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「半霊さんって、やっぱり物に触れないんだね」

「どうもそうらしい……」

 部屋に招かれた月夜は、関心の眼差しを光から向けられていた。

 間取りは決して広くないのだが、綺麗に片付けられており、余計なものは置かれていない印象を受ける。

 全体的に地味な色調の部屋だが、落ち着ける雰囲気があった。

 部屋の端にある机には、ノートパソコンが置かれている。

 壁に掛けられた時計を見ると、針は六時二十三分を差していた。

(どうなってんだ……俺は)

 容易に晴れない疑問をよそに、光はにこにこと月夜を見ている。

 月夜が恥ずかしさで目を逸らすと、無造作に本棚へ詰まれた雑誌が目に付いた。

 表紙には、『ホントに暴かれた半霊の真実!』とあり、恐らく下も同じような雑誌なのだろう。

 毒々しいデザインとインパクトに、月夜は思わず目を奪われた。

「これにはね、あなたのことが書いてあるの。読んでみる?」

「いや……遠慮しとく」

 月夜は、どうせ名も葉もないことが書いてあると思い、読むのを拒否する。

 だが、心のどこかでは、読むのが怖いという気持ちもあった。

 もし雑誌を読んで共感したり、少しでも通じる部分を感じたりしたら、それは自分が半霊だと認めることになる。

 月夜は迷いを振り切るため、光に別の話題を投じてみた。

「俺はあなたじゃなくて、月夜だ。名前で呼んで欲しい」

「……え?」

 月夜は、本当に何気なく言ったつもりだった。

だが、光は頬の筋肉を緩ませ、柔らかな表情で笑い始めた。

 ひとしきり笑い終えた光の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。

「ふふ、やっと月夜から喋ってくれたね」

「いや、俺は……それより、何か願いがあるんだろ?」

 あまりに微笑ましく話す光に、月夜はたどたどしい口調で返した。

 光は涙を指で拭うと、机に置いてあった写真立てを取り、月夜に見せる。

「これ、さっき話してた恋人の写真」

 綺麗に掃除された写真立ての中には、大きな観覧車を背景に、笑顔のまぶしい光と純粋そうな青年が映っていた。

 お互いに手をつなぎ、もう一方の手でピースサインをしている無邪気な写真だった。

「仲直りしたいのか?」

 月夜は、すぐに思い浮かんだことを言ってみる。

「ちょっと違うかな」

 光は、首を縦には振らない。

「じゃあ、ケンカしたから、会って謝りたいとかか?」

「ううん、それも違う」

 可能性のあることを口走ってみるが、光はそれらを全て否定した。

 写真を見ただけでは関連する事柄が浮かばず、月夜は考え込んでしまう。

「結城一秋って言うんだけどね、殺したいの」

 例えるなら、体から一気に血液を抜かれた感覚だった。

 日本語のはずなのに、月夜の理解は追いつかない。

「……ちょっと待て、何だって?」

「だから、一秋を殺そうと思ってるの」

 光の鋭い目つきと冷たい口調が、嘘を付いていない証拠だった。

月夜はすぐに返答など出来ず、光を見たまま、呆然と立ち尽くしてしまう。

「いや、何がどうなってんだ? 殺すって……何でだよ」

 ようやく喋れた言葉も、要点を突いてはいなかった。

 月夜の動揺に満ちた態度を見て、光は射るような表情を曇らせる。

「一秋はね、私を一方的に振ったの。あっちから告白したんだよ? なのに……」

 声を振り絞りながら言うと、光は手の力を緩め、持っていた写真立てを落とした。

 静寂のみが存在する室内に、写真立てはけたたましい音を響かせる。

 床に座り込む光を見て、月夜は神城の話を思い出していた。

 手助けをしろとは言われていたが、このことだとは考えにくい。

 もし誤解が生じていたのなら、進むべき道を見誤るかもしれない。

 手遅れにならないうちに、月夜は確認を取らなければならなかった。

「少し待っててくれるか? 神城と相談して来るから」

 慌てた口調で話す月夜に、光は顔を上げる。

「神代さん?」

「閻魔とかほざいてる奴だよ。すぐに戻る」

 光の答えを聞かないまま、月夜は踵を返し、急いでリビングを後にした。

 廊下を走り抜けると、突き当たりには玄関の扉があるのだが、月夜は難なくすり抜けて外に出ることが出来た。


 冷涼な夜の町を走っていても、呑気に味わう余裕など無い。

 人の多い表通りを走り過ぎ、月夜は閑静な裏通りに来ていた。

 街灯すらも満足に設置されていないので、誰かが通り掛かる可能性は少なく、神城を呼ぶには絶好の場所だった。

 仮に自分が半霊で、人間とは違う存在の可能性があるとはいえ、神城を呼ぶことで不審者使いされるのは嫌だった。

 辺りを念入りに見回し、人がいないことを確認すると、月夜は神代の名を声に出す。

「おーい、神城。いるのか?」

 どこからか返事が聞こえると予想していたが、待ち時間は無駄になった。

 民家の塀に寄りかかっていると、視界の上部に何か黒い影が見える。

 ふと空を見上げてみると、星の輝いていない黒々とした空から、一羽の鳥が飛んでくることに気が付いた。

 薄ぼんやりと見えるそれは、カラスのようにも見える。

(……黒に黒って、見えにくいな)

 月夜は呑気に考えながらも、カラスが暗闇の中で飛べるはずがないので、違和感は充分に感じ取っていた。

 カラスはゆるやかに飛行し、月夜の眼前へ静かに着地する。

 とんとんと飛び跳ねるように移動する姿は、カラスそのものだった。

「カラス……いや、神代か?」

 半信半疑のまま、月夜はカラスに話しかける。

 月夜の言葉を理解していないのか、カラスは落ちているゴミをついばんだり、毛繕いを行ったりしていた。

(こいつ、夜行性のカラスか?)

