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 目を開けた一秋が見たのは、無機質な天井の白だった。

 すぐにベッドへ寝転がっていることに気付き、少し視線をずらしてみると、そこには一秋を見下ろしている月夜の姿があった。

 月夜の背後にある窓からは、日光が差し込んでいた。

「月夜君……」

 一秋は、寝ているのも申し訳ないと思い、ベッドから上半身を起こす。

 左腕には、透明の液体が入った、点滴のチューブが繋がれていた。

「そうだ……光は、何か知っているかい?」

「ああ」

 一秋が月夜へ訪ねてみると、月夜は短く言い、病室の扉に向かって歩き始める。

 一秋は、その後ろ姿を、静かに見送っていた。


 三階の病室へ向かうエレベーターに乗っているのは、光だった。

 携帯電話の時計を見てみると、時刻は十一時三分を表示していた。

(一秋……)

 あの夜、光は一秋が倒れたことを月夜から聞き、また改めて病院へ向かうように言われていた。

 夜が明けた翌日、月夜から一秋が目を覚ましたことを聞き、こうして面会に来たというわけである。

 やがて到着の音が鳴り、エレベーターの扉が開くと、そこには月夜が立っていた。


 月夜は光を案内するため、エレベーターの入り口で待っていた。

 春ということもあり、どこからか吹き込んでくる風は、本当に穏やかだった。

 月夜は光の姿を見ると、くるりと背を向け、ゆっくりとした歩調で歩き始める。

 光は、月夜の後ろを、静かに付いて来た。

「月夜、その腕……」

 光はふと、月夜の両腕を見て呟く。

「……やっぱバレてたか」

 月夜は、やれやれといった感じで言った。

 月夜が黙っていた理由は、光や一秋に『両腕が無くなったこと』を気付かれたくないからだった。

 幸いにも一秋にはバレなかったが、光にはすぐに見破られてしまった。

「なるべくしてなったんだ。光が気にすることじゃない」

「うん……」

 月夜自身も、両腕を失ったことは気にしていたのだが、光や一秋の姿を見てどうでも良くなりつつあった。

 後は、光と一秋の仲が修復されれば、それで良かった。

 半霊としてより、元『人間』として、これ以上の充実感は無かった。

「でも……本当にありがとう。ごめんなさい」

「謝ることはないだろ。一秋にホントの事、ちゃんと聞いてみろよ?」

 頭を下げる光の姿を、月夜は見たくなかった。

 だから、決して振り返らず、後ろ姿のまま言葉を返していた。

「それでね……私が一秋と話す所、月夜にも見て欲しいの」

 光は、精一杯に懇願するように、月夜へ言った。

 月夜はすぐに、光なりの感謝の手段だと気が付いたのだが、だからこそ、こんな答えを返す。

「一秋が好きなんだろ? たぶん一秋は、二人っきりで話がしたいはずさ」

 月夜の言葉を聞き、光は残念そうに下を向いた。

 あてずっぽうの意見だったが、月夜は、光に一秋との再会を深く喜ばせたかった。

 だからこそ、こうして光の頼みを断ったのである。

(ごめんな、光)

