自分の部屋
門に到着すると、待っていたのは母親の方だった。
「お母さん!」
セルビアがその姿を見て駆け寄ると、母親はセルビアの方を見て微笑んだ。
「ちゃんと来てくれてよかったわ。行きましょうか」
「うん」
もしかしたら別れが惜しくなってここには来ないかもしれないと母親は思っていたらしいが、セルビアはそんなことは考えていなかった。
ちゃんと昨日一日かけて覚悟を決めて別れを告げてきたのだ。
寂しくはあるけど未練はない。
それに新しい生活が始まったら考えている余裕などないだろう。
何より、グレイもハリィもラビィも一緒に来てくれているし、牧場には老夫婦もいる。
頼れる大人が近くにいるし、一人ではないから心細さもない。
港離れたことに対して寂しくはあるけど、また会いに来てくれると約束もできたし大丈夫だとセルビアは自分に言い聞かせる。
合流した母親と二人、晴れ渡る草原を歩き、前に尋ねた一軒家の前までくると、母親がドアをノックした。
するとすぐにドアが開いて、奥さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃい。待っていたわ。どうぞ入って。荷物があるでしょうからまずはお部屋に行きたいのだけど……、二階まで運べる?」
奥さんの嬉しそうな出迎えに安堵しながらセルビアは質問に答えた。
「大丈夫です」
ここまで一人で荷物を持ってきたので問題ない。
奥さんはこれから住むのだから他にも荷物があると思ったようだが、旅を続けてきたこともあって、少なめのもので対処することに慣れており、自分で運べる量しか持っていないのだ。
とりあえず問題ないとセルビアが答えたので、奥さんは気にしながらも中に通してくれた。
そして前を歩いて階段を上り、一つの部屋のドアの前に立つ。
「じゃあ、セルビアさんにはこの部屋を使っていてもらっていいかしら?」
いずれは自分たちが出て行くので自由に部屋を変えてもらえるが、住んでいるため、その部屋は空けられていないと奥さんが申し訳なさそうに言う。
セルビアからすれば、これからお世話になるのに部屋をもらえるだけで充分だし、前に見せてもらったきれいな部屋だと知っているので問題ないと答えた。
「あの、この子たちは……」
ここは動物が一緒に泊まれる宿ではなく、住居だ。
きれいに整えてもらった部屋に、グレイたちを入れてもいいのかとセルビアが不安そうに尋ねると、奥さんは笑って言った。
「一緒で構わないよ。今は私たちの家という感覚だろうけど、本当なら私たちの方が居候なんだから。この間もおとなしくしてたし、家の中を暴れまわったりはしないでしょう?」
住んでいる間に家を荒らすようなら困るけど、セルビアと一緒に部屋で過ごすことは特に制限しないことにしたらしい。
前回の見学でグレイたちが何かしでかしていたら対応は変わったかもしれないけど、いい子にしていたから、老夫婦が同居している間も部屋に入れていいと言ってくれた。
「じゃあ、みんな一緒に部屋に入ろうか」
セルビアが声をかけるとすぐに返事が来る。
「がうがう!」
「ぴぴー」
グレイと背中のハリィが返事をし、異論がないらしいラビィはグレイの背中でおとなしくしているので、セルビアはドアを開けてグレイを先に通すと、廊下の二人に軽く会釈してセルビアも中に入ってドアを閉めた。
セルビアが部屋に入っていくのを見送って、奥さんは母親に声をかける。
「お母さんは、泊っていくなら向かいの部屋でいいですか?空いているベッドがそこにしかないもんで……。ああ、今持っている荷物もそちらに置いてもらって、少し休んでください。昼食は用意しているんで、できたら呼びますから、それを食べながら仕事の話をしましょう」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、お部屋をお借りします」
そう言って母親も案内された部屋に入っていった。
部屋のドアを閉めて荷物を置いて、部屋を見回してからセルビアがつぶやいた。
「自分の部屋なんて久々かも」
その言葉に堪えるのは足元に立って頭を摺り寄せてくるグレイだ。
「くぅーん?」
グレイからすればテントも宿もここもさほど変わりがないらしい。
何となく疑問を持たれていることを察したセルビアがグレイを撫でながら言った。
「宿はやっぱり宿だったし、テントも仕切りはあったけど布一枚で仕切られてるだけだったから気を使ったけど、ここでは気にしなくてよくなるんだね、あ、でもまだ一緒に住んでいる人がいるんだから、騒いじゃ駄目だよ?」
