幕間・ロンヒ
俺の名前はロンヒ。
エルピス殿下の乳兄弟で侍従だ。
乳兄弟といっても、エルに乳母はいない。
産まれ落ちた瞬間から呪いのせいで女性が近づけなかったから、呪いさえなければ乳母になる予定だった母の指示のもと、侍従長である父が哺乳瓶片手にてんやわんやしつつ必死に育てた。
今でも父はその事を誇らしげに語る。
比喩でもなんでもなく、混じりっけなしのむさ苦しい男所帯で育ったエル。
物心ついて、女性という存在を知った彼は、何故自分の周りに女性がひとりもいないのだろうと不思議には思っても、それを周りに聞いて困らせるような事はしなかった。
恐らく大人達のただならぬ空気を感じ取っていたんだろう。
大人達が必死で守ってきた秘密はある日、最悪な形で知られることとなった。
呪いの元凶であるエルの両親は己の身の不幸ばかりを嘆き、エルを抱くことすらもしなかった。
だからエルは産まれて直ぐに、エルの父にかわって王太子になった当時16歳のアネシス様の住む王太子宮に引き取られ、育てられていた。
当然、王太子宮は女人禁制となり、それ以外の場所でも万が一の事を考えて、女性を近くに寄せつけない若き王太子に、結婚を夢見る令嬢達は業を煮やしていた。
王太子が大切にしているエルを手懐けることが出来れば、彼のそばにいられる唯一の女性になれる。
そんな浅はかな考えから、女人禁制の王太子宮の庭に無断で立ち入った令嬢達。
令嬢達は、そこで俺と遊んでいたエルを目にした途端、尻もちをついて、バケモノと罵り、気が狂ったかのような叫び声をあげて、恐怖に歪ませた顔を覆い、お綺麗なドレスを汚しながら地面に這いつくばって逃げていった。
それがエルが初めて目にした女性という存在だった。
アレは俺にとっても未だに悪夢として襲ってくるトラウマになっている。
俺達は恐怖のあまりその場で抱き合って泣いた。
その後事情を知ったアネシス様は烈火のごとく怒った。
令嬢達は問答無用で戒律の厳しい修道院に送られた。
そして、エルの呪いが解けない限り自分は結婚はしないとアネシス様は宣言したのだ。
俺達はその時、エルの呪いの事を語り聞かされた。
8歳の春だった。
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それから今まで、エルは色んな事を我慢して生きてきた。
不用意に女性と接することがないようにと、常に周囲に気を配っていた。
学院だって本当は政経科に行きたかったようだが、男子しかいない騎士科を選んだ。
昼食だって陽の当たる庭や、カフェテリアで摂りたいと思っても結局、むさ苦しい騎士科の食堂を選ぶ。
俺が人払いしてやると言っても周りに迷惑をかけるなと却下される。
年頃の男らしく恋の話のひとつもしてみたいだろうに。
城下町に遊びに行く友達について行きたいだろうに。
自分には全く非がない理不尽な呪いに、ただひたすら耐えるばかり。
なんでエルが。エルはなんにも悪い事してねえのに!!
荒れる俺を見て、エルはいつも、諦めたように笑うだけだった。
メガロ王が提示した報奨金目当てに、沢山の魔術師が解呪に挑んだが解けるものはいなかった。
鎖が見えると言った魔術師が何人かいたが、それ以上何も出来ずに国を去った。
次こそは、今度こそはと期待して裏切られるのにも慣れて、何も感じなくなったある日、あの人が現れた。
エルの18歳の誕生日パーティーに現れたリーテン王国第二王女アステル殿下は、控えめに言って…変わった女性だ。
…不敬罪覚悟で心の声そのままに申し上げれば、規格外だ。
いや、外見はとても可愛らしい。ふわふわの栗色の髪にアーモンド型の大きな黒い瞳がくるくると動く様子は野リスのような小動物感があって癒される。
そんな外見を良い意味で裏切ってくれた規格外王女様。
なにせ、俺達が18年苦しんで、誰も解くことが出来なかった呪いの一部を、出会ってすぐその場で解いたのだから。
その解呪方法もなにやら独特だった。
今まで解呪に挑んだ魔術師達は長たらしい呪文を唱えたり、床いっぱいに魔法陣を書いたり、それなりに魔術師らしいものだった。
規格外王女殿下はエルの手を取って凝視すると、何を思ったか、自身の腹部の前方辺りに両手を浮かせた。それから、目に見えない何かを叩くように宙で指をタカタカと動かし続け…やがて満足気に頷いて手を止めた。
「あ、1個解呪出来ましたよ!」
いやいやいや、ちょっと待て。……今ので?!
規格外王女様は、なんで皆止まってるんだろうって不思議そうな顔してるけども、こんな急展開についていける奴は絶対いない。
現に、身内であるフィーレ殿下まで固まってるじゃないか。
それでも一番先に復活していたのは、さすが家族と言うべきか。
そんなこんなで、エルの呪いを全て解くために、アステル様の長期滞在が決まった。この千載一遇のチャンスを逃してはならないと、メガロ王国首脳陣が一致団結した結果だ。
首脳陣の期待を裏切ることなく、滞在3日間で3つの呪いを解いてくれたアステル様は、一番強力な呪いが今はまだ解けないことを申し訳なさそうにしていた。
いや、3つ解けただけで充分凄いんですけど?!
彼女は呪いを鎖と表現する。
俺には全く魔力が無い。だから興味本位で、人の目に見えざるモノを一度見てみたいと言ったら、彼女は真剣な顔をして首を横に振った。
「やめておいた方がいいわよ?鎖で縛られた憂い顔の美青年なんか見ちゃったら絶対イケナイ世界の扉開けちゃうと思う!…あ、でもそういうの好きなら、魔力無くても可視化出来るような装置の研究してみるけど…。」
「ケッコウデス。」
イケナイ世界の扉とか…なんでそんな事知ってるんだ…。
ホント何から何まで規格外な王女様だ…。