宿初日
宿にある設備などの案内受けたセルビアたちは、荷物を整理するため自分の部屋に戻ってきた。
母親は改めてその部屋をじっくりと見てため息をついた。
「お母さん、疲れたでしょう」
ため息を歩きまわって疲れたものだと捉えたセルビアがそう言うと、母親は近くの椅子に座って、さらに部屋の中を見回す。
「そうね。でもいいお宿でよかったわ」
「うん。私も気に入ったよ」
セルビアがベッドの上に座って答えると、ベッドの脇に寄ってきてセルビアの足にすり寄ってからグレイが体を丸くして寝る体勢に入る。
そんなグレイの微笑ましい様子を見て、母親は思わず笑みを浮かべた。
「部屋も動物を入れることを想定しているからか広めのようだし、簡易キッチンがあるのはありがたいわね」
これならば深夜や早朝にお腹がすいたり、グレイの水を用意するのを忘れても、そのためだけに外に出る必要はなさそうだ。
家とは違うし、たとえ宿という家の中にいるとしても、人気の少ない時間に部屋から出るのは外を歩くのと変わらない。
しかも夜は多少酒も提供しているらしいので、外に出れば酒の入った大人に絡まれる可能性もある。
母親は、そういったことが面倒だからというだけではなく、安全面からよい環境だと思ったのだ。
セルビアもキッチンを見てうなずく。
「食材を置いておけばお湯も沸かせるし、調理も、簡単な洗い物もここでできそうだからよかったよ。洗濯は外を借りられるみたいだったけど、下着とかはここでもいいわよね」
セルビアがキッチンでできそうな事を口に出すと、母親は相槌を打った。
「そうね。それよりここで休んだら根が生えてしまいそうだから、荷解きもしてしまいましょう」
母親はそう言うと立ち上がって自分の運んできた食料をキッチンの周辺に置いた。
そして使いやすいよう仕分けをしておいていく。
セルビアもそれならばと自分の荷物を広げて衣類などカバンから出してクローゼットにかけたりと動き始めた。
そうして荷物の整理を終わらせたセルビアと母親は、宿の食堂で一緒に昼食をとることにした。
グレイは寝ていたのでそのまま部屋でお留守番させている。
セルビアがこうしている間は、気軽に食事を一緒に取ることすらできないのだと思うと少し寂しさを覚えるが、それを表に出さないよう、二人は食事を口に運んだ。
「おいしいわね」
「うん」
出された食事の味が口に合うものだった母親が安心してそう言うと、セルビアもそれに同意する。
「お口に合ってよかったよ」
「はい」
二人の会話を聞いていたおかみさんが、ニコニコしながら言うと、セルビアは素直に返事をする。
「これを食べたら、私は戻らないといけないわ。家のこともやってないし、森は思っているより早く暗くなってしまうから」
母親はこの時間の名残を惜しむかのように言う。
「わかった」
セルビアの返事を聞いて、不安がないのなら良かったと思いながら、やはり心配が尽きない。
「ちゃんといい子にしてね」
母親が思わずそんなことを言うと、セルビアは胸を張った。
「うん。大丈夫だよ。今日は外にも出ないつもりだし。食事がおいしいのは分かったから、起きてたら夜もここで食べようと思う」
傷む前に持ち込んだ食材は使わなければならないけれど、別に今日でなくてもいい。
そもそも必要なものは持ち込んでいるので、外に出る必要がない。
消耗品はいずれ買い足すことになるだろうけれど、初日でそんなことにはならないはずだ。
そんなセルビアの言葉に、おかみさんは嬉しそうに言う。
「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃないか。食べ物で嫌いなものがあったら言っとくれ。除くか違うのにしてあげるから」
「ありがとう」
そんな話をしているうちに二人は食事を終えた。
そして母親は家に帰るという。
街から集落まで、短い距離とはいえ動物がたくさん生息する森を通って帰らなければならない。暗くなって獰猛な動物が活動的になったら危険だし、そうでなくても暗闇の中を人間が、ましてや女性が一人で歩くのは危険だ。
そのため、母親は明るいうちに集落まで戻ることにしたのだ。
「すみません、慌ただしくしてしまって。よろしくお願いします」
おかみさんとセルビアは母親を宿の入口まで送りに出た。
そこでしきりに母親がおかみさんにセルビアを頼むと頭を下げる。
「大丈夫だよ、任せときな!それに明日も来るんだろう?」
あまりにも心配するのでおかみさんがそう言うと、母親は自分か父親のどちらが来るかは分からないが様子は身に来るつもりだと返した。
「はい。私か主人が」
「まあ、心配なのはわかるけどね、このくらいの年齢になると意外としっかりしているもんだよ。それに私は宿の中のことはできるけど、あんたを送っていくことはできないから、暗くなる前に出た方がいいんだろう?」
このままではいつまでも帰れない。
結局入口で少し話し、最後はおかみさんに追い立てられるように母親は宿を後にすることになった。
母親は何度も心配そうに振り返っていたけれど、見えなくなったのか、しばらくしてまっすぐ歩いて森に向かっていく。
セルビアはおかみさんにお礼を言って部屋に戻ろうとすると、セルビアはおかみさんに呼び止められた。
「そうだ、えっとセルビアちゃん。ちょっと待ちな」
「何ですか?」
そう言ってセルビアを待たせると、食堂のキッチンに入って行き、何かを持って戻ってきた。
「これ、部屋に持っていきな」
料理で使った残りなのか、集めた生肉を集めて皿に乗せたものを渡される。
「これは?」
セルビアが食材を持ちこんでいるから調理に使うようにということだろうかと思いながらその肉を眺めていると、おかみさんは笑いながら言った。
「グレイちゃんのだよ。部屋でおとなしくお留守番させてんだから、ご褒美あげないとかわいそうだろう?」
グレイは部屋で寝ていたから置いてきたけれど、おかみさんはセルビアが気を使って部屋で留守番をさせていると思ったらしい。
「もらっていいんですか?」
セルビアが聞くと、おかみさんはうなずいた。
「もちろん」
「ありがとうございます」
言われてみれば自分の食材は持ち込んでいるけれどグレイのためにミルクなどを用意することは忘れていた。
それもあって、セルビアはおかみさんの好意に甘えて、差し出されたものを受け取って部屋に戻った。
一人で部屋にいると、家の生活音とは違う物音や、人の話し声が部屋まで聞こえてきて、その度に、ここは家ではないし自分の部屋ではないのだと認識させられたが、しばらくここで生活をする以上、これらにも慣れなければと、セルビアは時々グレイを撫でて気持ちを落ち着かせてはベッドに横になる事を繰り返した。
そうして宿に入った初日は過ぎていったのだった。




