真夜中の散歩
「でもグレイはどうやってここから出たんだろう?」
さすがに部屋のドアの開閉があればセルビアでも目が覚める。
前に宿にいた時だって、鍵をかけていたしおかみさんが対処してくれたから何もなかったけれど、酔っぱらった人が部屋を間違えたのか、ドアを開けようとしたりしてきたことがあったのだ。
グレイが見えなくなるまで見送ったセルビアが尋ねると、ニコルが答えた。
「ドアからではないだろうし、たぶん動物用の通路からだけど、こういったのって、中には入れるけど外には出られないように作ってることが多いんだよね。小動物だと通れちゃうこともあるんだけどさ。動物用の通路ってこれね」
そう言うと、ニコルは窓の下に不自然な形である木の板を指した。
「これ?」
セルビアが板をよく見ると、板には小さなでっぱりがついていた。
それが取っ手になっていて引っ張ると内側に開くようになっている。
思い出してみれば、前の宿にもこんな感じの板が庭に向いた窓の下についていた。
てっきり穴が開いたとか傷がついたから修理してる途中なのかと思っていじらなかったけれど、本来は動物の出入口として使うものらしい。
出してあげる時は地面近くまである窓を開けてあげていたけれど、グレイだけを出すんだったらここを開ければ十分だったらしい。
ニコルに言われて取っ手をもって少し引っ張ると、上に持ち上がって、ドアのように開いた。
「そう。動物ってこういうの、手を使って引くとか、隙間に指を入れて持ち上げるとか難しいでしょ。でも戻れないのは困るから外から押せば入れるようになってるんだ。もちろん、どこの宿も人間は通れない大きさになってるよ」
あまりに大きいと、仕組みを知っている人間の不審者が入ってきてしまう可能性がある。
だから人間が通れないよう工夫されているのだという。
「そうだよね」
セルビアがその仕組みを聞いて感心していると、ニコルが扉を見ながら言った。
「でも、誰にも助けを求めないでここを出られたんなら、やっぱりグレイは賢いんだよ」
まずこの扉の仕組みをだれにも説明されていないにもかかわらず理解し、しかもそれを開けている。
しかも物音を立てないで開けるのだって難しいことだ。
「そうだよね。前の宿でもこうやって外に出てたのかな?」
セルビアが考えていると、ニコルはたぶんそうだろうという。
「たぶんそうじゃないかな。もしかしたら前の宿で試行錯誤した結果、ここでスムーズにできただけかもしれないけど……」
さっき夕食にくっついてこなかったのはこのためではないかという考えが一瞬ニコルの頭をよぎったが、さすがのグレイもそこまで考えて行動していないだろうと、すぐにその考えを打ち消した。
「グレイ、大丈夫かな……」
心配そうに真っ暗な外を見てセルビアはつぶやいた。
暗い中、外を歩くのは危険だという感覚がセルビアの中にはあるからだ。
グレイが危ないことに巻き込まれないか、この状況を知ってしまうと心配になる。
けれどニコルは、それを一蹴するかのように明るく返した。
「大丈夫だよ。これまでだって傷一つつけてこなかったんでしょ?」
ニコルに言われて、これまでのグレイを思い出す。
「うん。起きた時に怪我をしてたことはないかな。細かい傷は見てないけど、汚れてもいなかったんだ。だから気が付かなかったのもあるんだけど」
わざわざ戻ってくるまでに汚れを落として戻ってきているのだろうか。
どうやっているのかわからないけれど、もしそうならば本当に賢い子だ。
しかしもう出かけてしまったのだから、気にしても仕方がない。
探して追いかけることはできないし、自分たちが外出するほうがよほど危険だ。
それにテントにいる時も外出していたわけだし、これまで普段無事に戻ってきているのだから問題ないだろう。
じっと外を見て動かなくなったセルビアに、ニコルは声をかけた。
「私が起こしちゃったんだし、あれを見ちゃったから気になるかもしれないけど、もう寝ようか。明日は私たちも仕事だよ。テントに荷物を運ぶ前にここに来ちゃったから、ちょっと早く行かなきゃいけないし」
いつもならば宿ではなくテントに戻っているので、皆がリハーサルをしている間に売店で使うものを運んでいるのだが、今回はそのまま宿に入ってしまったからそれをしていない。
今日から興行の公演が開始されるから、その前までに、せめてその日の分だけでも荷物を移動しなければならない。
さらに宿からテントに移動しなければならないので、より早起きが求められる。
朝食の時間になったらすぐに食堂に行って、それを急いで食べたらすぐに出たほうがいいかもしれないくらいだ。
「わかった。ありがとう。朝になってグレイがここにいたら、気にしないことにするよ」
セルビアはニコルが心配ないというのなら大丈夫だろうとベッドに戻った。
幸いにもセルビアは寝つきがいい。
さんざんグレイの心配をしていたセルビアだったが、ベッドに入ると数分もたたないうちに眠りに入った。
ニコルもさすがに疲れていたのか、同じようにすぐ眠ることができたのだった。
翌朝、目を覚ましたセルビアのベッドの足元にはグレイがいつも通り体を丸めていた。
しっかり寝入っていた二人が気が付かない間にちゃんと戻ってきていたようだ。
「本当に私たちが寝た時にいた位置に戻ってるんだね。なんかすごいや」
「うん。それに汚れとかないでしょ?」
「本当だ。特に汚れてもいないし、っていうか、むしろきれいになってる気もするけど、怪我とかもなさそうだね。確かにこれで目が覚めないなら外出に気が付くことはないかも」
二人でそんな会話をしながらしゃがんでグレイの体を撫でまわすと、グレイが不思議そうな顔をして二人を見上げた。
「くぅ~ん?」
それがまるで、何かあったのかとしらを切っている様子に見えて、セルビアとニコルは思わず顔を見合わせて笑った。
「そろそろ朝ごはんだけど……、グレイも行く?」
「わぅわぅ!」
ニコルがグレイにそう聞くとグレイは元気に答えた。
「じゃあ行こうか」
セルビアがそう言って立ち上がると、グレイはセルビアの足元にぴったりとくっついてすり寄った。
ニコルは歩きにくそうだと思って見ていたが、セルビアにとってはいつものことなので気にした様子はない。
グレイもセルビアの歩き方を把握しているからかくっついているのに踏まれるようなへまはしない。
その様子を面白いといった様子で見ながら、ニコルは食堂に向かうセルビアの後についていくのだった。




