サンタさんが来ない家
暗い空より、粉雪が舞い降りていた。
大事に着用しているが、ややくたびれた外套に降り積もった。
頭上の微かな冷たさが、刻々と増している実感が増す。
この時期の街を闊歩すると、煌びやかなクリスマスツリーが飾られているものだ。
それを見るといつも過去の記憶が掘り起こされ、途端に黒い感情が呼び起こされる。
「お父さーん! わたしお人形さんがほしーい!」
「おれはゲーム!」
「ははは。いい子にしていたら、サンタさんがクリスマスにくれるはずだよ」
無邪気に親にプレゼントをねだる、はしゃぐ子どもたち。
かわいらしい声が、少し距離が離れた私のところまで届いてくる。
なるべくそれを見ないように、聞こえなくするために少し遠回りをして目的地へと向かう。
いい子にしていても、サンタはこない。
子ども時代、嫌というほどに思い知った。
貧困家庭。
自分は母子家庭で育った。
クリスマスなんて来なければいいのに。
冬が来る度にそう思うくらい、経済的に追い詰められていた。
女手一つで私を育ててくれた母は、過労が祟って若くして死んだ。
やっとの思いで私が就職してから、すぐのことだった。
幸い当時の会社の同僚は素晴らしい人格の方ばかりで、私の境遇に同情して色々面倒を見てくれた。
寿退社する時には、泣いてくれる人もいた。
「おはようございます。(そこからが、この人生の短い絶頂期だったな)」
「はい。おはよう」
職場にたどり着いた私は、思考を切り替える。
勤務先の店長に挨拶し、仕事着に着替えた。
少し前に慣れてきた仕事を、淡々とこなしていく。
ここ以外に働く当てのない私には、ミスは許されない。
集中して業務に励む。
社会に出るまでの私は貧苦に苛まれながら育ち、結果として必死に勉学に励んでいた。
そしてなんとかある程度の大学に入学し、それなりの企業に勤められたのだ。
勉学一筋で男っ気のなかった私にも、そこで運命の人と巡り会えた。
そしていつしか結婚し、待望の子どもが生まれた。
順風満帆とはいかなかった。
鍵っ子だった私は、子育てのことなど全く分からず、何もかも手探りであった。
そんな私を、懸命に支えてくれた夫。
二人で悪戦苦闘しながら、育児に励んだ。
時には喧嘩をしたこともあった。
それでも確かな幸せがあった。
夢見ていた暖かな家庭を、手にすることができていた。
「お先に失礼します」
「はい。お疲れ様」
就業時間を迎えると、すぐにパート先から出る。
子どもが寝たら、警備の仕事だ。
深夜での業務なので、少しでも仮眠を取らなければ。
歩く速度を速める。
時間を無駄にしていい余裕などない。
「――――――――っ! 寒いわね……」
震えながら独り言ちる。
空には暗い雲が多く、雪が降っている。
そんな日には、あの日のことを思い出す。
この子が生まれて、三年と少しが経った頃。
夫の死を知った。
ありふれた病だ。
だがそんなことは、私の悲しみには関係がない。
それからというものは、妥当な推移であろう。
あの忘れたい記憶と同じような暮らしを、選ばざるを得なかった。
この不景気で再就職先もなかった。
子供の面倒を見なくてはいけない以上、さらに仕事は限定されてしまった。
私も夫も、頼れる親族がいなかったことも不幸であった。
暖を取ることすら覚束ない、ひもじい生活の連続。
冬は嫌いだ。
「ママ! お帰りなさい!」
「ただいま。今から夕飯作るからね」
「うん!」
ドアを開けると、眩しい笑顔。
小さな男の子が、私を満面の笑みで出迎えた。
それまで心を満たしていた暗澹たる気持ちも、この笑顔を見れば途端に吹き飛ぶ。
笑顔が漏れ出て、しゃがみこんで小さな頭を撫でた。
台所に向かい、生きる糧を作る作業に入る。
「ママ」
「どうしたの?」
そして話題は次々と移り変わり、ある変化が訪れた。
料理を食べ終えたころ、改まった口調で話しかけてきた息子。
やけに固い面持ちで、私の瞳を直視している。
きっと何かあったのだろう。
この子らしくない、暗い表情。
私は何を言われるのかと、心配になった。
この子も小学2年生。
ようやく学校にも慣れてきた頃だ。
日々楽しそうに、近況報告をしてくれる。
私は学生生活を懐かしみながら、この子の幸せな気持ちを聞いている。
楽しんでくれているようで、本当によかった。
この子にだけは、辛い想いはさせたくない。
そんな想いをしないといけないのなら、私だけでいい。
「――――――――ねぇ……サンタさん。うちにも来るかなぁ」
「…………っ」
ごめんね。
そんな言葉が漏れそうになったが、口を噤む。
涙腺を堪えながら、言葉を絞り出そうとする。
だが何も出てこなかった。
喉の奥につかえる、惨めな感情があったからだ。
「あのね。来週クリスマス会があるの。そこでクリスマスに何が欲しいか、発表することになったんだぁ」
「そう。そうね」
先ほどまでとはまた違う、胸騒ぎがした。
