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第95話:迷える子羊に救済を

「お休みのところお時間いただきありがとうございます」


 いま私は家にいて、1人の貴婦人にお茶を提供している。昼食時に届いたメールの差出人で、川島蒼子というらしい。外で話せるようなことではないのでどちらかの家で、とのことだったが川島氏は都心に住んでいるようで、停学中の平日に市外には出られないと伝え来てもらった。


 おそらく20代後半で、タワマンの上層階に住んでそうな品位のある出で立ちだが、窓咲くんだりまでお越しになるとは余程困ったことになってるらしい。暇だったから助かった。


「はぁ。どこから話せばよいのやら」


 その上品な容姿に似つかわしくない溜め息をついて、まだ迷いがある様子で逡巡としておられる。


「すみません。ご連絡を差上げた時点で意を決したつもりだったのですが」


「いえ、どうぞお構いなく」


 話してもらわないと分からないのは確かだが、急かして帰られても暇になるだけので、待つしかない。川島氏は、庶民が出したお茶など飲めないようで手は付けず、1分ぐらいおきに何度か「フーーーッ」と心を落ち着かせるための溜め息をついたあと、ようやく話を始めた。


「実は先日、友人からお借りしていたネックレスを壊してしまって・・・」


 聞けば、親が用意した見合いのために使うはずだったネックレスの納品が業者の手違いで遅れ、やむなく借りて突破したのだが不注意により落としてしまいサファイアが外れたんだとか。

 修理に出したのだが友人から“急に必要になった”で返還を要求されたらしく、修理が間に合わないことから止むを得ず・・・


「その、レプリカを、返してしまっているのです・・・」


「・・・・・・」


 マジか。

 レプリカを返したことは気付かれておらず、友人の用事もトラブルなく終えたそうだ。本物の修理はもう終わって手元に戻って来てるのだが、“またいつ必要になるか分からない”ということで再レンタルはできていないとのこと。


 つまり今、川島氏は宝石付きのネックレスを借りてレプリカを返す形で盗んだ状態になっている。


「も、もちろんそんなことをするつもりだった訳ではなく、だからこそこうして相談に伺っているわけでして・・・」


 だろうな。しかし、不注意で壊してしまって修理中であることを告げずにレプリカを返したのは事実だ。その気になれば借り物と全く同じものを買って返すことだってできたはず。どんな上等なサファイアだったかは知らないが、ケチった結果こんな悩みを抱えることになったんじゃ笑い話だ。そんな困ったちゃんな子羊がいるから私は金儲けできるのだが。


「それで、私にはどうしろと。修理さえ終わっているのなら、お友達に正直に話して本物を返すこともできると思うのですが」


「そっ、そんなこと、できるはずがないでしょう・・・!」


 これだから庶民は、と言いたげに苛立ちを見せる川島氏。

 これだから富裕層は。あんたは市外の住まいだそうだが、窓咲じゃ富裕層の巣窟である東町は“貴族街”と呼ばれてるぜ。


「わたくしどもには世間体というものがあります。そしてわたくし自身、現在絶対に失敗できない縁談の最中なのです。そんな折りに、黙ってレプリカを返しておきながら後で正直に話して許しを請うなんて真似をしたらどうなるか、あなたたちでも想像に難くないしょう?」


 悪いが想像できないね。庶民というものをもっと甘く見るべきだ。しかし言葉の節々から、仕方なく“下々の民”の相手をしてることが感じられ、いちいち鼻に付く喋り方をしやがる。正直言って、嫌いなタイプの富裕層だ。暇すぎて困ってる状況じゃなければ叩き出していた。手持ちの中で一番高いお茶を出したのに視線すら向けないことも拍車をかける。


「あなたにお願いしたいことは、修理の終わった本物と、友人が持っているレプリカを、気付かれることなくすり替えることです。そうすれば、全てが事無きを得ます」


「・・・・・・」


 簡単に言ってくれるぜ。あんたの友人も富裕層なんだろ? 高級マンションの上層階に侵入した上で、装飾品をすり替えろだなんて。富裕層ゆえに装飾品ごときに金庫なんて使ってないことを祈るぜ。