 心の中で謝ると、やがて一秋のいる病室の前に到着し、月夜は足を止める。

 光は、入り口の名札に書いてある一秋の名前を確認すると、月夜の顔を見た。

 戸惑いや安心、不安が入り混じっている、そんな表情だった。

「行ってやれよ」

 月夜は優しく促すと、光は小さな声で、

「うん」

 とだけ言い、光のいる病室の扉をノックし、ゆっくりと開ける。

 それだけを確認し、月夜は病院の屋上に向けて飛び立つのだった。


 一秋は返事をすると、少しして光が遠慮がちに入って来た。

 ぎこちない歩調で足を進め、光は一秋が座っているベッドの隣に立つ。

 お互いにかける言葉も見つからないまま、妙な時間が流れる。

「久しぶり」

 そんな沈黙を破ったのは、一秋だった。

「うん。一秋も」

 光は精一杯に笑い、挨拶を返す。

 まるで初対面のような会話だったが、一秋の表情からも笑顔が零れていた。

「本当にごめんね。光」

「ううん。本当に謝るのは、私の方」

 光は唇をかみ締め、一秋の顔をしっかりと直視した。

「私ね、昨日まで一秋を殺そうと思ってたの」

 光は、月夜と出会った夜のことや、月夜が殺意を消そうと頑張ってくれていたことを思い出していた。

 月夜の内なる思いを、光は汲み取っていた。

 月夜と出会う前までは、確か一秋を殺したいと思っていた。

 そして、一秋を殺した後、自分も死のうと考えていた。

「だけど、月夜が頑張ってくれたから、私は一秋に会うことが出来た」

 月夜がいなかったら、こうして感謝の気持ちを持つことや、一秋を愛しいと思うことなんて無かった。

 光の中では、一秋も月夜も、大きな存在だった。

「……嘘をついて光を振った、僕がいけなかったんだね」

 光の言葉を静かに聞いていた一秋も、ぽつりぽつりと話し始めた。

「僕は、光に別れの辛さを味わって欲しくなかった」

 一秋は光の手を取り、自分の胸にそっとあてがう。

 弱々しい心臓の鼓動を、光は感じた気がした。

「この心臓は、癌に蝕まれてる。あと一年以内の命さ」

「……うそ」

 光はとっさに、壊れそうになる心を抑え、必死に平静を装う。

 同情するのは簡単だが、本当に辛いのは一秋だということを、光は知っていた。

「だから、僕のことは忘れて欲しいんだ」

「……」

 光が一秋の言葉に反論することは、あまり無かった。

 理不尽なことは言わないし、感情的になることも少ないので、わがままな喧嘩をした時だけ、光は反抗していた。

 けれど、今だけは思いをぶつけてみようと思う。

 例えわがままだと言われても、気にしていられなかった。

「……月夜のためにも、私も、関係を戻すことは出来ないのかな?」

「……え?」

 残り少ない命だからこそ、光は、一秋の側にいたいと思った。

 一秋が抱え込んでいる荷物を、少しでも軽くしてあげられるなら、別れの辛さなんて小さなものだった。

 死別する辛さよりも、忘れる辛さの方が、何倍も痛いものだから。

「一生を生きられないなら、一年で一生分生きよう」

「でも、僕の他にも良い男はたくさんいるだろうし……」

「あーもう、だからっ!」

 一秋が迷った様子で言うと、光は苛立ったように窓を叩いた。

 ガラスが割れんばかりの振動と音が、部屋に響く。

「私は一秋だけが好きなの! 他なんているわけないの!」

 光は顔を赤らめながら、怒鳴るように叫ぶ。

 声が漏れ聞こえてしまうことを、今は気にしていられない。

「一秋のそういうところ、昔っから愛しくて、大好きだったの! だからずっと近くにいて欲しいの!」

「は、恥ずかしいよ……」

「こっちだって……」

 はあはあと息を切らし、光は感情を吐き出した。

 呆気に取られていた一秋だったが、やがて小さく笑い始める。

「僕も、光の良い所と悪い所、全てが好きだよ」

 一秋はベッドから起き上がり、光の正面に立つ。

 その表情は、光が見て来た中で、一番晴れ晴れとしたものだった。