何を言うのか、この時点で分かったのだ。
私も同じような経験をしていたから。
周りの幸せそうにしていた子たちが嫌で、憎くて。
そんなことを思った自分が、一番嫌いになったから。
たまに食べることができたケーキも、周りの子が自慢していたプレゼントの話を聞いて、惨めになったから。
その時の私と、おそらく同じ顔をしているのだろうと、目の前の歪んだ表情を見て直感的に理解したからだ。
「今日の帰りに、友達とその話をしたんだよ。でも僕……去年も一昨年もサンタさんから、プレゼント貰えなかったよね。でもね。その子はいろんなプレゼントを貰ってて。だから嫌な気持になって…………酷い事……言っちゃったんだ…………」
「それは……謝らなくちゃね」
「…………うぅ…………ふ……ぐぅ……!」
「よしよし。明日になったら、きっと仲直りできるわ。きっと…………」
嗚咽を漏らすと、瞼から次々と悲しみの証が流れ落ちた。
そのまま泣き疲れ、寝てしまった息子。
その隣に寄り添い、その顔を見つめる。
血を分けた我が子。
ぷっくりと丸い顔。手も紅葉のように小さい。
まだ守らなければならない、小さな命。
こんなに愛らしいのに、こんなに愛しいのに、こうさせてしまったことへ惨めに思う。
痛いほどその気持ちはわかるのに、私はその原因なのに。
なんで、何もできないんだろう。
無力感に打ちひしがれる。
この子に幼い頃の記憶が、まだ残っているかはわからない。
クリスマスプレゼントを3歳の時にサンタさんから貰った時には、拙い言葉で喜びと感謝の言葉を述べていた。
その嬉しそうな声を聴くと、頑張ろう。
来年もこの声が聞こえますようにと、私の方がワクワクしたものだ。
今はこの子の大好きなハンバーグも、ずっと食べさせられていない。
この子は父からプレゼントを貰ったことを、覚えているだろうか?
心の底から喜んでいた、私たちの大切な記憶。
それを一瞬、忘れてしまえばいいのにと思った自分を、心の底から自己嫌悪した。
「…………」
「ごめんね。ごめんね……!」
あどけない寝顔に謝り続ける。
ただの卑劣な自慰行為でしかない。
それでも精神の均衡を守るためには、私にはそうするしかなかった。
この子を泣かせてしまったのは、私だ。
プレゼント自体がもらえないことの寂しさよりも、サンタにいい子だと認められなかったことが。
みんなに置いてきぼりにされたような孤独感が、胸を苛むのだ。
私は学生時代。
幼き日の欠落を埋めるように、アルバイトをして自分へのプレゼントを買った。
何の慰めにもならず、虚しさがこみ上げるのみだった。
だから、年末が近づくにつれ、勉学に打ち込んだ。
お金のない私ができることなど、それくらいしかなかった。
それからはオモチャ売り場やケーキ屋さんなんて憎たらしくて、一切近づきさえしなかった。
「…………やらなきゃ……私がやらなきゃ……」
内職を頑張ろう。
この子のためなら、なんだってやれる。
私の分の生活費を切り詰めれば、どうとでもなるはずだ。
それでかき集めたお金で、この子に……
決意を新たに、仕事に励む。
眠気が襲い掛かって来ても我慢し、あの子の泣き顔を思い出し己を鼓舞する。
それから数日間、無我夢中で仕事に打ち込んだ。
この時点で思考が鈍っていることに、気づくべきだった。
「―――――――ママ…………? ママー――――!?」
「………………………」
そんな日が数週間続いた頃。
本格的な寒波が、この地にも到来したというニュースが報道された時。
自宅である安アパートの台所にて。
私は倒れた。
「―――――――ここは?」
「…………あっ! お目覚めになられたんですね!」
目を開けると、白を基調とした空間に居ることに気が付く。
ぼんやりとした頭で、状況を把握することに努める。
ナース服を着た女性が、横になっていた私の隣にいた。
ぎょっとした私は、その顔をまじまじと見つめてしまった。
しかし気を害した風もなく、彼女は優しく私に声をかける。
「意識ははっきりしていますか? この指が何本あるかわかりますか?」
「ええ。二本…………あの、私は何故ここに……?」
「過労で倒れたんですよ。息子さんが救急を呼んでくれたんです。まだ小さいのに、よくできた息子さんですね」
「それは…………そうでしたか……ありがとうございます」
誇らしかった。
幼い息子は異常事態に、的確に対処してくれたのだ。
我が子の成長を、純粋に嬉しく思う。
だが焦燥感は介在していた。
恐る恐る、脳裏を掠めた懸念を口にする。
「あの……仕事があるんです。いつ退院できますか?」
「3日間は様子を見て、入院をお勧めします。何か異常があるかもしれませんので、念のため再検査をすることを推奨いたします」
「そんな……入院…………そんなお金なんて、どこにも……」
眩暈がした。
なぜこんなにも、まるで呪われているかのように私ばかりこんな目に合うのだ。
幸せになってはいけないのか?
