グレイの処遇
テントに戻った団長はさっそく団員を集めて、先ほど羊飼いと話した内容を伝えた。
「皆聞いてもらえるかな。予定を変更して、明日、ここを発つことになったから、片付けを早めにしてほしい」
「わかりました」
団長の言葉を聞いて大人たちはすぐに動き出した。
そんな中、その言葉に不満を持ったニコルが、団長のところに向かう。
「団長、それってクマの件と関係あるんですか?」
セルビアとグレイがいるため、ニコルの質問に団長は言葉を濁しながら答えた。
「ああ、まあ、ないとは言えないよ。でもそれは要因の一つに過ぎない。だけどここでテントを張って過ごすのは危険かもしれないというのは大きい。今回はグレイたちが助けてくれたから何もなかったけど、森に生息していて、こっちに出てくるのが一頭とは限らないからね」
もしグレイがいなかったら、森にいたクマはここを狙ってきたに違いない。
今回はグレイたちが退治してくれたけど、またそれがうまくいくとは限らない。
何より、一頭出たのだから、まだ複数のクマが森に潜んでいる可能性もある。
その状態で自分たちが野営をするのは危険極まりない。
ニコルは腑に落ちない様子だが、口にしている言葉に嘘はない。
ただすべてを話していないだけだ。
「言われてみると、対峙してないから実感ないですけど、あの量になる肉がとれるクマがいたんですよね。しかもテントを狙ってたんですよね……」
クマがいて、オオカミが遠吠えする夜、音だけでも怖いと思った。
大人たちも警戒してピリピリしていたし、この先どうなるのか不安も大きかった。
しかし危険な目に合わなかった上、明るくなって外に出れば、のどかな草原とその奥に見える森はいつも通りにしか映らなかったので、恐怖が一度に吹き飛んでしまっていた。
しかしあれは夢ではなく現実だったのだ。
そう考えたらニコルにもここは危険であると感じられた。
「そうだと思う。ここに来る前に退治されたからわからないけど、もし次に来て、グレイたちの助けがなかったら、その時は木材に覆われている建物よりこっちが狙われるだろう。いくらこっちにトラなんかがいたとしても、クマとトラを対峙させるわけにはいかない。それに人間の私たちが先に見つかったら、食われる前に殺される可能性が高い。クマからすれば人間なんて小さくて、動き回るおもちゃのような存在だろうからな」
食べるために狩るわけではなく、おもちゃのように遊ばれて、結果死に至る。
考えただけで無残な最期だ。
「最初にこっちに来なかったとしても、羊飼いさんの小屋に入れなかったら、諦めてこっちに来そう……」
ニコルが言うと、団長はしっかりと首を縦に振って、説得するように伝える。
「ゆっくりさせてあげられないことは申し訳ないと思うけれど、私にはここの団長として皆を守る義務がある。危険があるなら回避しないといけない。休暇より皆の命を優先するよ。私はここの長だからね」
団長とニコルがそんな話をしていると、いつの間にか近くに寄ってきていたセルビアが申し訳なさそうに声をかける。
「あの、つまりグレイのことが原因ってことですよね……」
犬だと思っていたグレイがオオカミだったことにセルビア自身も驚いていたけれど、
「たしかに向こうはそう言ってるけど、それだけじゃないさ。仮に向こうがここにいてもいいと言ったとして、もしここで皆がクマに襲われたら、あっちだって後味悪いだろう。小屋が狭いから皆を中に入れて守ることはできないし、大きい動物は物理的に入れない。グレイのことがなくても、判断は変わらなかったよ」
もし何かあったら人間は小屋に逃げ込むことができるかもしれない。
けれど大型の動物や荷物を引いてくれる馬などは、置いていくことになるし、そうなれば動物たちを餌食にすることになってしまう。
動物を含め家族を守るのが私の仕事だと団長は言うが、セルビアは申し訳なさそうにしている。
「でも……」
「気にすることないって。団長もこういってるんだしさ」
ニコルがそう声をかけていると、片付けのために荷運びをしている団員が立ち止まって言った。
「そうだよ。うちにいる肉食動物はグレイだけじゃないしね」
その言葉を聞いた他の団員たちも気にかけて動きを止める。
セルビアは荷物を持っている大人たちと団長、ニコルと見まわしてから、頭を下げた。