「一人で抱え込もうなんて、間違ってた。本当にごめん」

「え、えっ?」

 一秋はそっと手を伸ばし、光の手を握る。

 とても温かい一秋の手に、光の心は一気に高鳴った。

「光さえ良ければ、僕の命が尽きるまで、一緒にいてくれるかい?」

「一秋、っ……」

 その言葉を聞いた瞬間、光は一筋の涙を流した。

 分かっているはずなのに、わけの分からない感情が、滴となって光の頬を濡らした。

「……やっぱり、月夜も呼んでくる!」

「え? うん。分かった」

 光は涙を振る切るために、素早く顔を逸らして後ろを向く。

 一秋に心配されてはいけないと、光はまるで逃げるように病室を後にした。


「いやあ、月夜君も粋な計らいをしたものだね」

「うっせーな……からかうんなら帰れよ」

 月夜は、誰もいない病院の屋上で、仰向けに寝転がっていた。

 側には神城がおり、月夜のことをにやにやと意地悪そうに見下ろしている。

「光さん、一秋君を殺さなかったね」

「ああ……良かったよ」

 神城は、ぼんやりと青空を眺めている月夜に言った。

 これがどういう結末を示しているのか、月夜は痛いほど知っていた。

「何をそんなにふてくされてるんだい?」

「誤魔化すなよ。俺、地獄に落ちるんだろ……」

 月夜はだるそうに言うと、自分の瞳を閉じた。

 瞼を透き通って太陽の光が見えたが、月夜はこの暗闇に、地獄の姿を重ね合わせた。

 どれほどの苦痛が待っているのか、月夜は知らない。

「どうやら、月夜君の大切な人が来たみたいだね」

「……え?」

 神城の言葉を聞いて、月夜ははっと上体を起こした。

 辺りを見回してみるが、いつの間にか神城の姿は消えている。

 神城が言っていた通り、屋上への入り口の所には、光が立っていた。

「どうしてここが分かったんだ?」

「と、飛んでいく所が見えたから。ここしか無いと思って」

 肩で息をしながら、光は月夜に歩み寄る。

「ごめんね。少しだけ」

 おもむろに両手を広げて月夜へ抱きつこうとするのだが、月夜の体は光をすり抜けた。

 光はバランスを崩し、月夜の背後へ抜ける。

「光?」

「どうしてだろうね……こんなに感謝してるのに、触れないの」

 背後からは、悲しそうに言葉を紡ぐ、光の声が聞こえた。

 月夜は、決して投げやりな気持ちではなく、光の期待に答えたかった。

 そのためなら、自身の体がどうなろうが、知ったことでは無い。

「耳を塞いでくれるか?」

 月夜は振り向かず、光に言った。

 光は不思議そうに月夜を見るが、素直に耳を両手で塞ぐ。

 月夜は軽く咳払いをし、恐らく最後になるだろう種類の言葉を放った。


「全身を、行使する」


 その瞬間、月夜の体に、しっかりと地に立っている感覚が蘇った。

 理由は分からないが、消滅したはずの両腕も、しっかりと生えている。

 月夜は振り返り、光の肩に手を伸ばす。

 その手は虚空を切らず、確かに光の体へ触れた。

「つ、月夜! 触れるの?」

「たぶんな。裏技は成功したらしい」

 月夜は、初めて人間と同じ感覚を取り戻せたことで、笑顔を見せていた。

 それを見たせいか、光も釣られて笑みを溢す。

「初めて、笑ってくれたね」

「……自分でもそんな気がする」

「じゃあ、こんなことも出来るのかな」

 光はそう言って、再度、月夜へ抱きついた。

 それは、月夜が初めて感じた、人との繋がり。

 とても温かく、儚く、守ってやりたくなるような温かさだった。

 だが、月夜は、光を両腕で包み返そうとはしなかった。

「嬉しいけどさ……光の恋人は、一秋だろ?」

 月夜は静かに言うと、光の両肩を掴んで、そっと引き離す。

「俺への気持ちは、一秋に注いで欲しいんだ」

 肩から手を離し、月夜は照れくさそうに言った。

「それなら、ほんの少しだけ。私のわがまま」

 一歩近寄ると、光は背伸びをして、月夜の右頬へキスをする。

(……え、何された?)

