トラさんのお迎え
「すみません!通してもらえますか!」
そう大きな声をあげながら人垣を割って現れたのはサーカスの団長だった。
派手な服装はそのまま、トラを探して走り回っていたのか、服も髪も乱れている。
先ほどのサルはどうやら団長を呼びに行っていたようだ。
偶然かもしれないけど、団長の肩に乗ってトラの方向を指しながら声を上げていたから、多分そうなのだろう。
もしかしたらサルはグレイに見張りを頼めればよくて、早くトラさんを楽にしてあげたいとセルビアを引っ張ってきたのは、事情を知ったグレイの独断かもしれない。
「皆様、お騒がせして大変申し訳ない!お嬢さんが止めてくれたのか!怪我はしてないかい?」
慌ただしく現れた団長は周囲の人たちに大きな声で謝罪をしてから、近くに立っているセルビアに声をかけた。
「私は大丈夫です」
セルビアがトラの頭を撫でながら答えると、団長もトラに手を伸ばした。
トラは大人しく二人に撫でられている。
「いつもはおとなしいのに、ここ最近不機嫌なことが多かったんだ。まさか抜け出すなんて。誰も怪我などしなかったのが救いだな。お嬢さんのおかげだよ。ありがとう」
団長にお礼を言われたセルビアは、トラの方をちらっと見た。
視線を感じたのか、トラはセルビアの方を一瞬見たが、すぐ団長の方に向き直る。
すると足元でグレイが体を伸ばして、くぅんと小さく鳴いた。
この二頭は自分たちの代わりに説明してほしいと言っているのかもしれないと察したセルビアは、お礼の返事を飛ばして団長に言った。
「あの、トラさんが不機嫌だったのって、首輪のせいだと思います」
「首輪?そうなのか?」
団長はそう言ってトラの方に顔を向けた。
トラがちょっと頭を下げたので、それを高低と捉えたのか、近くの首元を観察し始めた。
「えっと、ここ、ずっと食い込んでたみたいで傷になっちゃってるから、多分ずっと痛かったんじゃないかと思います」
セルビアがグレイがつついていたところを指差すと、団長がそちらに回ってきて覗き込んだ。
「どれ。ああ、これは痛いなぁ」
「ぐるぅ~」
傷を見た団長がそうつぶやくと、トラはそれに答えるように一鳴きした。
「そうか、気づいてやれなくて悪かったよ。もしかして、お嬢さんが緩めてくれたのかい?」
「はい」
セルビアが首輪を緩めたと伝えると、団長は申し訳ないと再び頭を下げた。
「こいつはいい奴だが、それを知っているのは俺たちだけだ、普通に見たら大きい動物だし怖かっただろうに、お嬢さんにはすまないことをしてしまったな」
「いいえ、大丈夫です」
確かに最初見た時は怖いと思った。
でもグレイに引っ張られて近づいても、トラは威嚇すらしてこなかったし、もちろん危害も加えられていない。
そしてこの短時間で頭や体も撫でているくらい、すっかり良い関係になっていた。
「脱走するほど追い詰めてしまったが、お前はいいお嬢さんに会えてよかったな」
「ぐるぅ~」
いいお嬢さん、その言葉をトラに肯定されて、セルビアは少し恥ずかしくなってうつむいた。
そんなセルビアをグレイは、どうしたのかと聞きたげにじっと見上げている。
たしかに首輪を緩めたのはセルビアだけど、トラさんのところまで案内してくれた功労者がいる。
グレイを見てそれを思い出したセルビアは、団長に伝えた。
「そうだ、元々ここにトラさんがいる事を教えてくれたのは、団長さんの肩に乗っているおさるさんですよ。おさるさんがグレイ……、ってこの子なんですけど、この子に助けって欲しいって伝えたみたいで、この子たちが私をトラさんのところまで案内までしてくれたんです」
それを聞いた団長は、しゃがみこんでグレイの頭を撫でた。
「そうか。キキが君に助けを求めて、君がお嬢さんを連れてきてくれたんだね。どうもありがとう」
「くぅ~ん」
さすがに団長だけあって、動物の扱いに離れているらしい。
グレイは目を細めて気持ちよさそうに頭を撫でられている。
「よかったねグレイ」
「わぅわぅ!」
セルビアにも褒められて嬉しいのか、グレイはセルビアの声掛けには元気に吠えた。
「キキもよくがんばったな」
団長はそう言いながら今度は肩の上のサルの頭を撫でる。
「キッキー!」
サルも褒められて嬉しいのか、団長の頭を抱えるように掴むとそこに体を寄せた。
団長が現場に来たため、離れた場所からトラを見ていた傍観者たちは解決を見て安堵し、周囲から引いていった。
「セルビア」
動けなくなっていた母親がようやく落ち着いたのか、人垣が消えてセルビアの姿を認めると、声を上げてセルビアの元に駆け寄ってきた。
そして母親を追う形で父親もやってくる。
「お母さん、お父さん」
セルビアが駆け寄ってきた両親の方を向くと、母親は念のためセルビアの体を撫でるように触って、怪我がないかを確認した。
「何もなくてよかった。見ていてハラハラしたわ」
「私もどうなるのかなって思ったけど、トラさんはいい子みたいだよ」
セルビアが心配する母親にそう言うと、自分はいい子だと主張するようにトラが喉を鳴らした。
「ぐるぅ~」
すると団長は慌ててサルから視線をはずして、セルビアの両親に頭を下げた。
「こちらのお嬢さんのご両親ですか?この度は本当にありがとうございました」
意識がセルビアにいっていたので、団長から突然お礼を言われて両親は驚いた。
「ああ、いえ、うちの娘がお役に立てたのでしたら……」
「そんなご謙遜を。うちのが怪我をさせなくてよかったですが、獰猛な動物と知られているこの子の前に出てくるなんて、勇気が必要だったことでしょう。それにご心労をおかけしたのは間違いありませんし」
大人たちが何かを言葉にしては頭を下げ、それが交互に繰り返されている。
そして彼らが大人の会話を始めたことで、セルビアは会話から取り残されていた。
でも近くにはトラもグレイもいる。
だから手の届くところにいたトラに声をかけた。
「トラさん、お迎えが来てよかったね」
「ぐるぅ~」
セルビアが話しかけると、トラが嬉しそうな声を上げた。
「くぅ~ん」
するとグレイがそう声を出した。
そちらを見れば、寂しそうな顔でセルビアを見上げている。
「グレイもお手柄だったよ」
そう言って空いている方の手でグレイも撫でると、グレイは満足そうに眼を細めた。
そしていつの間にか、サルはトラの頭の上に乗っかって、後頭部を滑り台のようにして遊んでいる。
傍から見ると、それはまるで、トラとサルの小さなショーを見ているような不思議な光景として映っているのだった。




