職業体験
結局サーカスで話をした後、テントを出ると、外はもうすぐ日暮れになろうと言う時間に差し掛かっていた。
サーカスのテントから外が見えないのでどのくらい時間が経っているのか分からなかったのだ。
セルビアはともかく、二人は森を抜けて集落まで戻る必要がある。
大人二人とはいえ、暗い森を抜けるのは危険だ。
だから二人はセルビアを宿まで送ると、すぐに別れて帰っていった。
こうしてセルビアはトラを助けた縁で、短期間ながらサーカスでアルバイトをすることが決まった。
集落からは仕事が決まったら補助を打ち切ると言われていたが、サーカスが街に滞在している期間しか働けないということもあって、今回は打ち切りの対象となっていない。
いきなり定職を見つけるのは難しいので、短期間でも仕事をして経験を積んでおけば後々有利になるはずだという口実も有効に働いた。
当然、宿もそのままだ。
その翌日、集落に戻ってすぐに話をつけた父親が早朝に訪ねて来て、集落には事情を説明してあるとセルビアに伝えてくれた。
サーカスは人気だし集落の人たちも興味を示していたので、セルビアが働く姿を目撃する人間が出るかもしれないと、両親はそう考えて先手を打ったのだ。
勝手に勘違いされて不利益を被るのはごめんだというのもある。
そしてそれをセルビアに伝えたのは、安心して働いてもらうためだ。
仮に一日だけになるかもしれないとはいえ、その一日で大行列になるほどの集客ができるサーカスなのだから、その中に一人くらい顔見知りがいてもおかしくない。
詳細を知らないセルビアが、もし接客中に集落の人間に絡まれたりするようなことがあっては困る。
だから、きちんと許可を取っていると即答できるようにしておいた方がいいだろうと判断してのことだ。
父親はそれを伝えたかったのだと、用件を伝えると仕事に戻ると帰っていった。
セルビアは少しそれを寂しく思ったけれど、そんなことを考えていると遅刻してしまうので、とりあえず準備を整えて、グレイと一緒にサーカスのテントに向かうことにした。
「いらっしゃいませー。お飲み物はいかがですか?」
テントに着いたセルビアは、特に説明を受けることなく、昨日何度かテーブルと往復したカウンターの中にいた。
セルビアに与えられた役割は、カウンター内からの呼びかけと、できた商品の引き渡しだ。
「お待たせいたしました。お茶がひとつと、果実水がふたつです」
後ろから送り出された商品を受け取って、それをすぐ渡せるようカウンターに置くと、商品名を大きな声で言って受け取りを待っている人を呼ぶ。
そして取りに来た人に渡すのだ。
ちなみに機能の女の子はセルビアの教育係を兼ねて隣にいて、まだ教えられていないお会計を担当している。
お会計をしている間に、商品がどんどんでき上がってくるので、スムーズに渡せるようにするのがセルビアの役目だ。
これで本当に役立っているのか分からないと思いながらの仕事だったが、一度混雑すると、この作業を繰り返し、声を出し続けることになった。
これとお会計を同士にやっていると人が溜まってしまうので、お会計と分けられるだけでも随分と楽になるのだと、終わってから教えてくれたので、セルビアはあれでよかったのだと安堵していた。
ちなみにその間、グレイはカウンターの外側、従業員が出入りする付近で大人しく体を丸めていたが、サーカスにはすでに多くの動物がいるためか、お客さんでグレイの事を気にするそぶりを見せる人はいなかった。
通常の飲食店や宿にグレイがいたら色々言われただろうけれど、ここならトラブルにならない。
つまりここで働いている間はグレイと一緒に行動できると、セルビアは胸をなでおろしたのだった。
初日の終わり、団長がセルビアにねぎらいの言葉を掛けた。
「セルビアちゃん、本当に働くのは初めてかい?手際が良いから助かったよ」
「ありがとうございます。お役に立ててよかったです」
セルビアがそういった頭を下げると、団長は笑いながら言う。
「ほんとに、初日とは思えなかったよ」
その言葉を聞いた指導係の女の子は、セルビアの隣で団長の評価に満足げにうなずいた。
「そうなんですよ。今日は飲み物の提供と呼びこみだけだったけど、フード作りなんかも任せられそうだよね。明日も来てくれるんだったらだけど……」
作られた商品の名前はすぐに覚えたし、呼びこみでも充分役に立ってくれている。
けれどこの仕事は初心者向けの仕事だし、セルビアならもっとできると評価してくれたようだ。
さらに明日以降も来てほしいとそれとなく言ってくれていて、必要としてもらえたことを嬉しく思い、つい、思った事をそのまま口に出した。
「フードって、あの美味しそうなのを作れるようになるってことですか?」
今日は奥から出てきた商品を受け取って渡していたけれど、食べ物を作るということは、自分が作ったものを渡す側になるということだ。
できることが増えるのは嬉しいし、自分がそれを作れるようになれば、宿でも似たようなおいしいものを自分で作って食べられるようになるということだ。
それに家に帰った時も、両親に振る舞うことができる。
「セルビアちゃん、興味あるかい?」
作れるようになりたいという感情を、漏れ伝わるほどに出したセルビアに、団長が確認する。
「はい!ああいう料理は作ったことないし、持ち運べる料理っていいなって、見て思っていました。しかも手軽なのに美味しかったので、自分で作れるようになったら嬉しいです」
見た目が軽食だからといっても簡単に作れるものではない。
最低限、包丁くらいは握っていてくれないと、教えている途中でサーカスが出発することになってしまうかもしれない。
ただ無碍に断ることはできないし、仕事ができるのは見て分かった。
だから団長はセルビアに尋ねることにした。
「それは家で普通の料理なら手伝いとかはしてたってことかな?」
ああいう料理は作ってない、つまり他の料理は作ったということだ。
この言葉の真偽を確認する術はないけれど、昨日の家族の様子を見れば、目の前の子供が嘘を伝えてくるとは考えられない。
聞けば素直に答えるだろう。
もしそこで経験がないと言えば断る口実になるし、他の仕事を案内することもできる。
この質問は排除のためのものではないのだ。
だから言葉選びに悩みながらそう口にした。
「そうですね。お母さんと一緒にですけど、料理もしてました」
家の中でできる手伝いは散々させられてきた。
買い物や待ちに行くことは認めてくれないのに、家の事だけはできないと困るからと叩きこまれてきたのだ。
ただ、仕事をするのはここが初めてだし、これを自分ができると言っていいのか分からない。
でもやったことがあるというのは嘘ではないし、是非新しい料理と仕事を覚えたい。
そんな思いでセルビアが答えると、団長ではなく女の子が言った。
「それなら簡単にできるんじゃないかな。じゃあ、明日はいくつかフードの作り方を教えてあげるよ!余裕がある時はお客さんに出す分をお願いするけど、あの人数が来るからスピードが問われるんだ。だから手早く作れるようにならないと、お客さん待たせることになるし、混雑がひどくなっちゃうから、慣れるまではその仕事だけをする担当にはなれないけど、でも覚えてくれたら、作ってる人を手伝ったりできるようになるからね」
「ありがとうございます。楽しみです」
セルビアは結局、サーカスがこの街にいる間、働き続けることに決めた。
同時にここにいる人たちに囲まれて働くのが、少し楽しいと感じられたのだった。