 一瞬のことだったので、月夜はただ目を丸くするしかなかった。

 甘い瞬間を味わう余裕は、残念ながら与えられない。

 月夜の態度を見た光は、照れくさそうにすると、

「待ってるから。後で一秋の病室に来てね」

 と言い残し、足早に屋上を後にした。

 残された月夜は、ただぼんやりと立ち尽くしていた。

「ふふふ、月夜君ってば、純情なんだね」

「……あ?」

 声の主は、いつのまにかいなくなっていた神城だった。

 落下防止用のフェンスの外から月夜を覗きこみ、からかうように笑っている。

 月夜はフェンスに背を預け、そのまま座り込む。

「なあ神城……俺が生きたいって思うのは、いけないのか?」

 月夜は空を見上げ、言葉を続けた。

「そりゃ辛いこともあるだろうけどさ……俺、もっと生きたいよ」

 月夜の表情は、とても悲しそうなものだった。

 いつの間にか、この世に未練が出来て、希望を持った自分がいる。

「神城……どうにかなんねえかな」

 今からそれを成し遂げられないことが、月夜は悲しかった。

 生きることがこれだけ楽しいとは、欠片ほども思っていなかった。

「はーいはい、ここで朗報があるよー」

 神城は、いつものキザな口調に加え、間延びした語尾で話し始めた。

「手助けが出来たら天国行き、出来なかったら地獄行きとは言ったけど、それ以外の結末だとどうなるのか言ってないよね?」

「……なんだって?」

 月夜はそれを聞き、はっと顔を上げた。

「ふふん。人として、一番良い結末へ持っていけたら、生き返れるんだよ」

 神城は、もったいぶった口調で告げる。

 思ってもいなかった言葉に、月夜は立ち上がり、

「……そういうことは最初に言え」

 と、迫力を込めた顔を見せた。

「それとも、とっておきのサプライズってか? ああ?」

「……すいませんでした」

 すっかり怯えてしまった神城は、肩をすくめて謝る。

 閻魔としての威厳は、どこかに忘れてしまったのだろうか。

「でも、ありがとな」

「え?」

 月夜は、本当に素直な気持ちで、神城にお礼を言った。

「最初に聞いてたら、きっと邪な気持ちで光を助けてたと思う」

「け、結果オーライだよね! うん」

 神城は月夜に恐怖心を抱いていたのか、なだめるように言った。

「まあ、そういうことになるな」

 その言葉を喋った直後、月夜の体は黄色の光に包まれ、薄くなり始める。

 月夜も、半霊としての最後を悟っていたのか、驚く素振りは見せなかった。

「時間だな」

 月夜は自分の両手を見ながら、徐々に薄くなっていく感覚を全身で味わっていた。

 最初の時のような気持ち悪さはなく、むしろ充実感が溢れ、心地良かった。

「ちなみにだけど、誰の子供として生まれ変わりたい?」

 神城は、メモ帳を広げながら、月夜に訪ねた。

 月夜は考えることもせず、遠慮がちに言う。

「出来れば、光と一秋の子供かな」

「うん。希望を出してみるよ」

 それを聞いた神城は、走り書きしたメモ帳をポケットにしまう。

懐から手のひら大のフラスコを取り出し、コルクの蓋をポンと開ける。

 光の粒子となった月夜の体は、まるで吸い込まれるように、ゆっくりとフラスコの中へ収まった。

 月夜の体はフラスコ内で透明の液体となり、普通の水と変わらないものになる。

「これだけ綺麗なら、神も納得してくれるよ」

 神城は、フラスコの栓をしっかりと閉め、懐へしまった。

「ひょっとしたら、奇跡も起こるかもね」

 名残惜しそうに月夜のいた場所を見つめると、神城はやがて空に飛び立つ。

 その時、きちんとメモ帳に挟まっていなかったペンが、神城のポケットから飛び出した。

 神城はそれに気付かないまま、ペンはどんどん落下する。

 だが、風に煽られたペンがコンクリートに落下しても、傷が付いたり、どこかが壊れたりすることは決して無かった。


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