 話しかけたことを後悔し始めると、カラスは饒舌に、

「ふうん。飛ぶのって意外と難しいね」

 と喋り始めたので、月夜はカラスが本物だという考えを改めた。

「神城、これはどういうことだ」

「カラスになったことがそんなに驚きかい?」

 神城と分かっているとはいえ、なめらかに喋るカラスには不気味さを覚える。

「いや、取りあえずカラスが喋るのはキモいからやめとけ!」

「うう、はっきり言われると傷付くなあ……そりゃ確かにそうだけど……」

 神城はぶつぶつと独り言を呟きながら、大きく左右の翼を広げた。

 羽が一枚ずつ抜け始め、空中に長方形を作っていく。

 まるで一旦木綿のように羽は浮かんでいたが、やがて本物の黒い布に変わり、布をどけて出て来たのは神城だった。

 神城の表情からは、得意げな様子がありありと伝わってくる。

「人間の世界でやったら受けそうだよね?」

 調子に乗って語る神城に、

「タネの無い手品はルール違反だろ」

 と、月夜はきっぱりと切り捨てるのだった。

 神城がショックを受けたことは、言わずもがなである。

 それよりも、月夜は早急に確認しておきたいことがあった。

「お前、光が一秋を殺したいって知ってたのか?」

「うーん、どっちだと思う?」

 とぼける神城に、月夜はわずかな苛立ちを覚え、真剣な表情で言葉を続けた。

「答えろ。どういう意味があって指示したんだ」

「意味? そんなのはないよ」

 神城は月夜の表情を一瞥するが、少しも顔色を変えずに言う。

「言葉の通りだからね。君はただ、光さんの殺しを手助けするだけ」

「てめえ……!」

 まるで他人事といった神城の態度が、月夜に歪んだ怒りの感情を与えた。

 頭にかっと血が上り、神城の胸倉を衝動的に掴む。

「ふざけんな! 明らかにおかしいことを手助けしろっていうのかよ!」

「忘れているだろうけど、君は死んでいるんだ。それくらいは当然だけどね?」

 月夜に凄い形相で睨まれ、強く胸倉を掴まれているにも関わらず、神城は表情を全く歪めない。

 月夜は、神城の胸倉へ顔をうずめるような形になると、

「とにかく、殺人の手助けなんてしたくねえ!」

 と、悲痛な面持ちで叫んだ。

 いくら天国へ行くためとはいえ、他人を傷付けたくは無かった。

 利己的な考えで誰かを傷付ける存在に、月夜はなりたくなかった。

そんな月夜の気持ちを汲み取ったのか、神城は月夜の拳に左手を乗せ、そっと握る。

「君は、大切なことを知っているね」

 静かに呟くと、神城はポケットから取り出したシャープペンの先を、月夜の額に当てた。

驚く時間も無く、月夜の体は一気に脱力し、アスファルトに力無く崩れ落ちる。

「人間の思いは単純じゃない。これだけは覚えておいて欲しい」

「な、に?」

 穏やかな目つきで月夜を見下ろす神城は、たしなめるように言った。

 気のせいか、喋りにくい感覚に陥っていた月夜は、かすれた声で返事をする。

「何も言わなかったのは謝る。すまなかった」

 神城は深々と頭を下げ、誠意が感じられるような態度で謝るので、月夜の怒りはだいぶ緩和されていた。

 その代わり、月夜は神城へ少しの信頼感を寄せた。

「そうそう、今は物に触れられないけど、体の部分を言って『行使する』と続ければ、一回だけ触れるようになるからね」

