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21日目

 


 その人は突然現れた。




「あの…こんにちは!」


 聞こえるはずのない、アステル以外の女性の声に、その場にいた全員に緊張が走る。


 いつもの東屋で二人きりで過ごした昼休みの終わりに、エルピスを迎えにきた騎士科の面々を見てアステルが結界を解いた所だった。


 まさか校舎側ではなく、東屋の奥の林から人が来るなんて夢にも思わない。


 瞬時にロンヒが、エルピスとアステルを庇うように闖入者の前に立った。


「良かった!やっと帰ってこれた!林を探検していたら道に迷ってしまって!」


 政経科の制服を着たその少女は、数枚の落ち葉を絡ませた桃色のツインテールを可愛く揺らして喜び、そのエメラルドの瞳を巡らせ、その場で固まる人々を順々に見る。


「あ、驚かせてしまってすみません!私、昨日政経科に編入してきましたミシェルです!よろしくお願いします!」


 ロンヒ越しのエルピスをその瞳に映したまま、その少女…ミシェルは可愛らしく名乗った。怯えることなく。


「ミシェル嬢、王太子殿下の御前である。頭を下げなさい。」


 ロンヒの硬い声をものともせず、ミシェルは顔を輝かせた。


「えっ!王太子殿下?!うわぁ〜!街で売ってた絵姿とそっくり!カッコイイ!!呪いが解けたんですね!!」


 ロンヒの警告もどこ吹く風で、ミシェルは体を傾け、ロンヒの脇から覗き込むようにエルピスをしげしげと見て、小首を傾げた。


「あれ?でも鎖が絡まってますね…?」


「ミシェル嬢、現在ここは人払いがされている。不敬罪で拘束されたくなければ可及的速やかに立ち去りなさい。」


 怒気を孕んだロンヒの声に、ようやくミシェルは驚き、怯えたようにぺこりと頭を下げて走り去っていった。



「………。」


「なんだったんだ……?」


 前髪をぐしゃりと乱しながら呟いたエルピスの言葉で、ようやく場の刻が動き出す。


 誰もが答えを求めるようにアステルを見つめた。


 エルピスの姿と声を変えてしまう呪いはまだ解けていない。なのに怯える様子もなくエルピスを見つめたミシェル。


 それはつまり……


「あの方も術者を超える魔力があるという事ですね…。」


 アステルはそう呟いて、表情を隠すように俯いた。




 まさかそんな存在がアステルの他にもいるなんて…。




 午後の授業の予鈴を耳にしても、誰もが呆気に取られてその場から動けないでいた。


「…とにかく、ミシェル嬢が何者なのか至急学院長に確認をいたします。それから父を通して、陛下のご意向を伺います。お前達、二手に別れてアステル様とエルピス様を校舎までお送りしてくれ。」


 その場にいた騎士科の生徒にそう告げると、ロンヒは主達に向かって礼をしてその場から駆けていった。


「アステル、また帰りに話そう。」

「はい…。」


 エルピスはアステルの頭をそっと撫でると、アステルを送り出した。



 それから帰りの時間になるまで、アステルはただ教室の椅子に座っていた。授業がいつ始まって終わったのかも分からなかった。

 



