お礼と謝罪の落としどころ
セルビアに付き従い、団長と羊飼いから離れていくヒツジを二人は目で追っていたが、団長は満足そうにつぶやいた。
「やっぱりだ」
その言葉に羊飼いは疑問を投げる。
「だから何だ?」
一見普通にヒツジが放牧地に向かっているだけのように見えるが、実際はそうではない。
団長がそれを指摘する。
「不思議に思わないのか?ヒツジたちは後ろから追われてないのに、みんなセルビアちゃんの後ろについていくだろ?」
「言われてみればそうだな」
先ほどの状況なら、普通は牧羊犬が後ろから追い立ててヒツジを誘導する。
そして先頭にいる人間は都度、犬に指示を送るのだ。
でもセルビアは前にいてただ歩いているだけだし、グレイもその隣にいるだけで特に追い立てたりはしていない。
それなのにヒツジたちはなぜかセルビアの後について歩いている。
言われなければ気が付かなかったが、確かに普段、自分たちが行っている内容とは明らかに異なっていた。
「このままセルビアちゃんを追い出したら、あのヒツジたちはセルビアちゃんについていくって脱走するんじゃないかと思うぞ」
「まさか」
小屋の中に仕切りもあるし、そんなことにはならないだろうと思ったが、確かにさっき小屋にいたはずのヒツジたちは群れを成して外に出てきていた。
それも一人の少女が原因だと言われたら、この後出発する彼らについていこうと出て行ってしまう可能性がないとは言えない。
これまで脱走などしなかったため、少々確認を怠ることもあったが、まず戻す時、厳重に柵を確認し、きちんと施錠しなければならない。
彼女のことがなくともクマが出たのだから安全管理の意味でも気を引き締めるべきだと羊飼いはひそかに思った。
「セルビアちゃんは何か動物に懐かれる体質みたいでな。うちの子達とも仲良くやってくれてるんだよ。グレイはセルビアちゃんが連れてきた子だから除いて、うちで一番仲がいいのはトラだ。前に助けられたことがあって、それから随分と懐いてる」
小動物ではなく獰猛と言われる部類のオオカミやトラと仲がいいらしい。
まあ、サーカス団について歩くのに怖がっていては仕事にならないだろうが、最初から懐かれたり仲が良いというのは特異だ。
最初はおっかなびっくりで、一緒にいるうちに慣れていくのが普通だろう。
何度も立ち寄ってもらっている自分でも、まだ檻に入った状態のトラですら怖いと思うのだ。
出会ったその日なんて近付く勇気もなかったし、何かされたわけもないのに、その存在をいまだに怖いと感じることもある。
羊飼いとして世話をしたり、森にいる害獣を撃ち殺したり、解体したり、何かと動物を相手にする仕事をしているにも関わらずだ。
「そんな能力を持っているのか、あのお嬢ちゃんは……」
連れていかれるヒツジを見ながら羊飼いが複雑な面持ちで言うと、団長は笑いながら同じ方向に視線を向ける。
「能力なのかはよくわからんが、そういうものなのだろう。動物を惹きつける何かを持っているのは間違いないな。さっき言ったことの意味が分かったろ。あのヒツジたちは、このままだとセルビアちゃんのいる、うちのサーカスの隊列にくっついてくるかもしれないってことだよ」
本当にヒツジたちがセルビアやグレイに恩を感じているかは不明だ。
もしかしたら助けられたことすら気が付いていないかもしれない。
しかし、目の前のセルビアやグレイ、ヒツジたちの行動を見れば、団長が言っていることが現実味を帯びてくる。
もし脱走したら、小屋ではなく、サーカスに合流しようとする可能性は大いに考えられた。
ヒツジはオオカミを恐れるものだが、なぜかセルビアの横にいるグレイにも臆することがないのだから、ヒツジはグレイを敵とみなしていないということだろう。
「……わかったよ。それで結局どうするか決まってないわけだが、一旦保留、うちで預かるってことでいいか?」
「ああ」
羊飼いが落としどころを確認すると団長は笑顔でうなずいた。
「次に立ち寄った時に何頭か連れていく、もしくは肉にするってんならそれも決めておいてくれ。肉が必要なら解体を済ませておくこともできるからな。まあ、そもそも何頭にするか、どいつを連れていくは改めて交渉だ」
羊飼いの言葉に団長も同意する。
正直正当な報酬として要求したものの、ここで渡されても困る。
肉として持ち歩くのも悪くはないが今はクマの肉があるから、過剰になる。
受け取るなら次がいいというのはそのためだ。
「それがいい。急いで決めてもいいことはないからな。今回の羊毛はそっちにくれてやる。それと次に来る時、当然セルビアちゃんもグレイも一緒だが、問題あるか?」
もともと滞在が短くなったのはグレイがオオカミだからという理由だ。
次に来た時、同じことを理由に追い出されてはかなわない。
団長が暗にそう言うと、羊飼いは申し訳なさそうに言った。
「いや、ない。なんか……すまなかったな」
謝罪する羊飼いを、団長は鼻で笑った。
「それはセルビアちゃんに言うんだな」
今回の件で一番落ち込んだのはセルビアだ。
グレイがオオカミだからおいておけないと言われたため、飼い主として責任を感じていたのだ。
羊飼いはその場面を見ていないが、団長に言われて、小さく、ああ、とつぶやいた。
「……なあ、そう言いながら連れて行くなよ?」
一度セルビアを見て団長に視線を戻した羊飼いがうかがうように言うと、団長もそちらを見た。
「ヒツジか?ちゃんと小屋に戻すように言えばそうしてくれるさ。セルビアちゃんはそうしてくれるはずだ」
「ああ、そうしてくれ」
このまま一緒に行きましょうと全頭連れていかれてはかなわない。
団長が指示しただけでそうしてくれるというのなら、頼むしかない。
セルビアはサーカス団の一員なのだから、自分が頼むより団長の口から指示を出してもらった方が話が通じるだろう。
結局、数は決まっていないものの、何頭かは譲ることになってしまった。
なんとなく団長の思惑に負けてしまった感はあるが、そこは諦めるしかない。
けれどセルビアが保留してくれたおかげで渡すまでの時間が稼げたし、それだけで解決するのならよかったと思うしかないだろう。
とりあえずしばらくサーカスがここの周辺を通ることはなさそうだが、その間に一旦ヒツジたちの毛をすべて刈り終えなければと、羊飼いはそんなことを思うのだった。




