宿利用の提案
「ちなみに宿はたまにしかいかないから争奪戦なんだよ。テントより環境がいいし、ゆっくり休めるからさ。だからたまにはそっちを選んでもいいと思うけど、慣れるまではグレイと一緒がいいかもね。そもそも、慣れる前に宿を使う場所で興行をするかどうかわからないし。あ、でも、グレイだけだったら一緒に泊まれる宿はあると思うから、そういう宿の時だけ希望してみるのもいいかも」
グレイを撫でながら、ニコルはいい案でしょうとセルビアに言う。
セルビアがグレイと一緒にいたいのは理解できるので、そういう宿の時は優先してもらえるよう自分からも頼んでみると、嬉しそうだ。
しかしセルビアはいまいち状況を飲み込めず苦笑いを浮かべるのが精一杯だ。
「なんか、聞いても全然想像つかないや」
別にこの環境に慣れてしまって居場所があるのなら、わざわざ宿に泊まる必要はない。
確かに宿の方が部屋はきれいだし、ベッドも高くて柔らかいし、快適に過ごせるかもしれないけど、ここにいれば常に動物たちもいて、誰かしら人が残っているのだ。
それならば不自由しないし寂しくもない。
だから無理に宿を使う必要はないのではとセルビアは考えたのだ。
けれどニコルはこれから始まる旅の事を言っているのだと、そう受け取ったらしい。
「普通はあっちこっち旅なんてしないからね。そんなことするのなんて手広く商売をしている商人とか、私たちみたいな芸事で興行をしている一団くらいじゃないかな?」
確かに普通に家で暮らしていたのに、急に外に出されることになったセルビアに旅一座の生活を想像してほしいというのは難しい話だ。
街にすら一人で行かせてもらえない期間が長かったというのだから、なおさらだろう。
「あ、商人なら想像できるかも。いろんなところに行って目新しいものを持ってきてくれる感じだし」
気を使ってくれているニコルに、たくさんの人に囲まれた生活をしばらくしてからまた一人になるのは寂しいかもしれないと口にできないセルビアは、そんなことを考えていた素振りを見せないようにしながら答えた。
「私たちは芸を見せて、そこにいる人を喜ばせるのが仕事だからね。呼んでもらったところに行く感じだけど、ありがたいことに、いろんなところから声をかけてもらってるって感じなんだよね。でも今まで行ったことのないところから声がかかる事もあるから、どうなってるのかなって思っちゃう。こっちは仕事があって、楽しく過ごせるからいいんだけどさ」
ニコルからすれば宿の事など些細なことらしい。
とにかくセルビアに早くテントでの生活に馴染んでもらいたいのか、とにかく饒舌だ。
一方のセルビアは、今日一日で聞かされている内容がすでに情報過多の状態になって少々混乱してきている。
しばらく一緒にいるのだから分からなくなったら聞けばいいのかもしれないが、許容量を超えそうになっているので、会話をするので精一杯だ。
「それは多分、呼ばれた街の名産とかを広めてくれてるからじゃないかな。だから呼んだらまたそうしてくれるだろうって思って声をかけるんだと思う。他の街はそういう噂を聞いて、自分の街も宣伝してもらおうって考えて呼んでるんじゃない?」
サーカスの売店で違う街の名産を見て、その街はどんな所なのかと想像を膨らませた。
きっと同じように思った人がいて、行動力のある人なら、その街に足を運ぶだろう。
そして、欲しい商品が、食べ物が見つからなかったら人に聞くかもしれない。
その時聞かれた側はどこで聞いたのかとか食べたのかって聞くだろうから、その時にサーカスでって答えたら、売っている側としては、わざわざ自分のところの名産を求めてそういう客が来たと自慢するだろう。
サーカス側としては売り物を仕入れているだけかもしれないけど、恩恵を受けた街は、きっとまた来てほしいって思うに違いない。
セルビアがそんな話をすると、ニコルは首を傾げた。
「そうなのかな。そういうのは難しくてわからないや。でもいろんなところに行けて楽しいって思ってくれたら嬉しいかな」
「うん。楽しみ」
皆の集まる場所でニコルから寝る場所以外の説明を受けていると、徐々に他の団員達が集まってきた。
「皆さん、集まってきましたね」
「もうすぐご飯の時間だから」
「そうなんだね」
確か説明では夕食だけは一緒に食べると言っていた。
しかし今日は出発準備の日だから公演はしていないし、時間は昼だけど、皆がここにいるらしい。
考えてみれば、朝も昼も、仕事の時間の関係で別になることはあっても、基本的にはここにいるのだから、たいていは一緒に食べることになるのだろう。
決まりごとはあってないようなものかもしれない。
「そっか、ご飯の説明はしたけど、時間の事は言ってなかったかも!」
別に時間を間違えたからといってご飯が出ないわけではないが、しっかりと食べることができなくなる事はあるらしい。
しばらくしても顔を出さないと、そこにいる人が来ないものと判断して、残さず食べるからだという。
「大丈夫。ニコルちゃんが一緒だし、しばらくはニコルちゃんを見て真似しながら覚えるようにするから」
セルビアがニコルを頼りにしていると言うと、嬉しそうにニコルは胸を張った。
「うん。でも、わかんないことは遠慮しないで聞いてね。いっぺんにたくさん説明しちゃったし」
どうやら詰め込みで説明をした自覚はあるらしい。
販売の時に教育係をしているのだから、これだけたくさん説明したら分からなくなる事も理解しているのだろう。
でも知らないと困るだろうし、仮に忘れてしまったとしても、一度聞いておけば、二度目に聞いた時に何となく思い出せるかもしれない。
だからできる限りの説明をしたが、これから長く一緒に生活していくのだから、その中で覚えてもらえば構わない。
ニコルがそう言ってくれたのでセルビアは安堵する。
一度教えたのにと嫌味を言う人ではない事は理解しているが、セルビア自身もこれからの生活に早くなじまなければという気持ちが大きい。
「ありがとう。ちょっといっぱいいっぱいだから、また分からなくなったら教えてほしいな」
「もちろんだよ」
そうして二人が話しているのを、大人たちは温かい目で見守っていたのだった。