****




 帰りの車の中で、ロンヒからの報告を聞いた。


 城下町のパン屋の娘であるミシェルはつい最近、膨大な魔力がある事が分かり、特待生として編入を許された。

 本人の強い希望で政経科に入ったが、魔力特待生という事で魔術に関する勉強も義務付けられているとの事。


 現状何か問題を起こしているわけでもないので、経過観察に留まらざるを得ないというのがメガロ王の見解だった。


 エルピスの呪いが効かない女性が現れたことは、メガロにとって喜ばしい事のはずだが、何故かミシェルを警戒するロンヒ達。

 それに気づく余裕もないほどアステルは別の理由で彼女の存在に動揺していた。


 その日は結局、体調不良を理由に食事もせず、エルピスの解呪を試すこともせずそのままベッドに入ってしまった。



 横になってもいっこうに眠れない頭で考えるのは昼間の事。


 エルピスに怯えない女性が現れたのは喜ばしい事のはずだ。

 彼は陽のあたる場所で万民に愛されるべき存在なのだから。


 それなのに、嫌だと、感じてしまった自分の心の醜さが、たまらなく恥ずかしかった。


 アステルはエルピスの唯一。いつの間にかそれが当たり前で、この先もずっとそうだと思ってしまっていた。


 エルピスが与えてくれる優しさも、私だけのものだと…。


 でもそれは、ひな鳥の刷り込みのようなもの。

 彼には私しかいないから。初めて接した女性として私に優しくしてくれているだけ。

 解呪が終われば、そこでエルピスとの縁は切れ、彼はその地位に相応しい女性達に囲まれ、やがて本当の唯一を選ぶだろう。

 そう自分に言い聞かせてきたつもりだった。


 解呪が終わったら…。

 でも、解呪が終わるまでは…。


 解呪が終わるまでは、エルピスの傍にいられる女性は私だけ。全てが終わるまでは彼は私だけを見てくれる。


 そんな風に思うようになるまでに時間はかからなかった。


 エルピスを苦しめる鎖を一日も早く取り去ってあげたい。

 でもその鎖は私とエルピスを繋ぐものでもある。


 一日も早く、でも一日も長く…。

 相反する想いに苦しんだ。


 未来はどうあろうとも、今は私だけが彼のそばにいることが出来る。


 そんな昏い独占欲が満たされる貴重な日々を脅かす存在。

 それがミシェルという少女。


 彼女は私だけが許されている場所に堂々と入ってくる事が出来る。



 ミシェルが怖い…。


 彼女はきっとエルピス様に近づいてくる。


 確信にも似た予感に、アステルはベッドの中で身を震わせた。




 ****



また(・・)ミシェル…これは単なる偶然なのか…?」


 執務机に肘をつき眉間の皺を揉みながら、メガロ王は深い溜息を吐いた。


「偶然にしてもあまりにタチが悪い…。いささか気になりますね…。」


 侍従長も報告書に再度目を通しながら眉を顰める。


 最近膨大な魔力が顕在した城下町のパン屋の娘、ミシェル。

『エルピス様父兄の会』の面々が秘密裏かつ迅速に、その交友関係等あらゆる角度から調査したが、どれもおかしな点はない。

 あの(・・)女は外との接触を一切絶たせているし、接点も全く見えてこない。

 ミシェルというありふれた名前…その一点の奇妙な偶然だけが不気味な影となり、零したインクの染みのようにじわじわと不快に広がる。


「まだ何かした訳ではないから、表立って排除することは出来ない…。エルピスにちょっかいをかけて来るとしても、エルピスとアステルの絆を信じて見守るしかない。こんな事なら無理にでも婚約させておけばよかった…!」


 そう言ったものの、婚約していても18年前結局ああなってしまったのだからそれも無意味かと自嘲する。


「ミシェル嬢の動向に関して、ロンヒには充分警戒するよう伝えてあります。エルピス様と共に育ったあの子もまた女性免疫力が皆無なのが心配ではありますが…。」


 侍従長の心配も尤もな事だ。ロンヒは母親や姉達との触れ合いがあった分エルピスよりはマシだが、基本的にエルピスと行動していた為に純粋培養なのだ。

 ミシェルの目的がエルピスの籠絡で、女性らしさを全面に押し出して攻めてきた場合、それに対応出来るかが不安である。


「シャメア殿がうまく緩衝材となってくれるといいが…。ロンヒの報告だと中々の逸材だからな。」


「そうでございますね。アステル様も大変懐いておられるとの事ですし…。ただ、エルピス様の行動次第では、シャメア殿下にアステル様を持っていかれてしまうのではと一抹の不安はございますが…。」


 もし、エルピスがミシェルに靡いてしまったら…。

 不誠実なエルピスに愛想をつかしたアステルがシャメアに泣きついて、そのまま二人は親密になったりして…。


「なんだと!?それはまずいじゃないか!やはり急ぎ婚約の準備を整えよう…!リーテン王に内々で打診せねば…!」


「かしこまりました。大至急準備致します。」


 大国からの打診を無碍にして他の縁談を進める事はないだろうと、予防線を張る事にする。


 力強く頷き合い、慌ただしく動く父兄達。


 エルピスを取り巻く人々の心に、ミシェルの起こした波紋が広がる…。



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