セルビアがグレイと、背中の二匹に言うと、グレイははすぐに返事をする。
「がうがう!」
「グレイは心配してないんだけどねぇ……」
グレイは家に来た時も宿に住むことになった時も、優秀すぎるくらい、いい子だった。
なのでセルビアはグレイが何かするとは思っていない。
セルビアの言葉を聞いていたのか、次に反応を見せたのはハリィだ。
「ぴっ!」
ハリィも元気に返事をする。
「ハリィ、ラビィのこともよろしくね」
「ぴー」
めったに声を発しないウサギのラビィはこの会話を聞いているはずなのにグレイの背中でごろごろしている。
なのでいつも一緒のハリィにラビィのことを頼むと、ちょっと頼もしい返事が来た。
とりあえず荷物をベッドの横に移動させると、グレイはいつも通り足元の近くの床で体を丸めた。
セルビアはグレイの寝ている近くのベッドに腰を下ろして、再び部屋を見回した。
「ずっとここにいていいんだっていう部屋って集落の家以来だなぁ。休んできていいって言われたけど、また落ち着かないや。そのうち慣れるかな」
休んでいいと言われても、ここで寝てしまうわけにはいかない。
慣れない部屋だし落ち着かないとセルビアが部屋を見回したりグレイを撫でたりしていると、ドアがノックされた。
「セルビア、様子を見に来たわよ?」
ドアの外から母親の声がしたので、セルビアは立ち上がってドアを開けた。
「お母さん。入って。何か落ち着かなかったんだ……」
慣れない土地の宿より落ち着かない。
セルビアはそういうつもりだったが、母親は慣れない部屋で泊ることが落ち着かないと捉えたようで、とりあえず落ち着かせようと言葉をかけた。
「この間見せてもらったお部屋でよかったわね」
「うん……」
確かに一度見せてもらった部屋だ。
知らない部屋ではない。
セルビアがとりあえずうなずくと、母親はふと枕元の近くに置かれたカバンを見て言った。
「あら、荷物はそのままなの?」
「うん」
「中身を出して片付ければいいのに」
休憩と言われているがそこには荷物整理の時間も含まれているだろう。
落ち着いて夜にやるのもいいが、暗いところで作業するより、日差しの入る明るいうちに作業をした方がいいのではないかと母親が言うと、セルビアはそんなこと考え付かなかったと口にする。
「あー、そっか……」
「そっかって……」
あきれたように言う母親に、セルビアはこれまでのことを説明する。
「今まで宿には泊まることがあったけど、すぐに移動するから、できるだけ荷物は出さないようにしてたんだよ」
宿に泊まれるのは最大で興行の日数の内の数日だけだ。
それなのに荷物を広げてしまうと、片付けに時間を取られてもったいないので、だんだん荷物を出さないようになった。
できるだけカバンに収めてあれば、すぐに移動できるし、それはテントでの生活でも同じだった。
この方法がサーカスの生活においては一番楽なのだ。
「旅回りだとそういうところも気にしないといけないのね」
母親が感心しているとセルビアは照れ笑いする。
「だからいつもの癖で……」
習慣になっているのでこれが楽だとセルビアが言うと、母親は小さく首を横に振った。
「まだ着いたばかりで慣れないものね。セルビアがいいなら、しばらくそのままにしておいてもいいでしょう。荷物の整理を手伝おうと思ったけれど、これから一人でやらなければならないのだもの。自分の生活しやすいようにした方がいいわ」
「ありがとう」
結局自分たちはずっと一緒にいられない。
近くに住んでいるからできる限り毎日通うつもりではあるけれど、結局一人で暮らすことになるのだ。
ならばセルビアが好きなようにすればいい。
クローゼットなども備え付けてあるが、カバンに入れておく方が楽ならそれでいい。
ここで生活していくうちに服などが増えたら使うことになるかもしれないが、そのタイミングだってセルビアの自由にさせるべきで、自分たちのやり方を強要する必要はない。
手伝いを必要とされないことを少し残念に思ったが、そういう環境に追い込んだのが自分たちだという自覚があるので、自分の希望を押し付けることはできない。
とりあえず休憩と言われたのだから二人で話をして声がかかるのを待てばいいだろう。
母親はそう判断し、セルビアの部屋で椅子を借りて腰を下ろした。
セルビアは先ほどと同じようにベッドサイドに座って、母親の方に体を向ける。
そうして二人、他愛ない話をしながら、奥さんから声がかかるのを待つのだった。