「つまり、私に犯罪行為を働けと」


「何を仰いますか。現在犯罪になっている状態を解消するのが貴女の役目です」


 理由はどうあれ人んちに無断で入れば不法侵入だし、本物と差し替えるとはいえ私は“レプリカを盗み出す”ことになる。見つかったら完全にアウトだ。というのを理解しているからこそ、このご婦人は自分や召使いにもさせず下々の民を使おうとしているはずだ。その辺のチンピラを使えよ、と思ったら、


「貴女はこういった汚れ仕事を働くことが少なくないと聞きますが」


 どうやら私をチンピラと同じだと思ってるようだ。

 さすがに犯罪そのものが目的の依頼は初だ。目的達成のための手段として自分の意思で法を逸脱することは多いが、人の犯罪の実行犯をさせられるなんてことはない。


「もちろん報酬も用意させて頂きます。こちらが前金の50万円です」


 川島氏は、指の細さがはっきりと分かる白い手袋でつかんだ札束を、テーブルに差し出した。


「この上で、成功報酬を50万円用意しております」


「ハッ」


 思わず鼻で笑ってしまった。


「何かご不満でも・・・?」


 不満しかないね。私は、右手の指を全部立ててパーに開き、貴婦人に手のひらを向けながら言った。


「500万円、申し受けます」


「なっ・・・!」


 何かご不満でも?


「何を、そんなっ、貴女まだ高校生でしょう・・・!?」


 年齢が低いことが報酬を下げる理由になるのかい?


「これでも、レプリカではなく本物のサファイアを用意した場合よりは安いのでは? 納得頂けないのであれば、この話は無かったことに」


「なっ、ひ、人の足元を・・・!」


 随分と細くて綺麗な足だこと。スリッパが汚くて申し訳ないね、まさかマイスリッパを持ち込まれるほどだとは思わなかった。


「っ・・・分かりました。今は持ち合わせがありませんので、誓約書をしたためる形でよろしいですね。いずれにせよ、秘密の口外防止のために必要ですから」


「ええ」


 自分から頼みごとを持ちかけておいて、口外NGの誓約書まで書かせるとは失礼なもんだ。私が紳士協定を守るような人間じゃないのは確かだが。


「・・・確かに、サインを頂きました」


 秘密を口外しないこと、成功した暁には残りの450万円が支払われること、これから託される本物のネックレスを紛失した場合は私の負担で補償しなければならないことが書かれた誓約書に、私と川島氏双方のサインを追加。2部作り、それぞれが1部ずつ持つ。めんどくせー。


「では詳細に入らせて頂きます」


 さて、引き受けを決定し誓約書のサインまで済んだところでようやく詳しい話が聞ける。全く、暇じゃなかったらマジで門前払いだったのに。なんで暇な時に限ってこんな依頼しか来ないんだ。


「まず、友人のお名前ですが、間宮璃子という方をご存知でしょうか。世界的に活躍した元舞台女優なのですが」


「間宮璃子、ですか・・・」


 そういえばそんな人もいたような、という感じだな。


「お若い方はうろ覚えなのも無理はありません。名誉ある賞を獲得するなどして有名な方だったのですが、国内より海外の活躍が多かった方ですし、引退から5年経過しておりますから。間宮さんもまだお若いのに、もったいない」


「そうですか。それで、その間宮璃子さんがネックレスの持ち主ですか?」


「仰る通りです。現在はもう帰国して長く、港区のタワーマンションにお住まいです」


 うはぁ・・・がっつり富裕層じゃん。舞台女優としてよほど活躍したみたいだな。それはそうと、侵入するにはセキュリティの壁が厚そうだ。


「小さな飛行端末を間宮さんのお宅に入れる必要があるのですが、それができそうな機会はありますか?」


 “小さな飛行端末”とはドローンのことだ。コバエ型ならば窓を開けた隙にでも侵入させることができるが、4次元収納がなくネックレスの運搬はできないので、ハエぐらいのサイズのを使うしかない。“窓を開けた隙”では見つかってしまう恐れがある。できれば、来客などで他に気を取られてる隙を突きたい。


