈夫ですか。
──録音機器を使用しています。今は取材に集中してください。
……アア!録音してるんですね、なるほど。なんでしたっけ、そう、磁気テープ。3年前に出たんでしたっけ。これじゃ速記記者も商売上がったりですね、ハハハ。……すみません、脱線しましたね。それじゃ一から行きましょうか。
上記からも、紗倉氏が精神を病んでおりまともな会話が成り立たなくなっていることが確認されています。紗倉氏は1940年7月14日に獄中で自殺していたとのことでした。当書類は1941年11月5日に廃棄予定です。
笹峰精神病院院長 笹峰直人