すべて奪われていくのか。
目の前が暗闇に覆われたような幻視がした。
悔しくて、悲しくて、泣き叫びたかった。
なけなしの理性とプライドが、それに蓋をした。
「―――――――ママ!」
「あ…………心配させちゃったわね。ごめんね……」
思考に没頭していたからか、隣に息子が来ていたことに気づかなかった。
しばらく時間が経っていたようだ。
いつの間にか、空から夕焼けが差しいっていた。
部屋の蛍光灯が、明かりを灯している。
私の息子は、しばらく私にしがみついて泣いていた。
その頭を、無言で撫でる。
こんな私が慰めていいことではない。
体調管理すらできなかった、愚かな母親が悪いのだから。
自分の子どもをずっと守らなければならないのに、本末転倒だ。
そんな折に、意図しない言葉がこの子から聞こえた。
思わず耳を疑い、私は聞き返した。
「ごめんなさい」
「え?」
「僕、知ってたんだ」
知っていた?
何を……
「サンタさんの事」
息を呑む音が、自分の喉から聞こえた。
世界が止まった。
身じろぎすら、できなかった。
そんな私を差し置いて、次々と述べられた真実。
私の心は、大いに揺るがされた。
「お父さんが死んじゃった次の年にね。僕が寝た時にママが何かしてたの、知ってたの。3年前のクリスマスの時もそう。いつも夜遅くにママが帰ってきたとき、ドアの音で起きるから」
「………………………っ!」
「この前、プレゼントが欲しくて……ママに意地悪しちゃったの。だから頑張ってくれたんだよね。ごめんなさい……」
そう言って涙ぐむ幼児。
私はこの子に、こんな思いをさせたくなかった。
小さな夢の世界を壊してしまった。
自分のせいだ。
そんなに昔から、私は私の一番大事にしていたものを裏切っていたのだ。
だから、この子に親を試すような真似をさせてしまった。
親子の愛を疑わせてしまったのだ。
私は、何てことを……!
「こんな悪い子に、サンタさんなんて来るわけなかったよね……ごめんなさい……」
「いい子よ。あなたはとてもいい子。ママが悪いの。ママが悪い子だったから、あなたのプレゼントは取られてしまったの。ごめんね……ごめんね……! 本当にごめんなさい。駄目なママでごめんね……」
子どものように泣きじゃくる私を、この小さな男の子は一生懸命に小さな手で撫でていた。
優しい子だ。
この子に。
今も涙を流しながらも、どうしようもない私を慰めてくれている息子に、子どもがすべきでない気遣いを強いてしまった。
そんな自分が情けなくて、憎たらしくて、悔やんでも悔やみきれなかった。
どうすればいいのかわからなくて、感情がこみ上げて涙が滂沱として流れ落ちる。
この子の前では、決して弱い姿を見せまいとしてきたのに。
強くあるべき親なのに。
その間に、いつの間にか息子は泣き止んでいた。
今も情けなく涙を止められない私のことを、心配そうに見つめていた。
強い子だ。
そう育ってくれたことに嬉しく誇りに思うとともに、己の浅ましさが嫌になった。
この子はそんな私を安心させようとしたのか、笑顔である一言を告げた。
宣言されたその言葉は、私の目を驚愕に大きく開かせた。
「あのね! 僕、大きくなったら、サンタさんになる!」
気丈にも発された決意。
その表明は自分のような悲しみに暮れる子供がいない、貴き世界を目指すという美しい志。
「それでクリスマスは、みんなが楽しく過ごせる日にするんだ!」
「そう……すごいわね。本当にかっこいいわね……!」
誇らしかった。
我が子の成長が、本当に。
いつの間にかあの人の面影が、この子にも感じられるようになるくらい。
こんなにも大きくなっていたのだ。
「絶対だよ! 僕、ママにもプレゼントをあげるね!」
「いいのよ…………もう素敵なものを、かけがえのない一番大切なものを、もう手に入れていたのだもの…………」
「そうなの? ならずっと大事にしないとね!」
「ずっと大切にするからね」
指きりげんまん。
小さな、だが実像よりも大きく見えた指と、約束をする。
私が最後に、サンタさんに願うプレゼントはこれ。
この子を、せめて立派に育てよう。
パパのような素敵な人になりますように。
誰かを思いやれる、優しい大人になりますように。
いつまでも健康でありますように。
尊き心を、大切に育めますように。
雪の降る街。
夜空に向かって祈る。
その向こうに夢を運んでくれる、素敵な装束に身を包んだヒーローがいることを信じて。
あの頃は嫌いだったけど、今はとてもかっこいい存在に思える。
それは息子から私への贈り物だ。
だからこの子の素敵な願いごとを、いつかプレゼントしてくれませんか。
どうか、叶いますように。
このように悲しむ子供たちが、少しでも幸せなクリスマスを送れますように。
そう思った方は、広告下↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
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