 神城はおおまかに説明しながら、ポケットからメモ帳を取り出し、素早くページを開いていく。

 ページをめくるその流れは、手馴れたものだった。

「それから、心を許した相手だけに、月夜君の姿は見える」

 神城の喋り方は、もはやカンペを読んでいることがバレバレだった。

 月夜は、神城に寄せた信頼感を消そうかとも思った。

「背中には翼もある。念じれば、空を飛ぶことも出来るからね」

「ああ。覚えておくよ」

 月夜は、適度に相槌を打ちながら、神城の言葉に耳を傾けていた。

 最初の時とは違い、一字一句逃さずに脳内へ刻み込む。

「頑張って。閻魔として、応援してるから」

「ん。ありがとな」

「あれ? 何か急に友好的だね。不思議な半霊だよ、月夜君は」

冗談っぽく言うと同時、神城はメモ帳を閉じ、両足で軽く地を蹴る。

ジャンプでもするのかと月夜は思うが、神城の体はふわりと宙に浮き、そのまま夜空へ飛び立った。

(うお! 前振りとか無しかよ!)

 いきなり空を飛び始めた神城に、月夜も驚いていた。

 首だけで神城を見上げる月夜の体には、徐々に力が戻っていく。

 しっかりと立ち上がり、再び空を見上げるが、神城の姿は既に消えていた。

(人間の思いは単純じゃない……か)

 月夜は、神城から飛び出した深い言葉を、改めて考えてみた。

 人間の思いが複雑ならば、光の行動には裏があり、それを認められないから殺意を抱いているということになる。

 光が抱いている心の裏側を、月夜は軽くしてあげたいと思った。

 とはいえ、思うだけでは始まらないので、月夜は肩甲骨の辺りに手を伸ばしてみる。

 鳥の羽毛を触っているような手の感覚に加え、触られたことによる羽のくすぐったさまでもがあった。

 羽が飾りではなく、きちんと神経が通っているという、確かな証拠である。

(うわあ……そこはかとなく、気色悪いな)

 自虐的なことを考えながら、羽の辺りを適当に動かしてみると、ばさりと大きく広げることが出来た。

 左右に振り返れば、背中に生えている羽の色が見える。

 右は黒く、左は白い、対になる色に染まった羽が、そこにはあった。

 見様見まねで、月夜は神城の行動を思い浮かべながら、軽く地を蹴ってみる。

 飛び上がった体は地面に落ちず、そのままふわふわと空中に漂っていた。

(おお……すげえ、空中浮遊だ)

 月夜は素直に感動しながらも、すぐに本来の目的を思い出し、急いで光の家へ向かうことにした。

 飛び方というものはなく、頭で思い描いただけで、体はその通りに空へ飛び立つ。

 車や建物の明かりで賑わっている町も、空から眺めると、とても綺麗で見ごたえのあるものだった。

 心に一時の休息が生まれた月夜は、ふと、家族の存在を思い出す。

(母さんや父さんはどうしてるかな……)

 家族に会えない寂しさとは違う、懐かしさにも似た気持ちが、月夜をそっと包み込んだ。

 きっかけがあったわけではなく、本当に何気なく、月夜は家族に会いたくなった。

 ほんの少し寄り道をするだけなら、神城も許してくれるだろうと思い、月夜は道草を食うことに決めたのだった。


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