「それでしたら、5日後の土曜日に来客があると仰っていたので、そこが最初の機会となります」


 川島氏自身が訪問する手はずぐらい付けておいて欲しかったが、それをしようとしたら先約があって断られたのだろうか。で、肝心の川島氏の訪問がいつになるかだが、


「わたくし、来週から海外へ行かなければならないので、できれば今週末の機会で何とかして頂けると助かるのですが」


 これである。海外旅行の準備中に片付けてね、そしたら心置きなく行けるから、ということだろう。どうせ仕事じゃなくて友達との遊びだ。500万でも割に合わないと思えてきたぞ。


「分かりました。早くしないとレプリカだと気付かれてしまう恐れもありますからね」


「ありがとうございます。こちら、間宮さんのお住まいの物件名に部屋番号と、土曜日に訪問される方のお写真とプロフィールです」


 なるほど、誓約書にサインさせただけあって関係者の個人情報を提供してきた。その割に川島氏自身のことは名前しか教えてもらってないが。


「本物のネックレスについては後日、別の者がお持ちします」


「大丈夫です。くれぐれも取り扱いには細心の注意を払いますので」


 なくしたところで川島氏の負担はゼロだがな。私が弁償する誓約書にサインさせられたから。


「それでは、よろしくお願いしますね。よい知らせを期待しております」


 玄関で最後の挨拶。あとは川島氏が出るのを見送るだけだが、


「あら・・・?」


 どうかしたのだろうか、左の二の腕を気にしている。


「蚊にやられてしまったようです。蚊取り線香の匂いが服に付くのを我慢したというのに」


 それは失礼。にしてもひと言多いな。

 川島氏は紫外線対策なのか手袋は上腕部まで覆っているし、そこからは上着の袖があるので露出ゼロなのだが、袖口の隙間から侵入を許したのか上着が薄いのでそれ越しに刺されてしまったようだ。

 タワマン住まいだと分からないかもしれないが、下々の民が住むような場所ではこういったことも起こるのさ。


「すみません、自分で作ったんですけどまだ改良の余地があるみたいで」


 下々の民の手作りなんだから仕方ないよね。本物のサファイアを返さないと犯罪状態が続くという悩みが解消されるんだから、500万に加えて少しの血が吸われるぐらい我慢していただきたい。


 不機嫌を隠そうとしない川島氏を見送り、1人になった。といってももう4時だ。メールが来たのが12時で、そこから氏の移動を待っての商談だったからいい具合に時間が経った。


「さて」


 間宮さんへのお宅への侵入に向けて準備をする前に、やるべきことがある。今日の川島氏は最初から最後までずっと手袋をしており、足はストッキングは当然にしてもマイスリッパ装備。そして私が出したお茶には一切口を付けなかった。下々の民の貧相な家を訪れた貴族様の行動としては有り得る範疇なのだが、いささか気になる。


 それと、借り物が壊れたことに対して修理で済まそうというのはまだしも、大事な縁談の最中だというのに突然の返還要求に対して本物のサファイアを買うコストをケチってレプリカをこしらえたというのも引っ掛かる。その割には今日の500万にはその場で応じた。本物買うより安いにしても、ちぐはぐな印象を受ける。


 つまるところ、全体を総合的に捉えた感覚としてモヤモヤしたものが拭えない。下々の民を無意識に見下すような物言いを差し引いても、このまま素直に協力する気になれないほどには。


 港区タワマンへの不法侵入&盗みというリスクの高い真似をさせられるのだから、そもそも川島氏が信用に足るのかというところから調べさせてもらおう。川島氏を追跡するコバエ型ドローンは既に派遣済みだ。私はパソコンに向かい、婦警の古川に連絡を入れた。川島氏と、間宮さんと、土曜日に間宮さん宅を訪問する人――遠藤香純美さん――の3人分の、警察で把握してる情報を要求した。


 返事は夜に来た。中々に興味深い内容と共に。


<3人のうち1人、元舞台女優の間宮璃子は現在連続詐欺への関与があるとみて捜査中です。こちらも協力を惜しみませんので連携させて頂ければと思います>


 まさか、これからレプリカを回収して本物を返してあげようという相手に、連続詐欺の容疑が掛かっていようとは。

次回:レプリカの道標

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