しばしの別れ
話がまとまった数日後、サーカスが街を出発する前日にセルビアは宿を引きあげることになった。
一日はサーカスの宿泊環境で過ごし、そこから皆で次の街に移動するためだ。
「あの、お世話になりました」
「わうわう!」
宿に持ち込んだ荷物を抱えたセルビアは、グレイを連れておかみさんに挨拶をした。
するとおかみさんが入口まで送ると、セルビアの横に並ぶ。
「いやあ、本当にどうなることかと思ってたんだけど、こんなことってあるんだねぇ。きっと普段、セルビアちゃんの行いがいいから、神様が味方してくれたんだろうね」
「そうだったら嬉しいです」
宿側が申し入れてほどなく、サーカス団がセルビアの身を預かってくれることになったため、おかみさんの肩の荷も下りたらしい。
気さくに話しかけられたので、セルビアも普通に対応する。
「本当に申し訳ないとは思うけど、サーカス団に受け入れてもらえてよかったよ。こうして出てもらう側としては言いにくいんだけど、たまには顔を見せてくれたら嬉しいよ。私たちはセルビアちゃんやグレイちゃんが嫌いなわけじゃないからさ」
セルビアとしてもこれまでよくしてもらっていたし、迷惑をかけることになったのは申し訳ないと思っていたので、このように言ってもらって安堵する。
おかみさんに悪意がないことは分かっているし、迷惑をかけていたにもかかわらず、こうしてきちんと次が決まるまでは追い出さずにいてくれた。
父親はセルビアのせいではないというけれど、セルビアは少なからず自分が関係していると思っているので、おかみさんが最大限配慮してくれたことに感謝していた。
だから宿泊や長期滞在はともかく、迷惑をかけない程度の時間なら、またここに顔を出したいと思う。
「はい。近くに寄ったら顔を出したいと思います」
セルビアがそういうと、おかみさんはようやく少し表情を崩した。
「ありがとねぇ」
おかみさんがセルビアにお礼を言うので、セルビアも素直に気持ちを伝える。
「こちらこそありがとうございました。ここのご飯おいしかったし、初めての宿で安全に過ごすことができたのは、おかみさんのおかげなので」
これまでセルビアは街の宿に宿泊するどころか、街にも一人で行かせてもらえていなかった。
何度も買い物に来ていれば街のことももう少し詳しくなれていただろうけれど、その機会も与えられていなかったのだ。
その中、一人で街に住めと言われた時の不安は言葉で言い表せない。
状況的に仕方がないことだったし、両親が頑張ってくれた事を知っていたから、寂しいとかできないとは言えなかった。
その環境で耐えられたのはグレイと、何かと力になってくれたおかみさんのおかげだ。
だからこれはセルビアの本音なのだが、おかみさんは首を横に振る。
「本当にできた子だよ」
子供に過分な気を使わせてしまったとおかみさんは申し訳なさそうにそういったところで、入口から声をかけられた。
「セルビア」
「お母さん!」
最初に声をかけてきたのは母親だった。
セルビアが駆け寄っていくとそこには父親と、お迎えに来てくれた団長も一緒にいた。
「くれぐれも気を付けてちょうだいね。団長さんたちの言うことをよく聞いて。安全な旅を祈っているわ」
「うん」
母親がセルビアと正面から向き合ってそう言うと、セルビアはうなずいた。
「本当は次に会う時までに、集落に戻る算段をつけておくと約束したいところなんだが……」
母親の横で父親が申し訳なさそうにそう言うので、セルビアは父親に無理をしないようにと言う。
そしてこれまで、セルビアが集落にいられるよう尽力していてくれた事も知ったので、これまでの事も含めて、もう怒りはない。
事情を話してくれていたら変わったかもしれないけれど、それらが全てセルビアのためにしてくれていたことだと今は理解できている。
「わかってるよ、お父さん」
「すまないな」
自分の力不足を不甲斐ないと思いながらも、今はこうするしかないと父親は謝るが、セルビアはそうは思っていない。
「仕方ないよ。むしろ今回のことで踏ん切りがついたんだ。それにさ、こんな機会は滅多にないし、集落にいた時より遠くていろんな所に行けるんだよ。今まで散々買い物にも行けないとか言われてきたけど、今度近くに来た時は、お父さんやお母さんにたくさんお土産話を持って帰ってこられるって思ったら、今から楽しみで仕方がないよ」
もう決まったことだし、街にいた時だって、両親から離れてすごすことができたのだ。
その期間が今度は少し伸びるだけ。
そう考えたら気が楽だし、何より友達と一緒に旅ができることが本当に楽しみなのだ。
「団長さん、くれぐれもよろしくお願いいたします。私たちにできることがあれば」
父親と話をしている間に、母親が団長に頭を下げている。
「その時はお願いします。では、セルビアちゃんをお預かりいたしますね」
「よろしくお願いいたします」
母親の会話に父親も加わり、両親が一緒に何度もセルビアのために頭を下げる。
団長がそんな両親をなだめると、名残惜しいがテントに向かおうと言うので、セルビアはそれに同意した。
「じゃーね、とりあえず、新しい街についたら、手紙書くよ」
セルビアがそう言うと両親は手を振りながらそれに答える。
「楽しみに待ってるわ」
「待ってるぞ」
「うん。お父さんもお母さん、行ってきます!おかみさん、お世話になりました」
こうしてセルビアは宿で両親と宿のおかみさんに見送られながら、団長と一緒にテントに向かうことになった。
明朝から、サーカスは次の街に向けて移動を開始する。
本当ならギリギリの時間にお別れの時間を設けるべきなのだろうが、いかんせん当日は忙しくそのようなことに時間を割いている余裕はない。
そのため、両親は今日このタイミングで宿に来て、そこで見送りをしてくれることになった。
そしてこの先、セルビアと両親はしばらく会うことができなくなる。
今は別れたばかりだから実感が薄いかもしれないが、テントで過ごして、もしどうしても両親と離れるのが寂しいと感じるようなら、この街を離れる前にご両親に相談することができる。
出発してからでは手遅れだが、その前にこういった時間の猶予が与えられるのは、セルビアにとっても悪くないだろうと団長考えていた。
「セルビアちゃん、大丈夫かい?」
テントに向かう道中、団長が尋ねると、セルビアはうなずいた。
「はい。思ったより大丈夫そうです」
もっと悲しくなるのではないかと思っていたけれど、感傷的になることはなかった。
宿から出なければならないと宣告された時の方が衝撃も不安も大きかったくらいだ。
セルビアが明るく答えると、それを無理しているのではないかと心配した団長が言った。
「何かあったら言うんだよ。サーカスの団員は皆、家族だからね」
「ありがとうございます。改めてよろしくお願いします」
セルビアがお願いしますというと、今まで黙って横にくっついていたグレイが元気に吠えた。
「わぅわぅ!」
グレイは自分もよろしくと言いたいらしい。
団長はそんなセルビアとグレイを見て笑顔でうなずいた。
そうして歩いているうちに、気がつけばテントに到着していたのだった。




