大事件っつ! Re: 張り紙かと思ったら人生の教訓
日常の中には、ときどき予想外の「大事件」が転がり込んでくる。
ただし、それは決してニュースになるような大ごとではない。むしろ、ふとした瞬間に出くわす「なんでこんなものがここに?」という小さな違和感だ。
今回の「大事件」も、そんな一幕から始まる。
ウーバー配達の合間に立ち寄ったドラッグストアで、俺が目にしたのは一枚の張り紙。たった十数文字のその文章に、思わず立ち止まり、人生まで振り返る羽目になった。
「うばっつ」は、大事件が小事件で、小事件が大事件になる物語である。
さあ、今日もくだらない日常に、ちょっとしたドラマを探しに行こう。
昼の配達の合間に、ふらっと立ち寄ったドラッグストア。喉も乾いたし、トイレも借りておくかと奥へ進むと、ドアに一枚の張り紙が貼られていた。
「小便器に大便をしないでください」
……。
俺は数秒、その場で固まった。
張り紙ってのは注意喚起の最後の砦だ。つまり、ここにこう書かれるまでに、実際に「やったやつ」がいる。いや、やったやつが複数いる。だからこそ、こうして誰もが目にするドアの真ん中に、極太マジックで殴り書かれているわけだ。
「小便器に大便」――人間の尊厳を逆撫でするパワーワードである。
俺の脳裏には、勝手に再現映像が浮かんでしまった。誰が、どんな状況でそんな蛮行に及んだのか。切羽詰まっていたのか、ただの愉快犯か。
それにしても、この張り紙を用意した店員さんの心境を思うと泣けてくる。きっと最初は「まさか…」と思ったに違いない。だが現実は非情で、掃除道具を片手に現場と対峙し、ついには筆を執ったのだ。
俺はしばらくドアの前で考え込んだ。
人の人生、何が大事件になるかわからない。俺の場合は、25年連れ添った妻に「もう無理」と言われたことだった。離婚届にハンコを押したあの日は、まさに俺の「大便器」だったのかもしれない。
だが、あの大事件を経て俺は今こうして自由だ。ウーバーで街を駆け、くだらない張り紙に立ち止まって笑っていられる。そう思うと、あの張り紙すら人生のスパイスに見えてくる。
トイレを済ませて外に出ると、やけに風が気持ちよかった。
俺は小声でつぶやいた。
「大事件は、紙一重っつ!」
小便器に大便をする人間が実在する――この事実だけで、世の中の奥深さを思い知らされる。
張り紙ひとつで店員さんは苦労し、俺は腹を抱えて笑い、ついには「人生とは何か」なんて柄にもない問いに行き着くのだから、人の営みは不思議なものだ。
離婚、退職、配達、張り紙。
大小取り混ぜた出来事が、今の俺をつくっている。大事件も小事件も、どれも等しく「俺の物語」だ。
次にどんな張り紙に出会うのかは分からない。
だが、きっと俺はまた立ち止まり、笑い、そして考えるだろう。
そんな日々を「うばっつ」として書き残すことが、俺にとってのささやかな生き方になっている。