団長の宿訪問
その話の翌日、団長がセルビアの宿を訪ねて来て、急遽話をしてくれることが決まった。
サーカスがこの街に滞在している期間が残りわずかなので、訪問の時間を調整していると出発を検討する余裕がなくなってしまうためだ。
「団長さん、ご無沙汰しております。セルビアが大変お世話になっております」
宿に早く到着した父親が、セルビアの部屋に向かおうとしたところで、サーカスの団長が入口にいることに気がついて声をかけた。
人影を見て誰なのかを察してすぐ頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそ。それより申し訳ありません、突然伺ってしまいまして」
不意打ちで出迎えられる形となった団長が、同じように謙遜して頭を下げる。
「いえ、それは大したことではありませんし、こうしてお礼を伝える機会をもらえたのはよかったと思っております」
ごちそうになって以来、サーカスには行っていない。
行けばセルビアにも会えるだろうが、自分たちのエゴで仕事の邪魔をしてはいけないと自重しているのだ。
だから団長にお礼を伝えることも難しかった。
こうして外で出会うことができたのは何かの縁だとそう考えた父親が改めてお礼を言うと、団長は周囲を見回してから小声で父親に言った。
「そういっていただけると。ところで、大変確認しにくい話なのですが」
「何でしょう」
セルビアに何かあったのか、もしくはセルビアが何かしてしまったのか、娘と同じ反応をする父親を見た団長がそんなことを思っていると、そこにセルビアがやってきた。
グレイが一緒にくっついているので、おそらく声を聞いたグレイがセルビアを連れてきたのだろう。
「お父さん、団長さん、部屋に入ってください。その方が話しやすいと思うし」
セルビアにそう言われた団長は、父親にお伺いを立てる。
「ああ、申し訳ないけど……、よろしいですか」
「はい。セルビアがそう言っておりますので」
セルビアから言い出したことだし、先ほど団長は確認しにくい事を聞きたいと言っていた。
それならば人に聞かれることのないセルビアの部屋に移動するのがいいだろう。
とりあえずセルビアの呼びかけに応じて、二人はセルビアの部屋に移動することになった。
「実は、団員から、セルビアちゃんがこの宿にいられなくなりそうだと、そんな話を耳にしまして」
団長にそう切り出された父親は、二人のお茶を用意しているセルビアの方を窺った。
セルビアに驚いている様子がない。
おそらくすでにある程度話をしてあるのだろう。
もしかしたらこの話が出ることが分かっているから部屋に通したのかもしれない。
そんな結論に至った父親は、正直に答えることにした。
「それは、お恥ずかしながら、実はそうなんです」
自分が力になれないことに対して落ち込んでうなだれた父親に、団長は本題を切りだした。
「それで、その話聞いたうちの団員から提案を受けまして、もし、本当に行くところがないのなら、サーカスに同行してもらってはどうかと」
団長も悪い人ではなさそうだし、一緒に働いているという女の子の事もセルビアは楽しそうに話している。
きっと彼らとうまくやっているのだろう。
集落の時のような扱いを受けなくて済むのなら、彼らと顔を合わせなくて済むのなら、その方がセルビアにとっても幸せかもしれない。
けれど本来ならば親が果たさねばならない責任を放棄して、それを彼らに任せるのは心苦しい。
だからもし、セルビアが少しでも邪魔になるようなら、その可能性を加味して判断しなければならない。
「サーカスにですか。ですがこの街で生活をさせるようになるまで、近くの集落から一人でここまで来させる事もしてきませんでしたし、ましてや旅などさせたことはありません。足手まといになるのではないですか?」
本人の希望が第一とはいえ、それで人様に迷惑をかけるのは間違いだ。
そんな思いから父親は団長に尋ねたのだが、団長は首を横に振った。
「それは問題ありません。販売で活躍してくれていますし、セルビアちゃんが常にいてくれたらこちらとしてはありがたいです。移動は皆一緒、動物たちもいますので非常にゆっくりですし、団体であることから、大きな危険もないと思います。動物たちもセルビアちゃんを気に入っているので、うちとしては、お手伝いをしてくれるのなら助かるのですが、セルビアちゃんにはきちんとご両親がいらっしゃいますから、まずは親御さんへのご相談だろうと、こうして尋ねてきたのです。近々ご両親と話をしたいと昨日伝えたばかりですから、大変急な申し出になりましたが……」
セルビアと同世代の女の子も同行できるようなペースだし、動物たちもいるので、サーカスの移動に無理はない。
成人男性やせっかちな人間からすれば移動が遅くてイライラするかもしれないけれど、皆で移動するのだから、一番ゆっくりの人に合わせるのが基本だ。
何より大きな動物はともかく、小さな動物もいて、彼らは人間より動きが遅いし、種類によってはその動物を人間が抱えて歩いて移動している。
つまり旅に慣れていない人の歩く速度の遅さなど、気にするような事ではない。
父親の疑問に対して団長はそう答えたのだった。
それにしても宿にいられなくなることが判明したのはつい先日のことだ。
それでもうここまで話が進んでいることに驚きを隠せない。
急な申し出なのはきっと、サーカスが近々、移動を開始するからだろう。
セルビアが同行するならこの街を出る前に結論を出しておかなければならない。
突然の事でこちらの心の準備が追いついていないが、悪い話ではないどころか、こんな事は滅多にない良縁だ。
これを逃したらこんなにいい話は転がってこないだろう。
本当なら母親と話をして決めたいところだが、その間に彼らが出発してしまったらセルビアの選択肢がなくなってしまうかもしれない。
話を聞いて一度こちらの意見を伝え、その上で持ち帰りにさせてもらったほうが良さそうだ。
とりあえず自分が判断するための情報がほしい。
おそらくここまで話が進んでいるのなら、セルビアの意思は固まっていると思うが、念のため父親は団長に確認する。
「それでセルビアはどう……」
父親がそうきりだすと、団長はきっぱりと断言した。
「セルビアちゃんは、同行を希望してくれています」
団長の答えを確認した父親が今度はセルビアに同じ問いを投げる。
「セルビア、そうなのか?」
するとセルビアは手を止めて二人の座っている間に立ってから、父親に向かって言った。
「うん。あのさ、一緒にテントでごちそうになった時、同じくらいの年の女の子が働いてたでしょ。私、あの子と友達になったんだ。それに他の人も、友達って言うには年齢が年上すぎて違うけど、みんな優しいお兄さんやお姉さんだし、動物たちもみんないい子なんだ。動物たちとグレイも仲良くしてる。だから大丈夫だよ」
どうやらセルビアの意思は決まっているらしい。
こうして話をしてみると、セルビアは相談もなく行く方向で話を進めなければならないくらい追い詰められてしまっていたのだなと、反省するところが多い。
自分たちが顔を出している時に何も言わないから、問題ないと思っていたがそれはきっとセルビアが自分たちを心配させまいとして強がっていただけなのだろう。
もしかしたらこれ以上迷惑をかけたくないという思いもあったのかもしれない。
父親は複雑な思い出セルビアを見つめるのだった。




