サーカスがやってきた
「珍しいね。二人そろってどうしたの?」
おかみさんに呼ばれて宿の入口に出て行くと、両親が並んで立っていたので、セルビアは喜ぶ前に驚いていた。
いつもはどちらか一人がセルビアの様子を見に来る生活だったが、今日は珍しく両親揃ってセルビアのところにやってきたのだ。
何かあったのか、家を空けて大丈夫なのかと思いながらセルビアが尋ねると、父親がそれに答えた。
「街にサーカスが来ているそうだ。せっかくならセルビアと三人で行きたいと思って、今日は休みだし、二人でこうして出てきたんだ。家にいる時は気にならなかったんだが、三人でこうして話したり顔を合わせるのも久々になってしまったしな。いい機会だと思ったんだ」
両親は毎日街に来ていたけれど、セルビアと一緒に来ていた時と同じように最低限の用事を済ませると真っ直ぐ帰宅していたようで、この街でサーカスの興行があることを集落の人づてに、聞いたらしい。
セルビアも出歩くのは最小限にしているので詳しくは知らなかったけれど、宿の食堂に来る多くの人がその話をしていたので、そのような催しものがある事だけは知っていた。
ただ、彼らの話を聞いていると、とても混雑している様子だし、入場するのにお金もかかるという。
もちろん生活費の中にお小遣いが入っているので、観に行けるだけのお金は持っているけれど、何となく一人では足を運びにくい。
何より、珍しいものなら、もしかしたらそこに集落の子供が来ているかもしれない。
今はまだ、できれば彼らと顔を会わせたくない。
集落に戻ることができないし、嫌な事も多かったため、思い出したくないのだ。
ということで、セルビアは一人で観に行くことは考えていなかった。
「ああ、そういえば宿泊してる人がそんなこと言ってた。サーカスって、珍しい動物たちが芸をするのを見られるんでしょう?」
セルビアが冷めた口調で他人事のように言うと、母親は対照的に弾んだ声でそれに答えた。
「そうみたいよ。サーカスの一団がいろんな街を回っているっていう話は聞いているけれど、私は実際に見たことがないの」
「お母さんも知らないんだ。私も見たことはないなぁ」
母親ですら見たことがないのだから、当然セルビアが知っているわけがない。
どうやら記憶のないくらい幼い頃、膝に乗せられて連れて行ってもらったという訳でもないようなので、そのくらい彼らがここに立ち寄るのは珍しいのかもしれない。
「そりゃあ、セルビアが行く時は皆一緒だろう」
まさかセルビアがいるのに留守番させて置いていくような薄情なことはしないし、子どものセルビアだけで行かせたりもしない。
セルビアの言葉に思わず父親が苦笑いをした。
「そうだよねえ」
セルビアがため息をつきながらそう言うと、母親は目を輝かせてセルビアに尋ねた。
「セルビアもよかったら一緒に行かない?」
一人だったら誰に会うか分からないから行かなかったと思う。
でも両親が一緒なら、集落の人間に出会っても何も言われないかもしれないし、嫌みを言われたとしても両親という味方がいる。
それならば人ごみに行くのに抵抗は少ない。
少し迷ってから、セルビアは行くことを決断した。
「うん。めったに見られるものじゃないみたいだし、珍しい動物さんたちも気になるし一緒に行くよ」
セルビアが行くと伝えると、母親が生き生きとした様子でセルビアの手を握った。
「よかった。じゃあ、早速行きましょう。すぐに出られるならそのままでもいいわよ」
そのまま手を引いて歩きだそうとするので、さすがのセルビアもそんな母親を止めた。
セルビアは出迎えに出ただけで、外出をするつもりはなかったので準備をしていない。
「お母さん、よっぽど楽しみなんだね。カパン持ってくるから待ってて。あとグレイもつれて行っていいよね?」
せめて外出するための準備をさせてほしい。
そう言うと母親に代わって父親が言った。
「ああ。グレイは……、たぶん大丈夫だろう。ここで待ってるから行っておいで」
父親の言葉に、母親は慌てて手を離す。
「すぐ戻るね」
セルビアはそう言うと急いで部屋に戻った。
「お待たせ」
セルビアがカバンを持って、グレイを連れてくると、母親は笑顔で言った。
「さあ、早くいきましょう!」
そして一人先に歩きだす。
思わず父親と顔を見合わせて、セルビアたちはそんな母親の後を追いかけた。
母親が足を止める事もなければ、迷う様子もないので、どうやら場所は事前に調べてあるようだ。
「なんかお母さんが一番楽しそうだね」
母親の後ろを歩く父親の横に並んでセルビアがそう言うと、父親は笑いながらセルビアに伝えた。
「ああ。今日は絶対セルビアと一緒にサーカスを観るんだって、実は昨日から楽しみにしててな」
どうやら昨日から母親はこの調子らしい。
そんなに楽しみにしていたのなら、あまり寝られていないかもしれないし、テンションが高いのも納得だ。
そしてふと、セルビアは思った事を口にした。
「そっか。今までは一緒に街に出掛けても必要最小限のお買い物をして帰るだけだったけど、今日は遊びに行くんだよね」
街で遊ぶという話を集落の子ども達から聞いたことはあった。
でもセルビアにその経験はない。
おそらくこれが家族で街に行って遊ぶということのひとつなのだろう。
セルビアが何の気なしのそう口にすると、父親は気落ちした口調で返事をした。
「そうか……。そうだな」
これまではセルビアと何事もなく集落に戻ることを重視していて、街では何もしてこなかった。
もしまた動物たちが寄ってくるようなことがあったらと思うと、長く集落から離れることが不安だったからだ。
セルビアが街に来てから一人で遊びに行く様子がないのは、もしかしたら遊ぶ場所も方法も知らないからかもしれない。
一人でおつかいどころか、普通の子供なら経験してもおかしくなかった事を、セルビアに経験させてこなかったということだ。
いくら本人の事を考えての行動だったとはいえ、どれだけ残酷な事をしてしまっていたのかとセルビアの立場で考えたら、父親としては耳が痛い。
セルビアの言葉にどう答えていいか分からず、父親はその返事から言葉が少なくなった。
セルビアはそれを気にする様子もなく、話が終わったものと解釈して前を歩く母親の後を追う。
グレイはそんな二人の様子を伺うように時々セルビアと父親を交互に見上げていたけれど、セルビアから離れる様子はなく、彼女のペースに合わせて足に擦り寄る形で歩くだけだった。
こうして両親とグレイ、三人の一頭でサーカスの会場となっている広場に向かうのだった。