「私たちのせいでゆっくりできなくなってごめんなさい」
さすがに大人たちもこの状況で片づけを進めるのは気が引ける。
皆がいったん荷物を置いてセルビアの周りに集まって心配そうに様子を見ている。
「セルビアちゃんが謝ることじゃないさ。ここの頭の固いのがいけないね。こんな子供に気を使わせて、頭を下げさえるなんて」
さあさあ顔を上げてと、最初にセルビアの肩を叩いてなだめたのはマダムだ。
団長もそれに続く。
「ああ、その通りだ。それにセルビアちゃんだけじゃなくてグレイだってこの団の一員で家族なんだ。その家族に文句をつけられたんだから、ここにいる理由はないさ。もちろん、他の団員が言われても、動物たちが言われても同じだよ」
「団長、マダムも、みんなも、ありがとうございます」
セルビアが再び頭を下げると、今度は団員たちがセルビアに聞こえるように話し始めた。
「本当にこんないい子たちに酷いと思うよ。もちろん、羊飼いの言い分は分かるから相手を怒ることもできないけどね」
「それでもさ、もうちょっと言い方とかあるでしょ」
いくら何でも恩人に対して大人げないだろうと一人が強く言うと、別の一人がそれを否定する。
「いや、ないだろう」
伝えている事実が変わらないなら濁すよりはっきり伝えた方が語弊がなくていい。
やんわり伝えられたらかえって困るだろうというのが彼の意見だ。
「そうかなあ」
なんとなく集まった団員がそんな風に話をしていると、団長が話をまとめた。
「いずれ現実を見ることになる、それが今だったってだけだよ。確かに酷だと思うけど、これからもセルビアちゃんとグレイは一緒に生きていくんだろうし、こういうことがあちらこちらで起こるのは明白だろう」
団長の言い分は理解できるが、ここで突きつけることなのかと言われれば疑問だ。
団員からすればまだまだニコルもセルビアも子供だから、まだその責任を負わされる立場にない、やはり子供のせいにして責任逃れをしている大人の方に問題があり、大人げないという言葉に偽りはないと、最初に言った団員の女性は少し不満気だ。
「そうだけど……」
「まあ、恩人に言うことじゃないって言い分はあるけどね」
他の女性が落ち着かせるためなだめるように言うと、その言葉に大きく反応する。
「そう、そこだよね。もやっとするの!」
少なくとも恩人に対してする仕打ちじゃない。
今度は自分たちが助けてもらったのだからお礼にと申し出てくるのならわかるが、これでは恩をあだで返しているようなものだ。
理屈はわかるけど納得できないでいたのはまさにその部分だと女性がすっきりしたように言う。
「くぅん」
そんな大人たちの話を聞いたグレイがしょんぼりとした声で鳴く。
その声で我に返ったセルビアは団長に尋ねた。
「やっぱりグレイと一緒っていうのは難しくなってくるんでしょうか……」
これから先もこういうことが起こるというなら、グレイと一緒に旅をするのは難しいかもしれない。
何よりお世話になったサーカスの皆に迷惑をかけることになるのは辛い。
セルビアの力で今すぐ解決案を出すのは難しいが、セルビアにグレイと離れて生活するという選択はない。
「まあ、とりあえずここなら問題ないよ。そもそも動物と生活して移動している一団だからね。どうとでもなる。でも、グレイを犬って言って宿に泊まるのは難しくなるかもしれないし、あまりに大きくなったら首輪とリードはつけないと、誤って危害を加えられる可能性だってある。街を歩くときに連れて歩くんったら、そこは考えた方がいいかもしれないな」
「はい」
とりあえず現状維持でいいらしい。
ただグレイには飼い主がいることを明示するため首輪をつけた方がいいそうだ。
「本当はこうなる前に教えておくべきだったんだ。こちらの落ち度だからセルビアちゃんもグレイも気にすることないからな」
「がうがう!」
グレイが団長にお礼を伝えるように吠えたので、セルビアは再び頭を下げた。
そんなことがあったけれど、話が終わればすぐに切り替えて手を動かすのがサーカス団の大人たちだ。
とにかく明日の移動は決定事項だから片づけを手伝ってくれるかと、団長がニコルとセルビアに言う。
それを聞いたニコルとセルビアは一度顔を見合わせると、片付けに加わることにしたのだった。




