羊の行進
出発の朝。
荷物をまとめ終えて残るはテントを畳むのみとなったところで、羊飼いが申し訳なさそうにテントへやってきた。
彼は団長に話があるといっていたが、そこになぜかセルビアも一緒に呼ばれる。
そこで羊飼いはセルビアに聞こえないよう団長に耳打ちする。
「あいつらは俺が丹精込めて育てたんだぞ?やっと毛刈りができるくらいになったとこだってのに、食肉にされちまうのは忍びねえよ」
なぜ聞かれたくない話をするのに呼ばれたのかわからないセルビアは首を傾げながらも二人の様子を黙って見る。
さらにグレイはいつの間にかセルビアの足元にやってきて体をこすりつけていた。
そんな時、団長はわざわざセルビアに聞こえる声で答えた。
「そんなに何頭も食肉にしたところで、セルビアちゃん一人じゃあ食べきれないだろうけどな」
一頭だって移動中に腐らせることになるだろう。
別にサーカスで肉を買い取ってそれを食事に出しても構わないが、それではセルビアの礼には不十分だ。
団長が眉間にしわを寄せると、羊飼いは肩をすくめ、普通の声で返す。
「だけど飼うのは無理だろう?場所だって取られるし、こいつらは草もたくさん食べる」
牧草に変わる草の生えている場所に置いておけば勝手に食事をしてくれるが、サーカスが回るのは街になるので、そのようなところはない。
そうすると餌を別に用意しなければならないから大変だろうというと、団長が別の提案をする。
「じゃあ、こうしたらどうだ?セルビアちゃんの定住先が決まるまでお前が預かっておく。それで定住先が決まったら、何頭か譲るでもいいし、まあ、金で払ったほうが気が楽だって言うんだったら、分割払いで相応の礼をすればいい。預かっている間の羊の毛はそっちで回収してそれをエサ代の足しにすりゃあ、そこまでの損害にはならんだろう」
最初は状況が呑み込めなかったが、どうやらクマを退治したお礼としてセルビアに羊をプレゼントしてくれるという話になっているらしい。
しかしヒツジを連れて歩くとなると、移動の負担が増える上、テントで世話を焼くのは難しい。
だから肉にしてこの場で受け取るか、セルビアが腰を据える場所を決めた時に生きたヒツジを受け取るか、という話になっているようだ。
ただその二択をセルビアに出されたとしても正直決定は難しい。
そんなことを考えているセルビアに、羊飼いが尋ねる。
「お嬢ちゃんはどうなんだ?ヒツジをもらっても困るんじゃないか?」
そもそもヒツジをもらったところで困る可能性もある。
セルビアがもしそうだと答えればヒツジを手放さなくて済むかもしれない。
羊飼いがそんなことを思いながら話を振ると、セルビアは少し考えた様子を見せてから言った。
「そうですね……、サーカス団としてヒツジさんを連れて歩くの大変そうですね」
肉で受け取るという方法は一旦おいて、まずは難しそうな方について答えると、羊飼いは少し喜色を浮かべる。
「そうだろう?ほらみろ!」
セルビアが受け取りに乗り気ではないのだから、ヒツジを手放す必要はないと羊飼いが安堵して団長に言うと、団長はそれを鼻で笑った。
「でも見てみな!」
「何をだ?」
「ヒツジだよ」
羊飼いが突然どうしたのかと首を傾げると団長が指をさす。
「あ?」
「ヒツジ?」
思わずセルビアも疑問を持ちながら団長の指さす方に視線を送ると、こちらに向かってくるヒツジたちの姿があった。
彼らは暴れているわけではなく、引き寄せられるようにゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
よく見ると、群れを率いる先頭のヒツジの頭にキキが乗っている。
おそらくキキが先導したのだろう。
話をしている三人の方に、正しくはセルビアめがけて羊たちはやってくる。
そして近づいてきたヒツジは、大人二人を押しのけるような形でセルビアを囲んだ。
「ちょっとキキ、ヒツジさん連れてきちゃったの?」
セルビアが言うと、キキは褒めてほしいと言わんばかりに羊の上で飛び跳ねた。
「キッキー!」
「メェーメェー」
キキが最初に声を上げると、それに答えるようにヒツジも一斉に声を上げる。
その声を聞く限りヒツジは元気そうだ。
「ヒツジさんたち、みんな無事でよかったね」
「メェーメェー」
ヒツジに囲まれたセルビアが近くのヒツジにそう声をかけると、その子だけではなく周りも一斉に返事をするかのように鳴く。
「みんなを助けてくれたのはグレイたちなんだよ。グレイはみんなを食べたりしないから安心して」
「わぉーん!」
セルビアがグレイを怖がる必要はないというと、それに呼応してグレイも遠吠えをする。
ヒツジたちはというと、グレイが近くにいてもお構いなしでセルビアの近くで何かを訴えている。
「セルビアちゃん、悪いけど牧草地の、あの辺りを一周してきてくれるか?グレイも一緒なら安全だし、ヒツジの運動不足も解消になるだろう」
「いいけど……」
話が合って呼ばれたのではないのかとセルビアは思ったが、確かにこの状況ではヒツジが邪魔で話すどころではない。
それにセルビアがいなくても団長が話をうまくまとめてくれそうだし、会話に入れないのならいても仕方がない。
セルビアは団長に言われたため、とりあえず、ヒツジの間をすり抜けて先頭に立った。
「グレイ、ヒツジさんたちに一緒に来てもらえるようお願いしてくれるかな」
セルビアに頼まれたグレイはとりあえず横に並ぶと、そこで一鳴きする。
するとヒツジたちはやはり一斉に返事をするように鳴いた。
セルビアは足元に寄り添うグレイを見て、声をかける。
「とりあえず指定されたところに向かってみようか」
「がぅがぅ」
セルビアがグレイに言うとグレイから肯定の返事が来たので、ゆっくりと団長に言われた牧草地の方に向かった。
するとヒツジたちは当たり前のようにセルビアの後ろについていく。
セルビアは移動しながらちらちらと後ろを見て、全員が付いてきているのを確認すると、そのまま指定された牧草地に向かった。
ヒツジたちはどこに行くのか理解した様子で二列になってついてくる。
そんな中キキはいつの間にか入れ替わった先頭のヒツジの頭の上に移動してきて、先ほどと同じように音頭を取るかのように頭の上で飛び跳ねている。
そうしてセルビアはヒツジを引率して、牧草地の一区画の中に入っていくのだった。




