第94話:停学日和
翌日。リビングに出ると、スーツを着た両親が朝食を食べていた。いつもスーツ出勤の父はともかく、私服通勤の母がスーツを着ているとは珍しい。
「出張でもあるの?」
あるいは、重要来客でもあるのか。
「窓咲高校にお呼ばれしてるのよ。誰かさんが停学になったから」
おっと仕事じゃなかったとは。
私が作った冷却スプレーで事故が起こりマドコー生徒6人が病院送りになったことで1週間の停学を食らったのだが、更に昨日3人の小学生を病院送りにしたことで2週間に延ばされた。さすがに学校も保護者を召喚せざるを得なくなったらしい。
「お手数お掛けしております」
「成績不振で呼ばれた方がまだマシだったわ。恥ずかしいったらありゃしない」
ここへ父が口を挟んだ。
「でも休みを消化するいい機会になったんじゃないのか? ついに管理職もノルマが発生したと言ってたじゃないか」
母は課長をしている。父も主任技師と呼ばれる課長相当の職位なのだが、いわゆるラインマネージャーではない。
「勤務しても半休つけるぐらい簡単にできるわよ。意味もなく休まざるを得なくなる身になって欲しいものだわ。あなたが学校に行く?」
「あいにく今日は来客があると言ったはずだが」
「なんで今日に限って私のスケジュールが空いてるのよ・・・空いてる時にこそ色々と作業を片付けたかったのに」
母は文句言いたげに私の方を見た。というか文句をぶつけてきた。
「さーせーーん」
「全く・・・次の停学に備えて、私たちの代わりができる人工知能を作っておきなさい。できるでしょう?」
沙綾のことは、昨晩両親に説明した。2人とも唖然としていたが、食事が1人分追加される訳でもないし別にという感じだった。
「作ったとして、分身の方に仕事に行かせて自分は家でゴロゴロするつもりでしょ」
「当たり前でしょう。どうせ私の仕事は会議とそのための資料作りだし。人間である必要はないわ」
堂々と言い切りやがった。影武者に仕事をさせて給料は自分がもらえるとなれば、それより良いことはないだろう。
私としては作ったAIをそんなことに使われるなら、企業にAIを売りつけて人件費節約に貢献したいね。
「娘が作ったAIに仕事を奪われる日が来るなんて、考えただけでも恐ろしいものだが」
既にAIを活用しつつもその存在に脅かされている主任技師殿が呟いた。
【おはようございまーす】
沙綾が来た。大学生だからもう少しルーズなのかと思ったら、結構朝が早いな。
【お世話になり始めたばかりなんですけど、しばらく傷心旅行に出掛けようかと思います】
「え?」
「は?」
「ほん・・・?」
いきなり何を言い出すのかと思えば。
「傷心旅行って・・・?」
母が尋ねた。
【実は彼氏が人身売買で警察に捕まっちゃって・・・】
「「はぁ??」」
首をかしげる両親。そこまでの説明は昨日しなかったからな。というか言わずに居候を続けるものだと思ってた。
「それは、随分な男に引っ掛かってしまったわね・・・」
そうか、何も知らない両親からすれば沙綾の彼氏は、“彼女がいるにもかかわらず人身売買を働いた輩”になるのか。
だが真実は、その男が買い取ったのは沙綾で、AIを買ったに過ぎないのに警察に対して“人間の女の子を買った”と供述したがために捕まった。真実の方が意味分かんねぇ・・・目の前で見てても信じられなかった。
母のコメントに対して、沙綾はゆっくりと首を横に振った。
「タッくんは、私のためにしてくれたんです。会えなくなったのはショックですけど、私のタッくんへの想いは今でも変わりません。ただやっぱり、気持ちの整理がつかないので1ヶ月ほど留守にさせて頂ければと思います」
「そ、それはご自由にどうぞ・・・」
ぶっちゃけ、AI美少女が失踪したところで困らんしな。
「旅行というのはどうやって行くんだ?」
父が聞いた。確かに、AIが“旅行に行く”って何なんだって話ではある。だが私の作ったAIは、架空の大学生活があるしそっちの世界で旅行に行くことも可能だ。プログラム上は、1ヶ月傷心旅行に出掛けた記憶が追加されるだけだが。
【それについては、ワトソン君のお友達が協力してくれそうで】
「「「え??」」」
ワトソンの友達? 待て、ということは電子の世界に戻らずこっちで旅行に行くのか?
【端末さえあれば私はどこでも出入りできますから、ワトソン君のお友達が運んでくれるんです】
「そうか・・・」
まさかの返答に父も困惑している。私も困惑している。
「その、ワトソンの友達って?」
聞いてみた。
【ヘンリー君だよ】
ヘンリー・・・名前を聞いたところで誰のことなのかは分からんが、ワトソンが連れて行かれる訳じゃないなら誰でもいいや。
ワトソンが認めた奴なら、端末を秘境でもどこにでも運んで人目を避けて沙綾を外に出すぐらいできるだろう。犬一匹じゃ電車には乗れないが、武者修行ついでに歩きでもするのか。
【そういう訳なので、今日のお昼には行ってしまいますね】
「ええ」
「気をつけてな」
沙綾は両親に一礼して部屋に戻った。いつの間にワトソンとも仲良くなったんだか。あいつのことだから、沙綾が深夜に1人で庭で泣いてたりしたところに声を掛けたんだろうけど。
昼前、11時過ぎ。
【それじゃあ鏡子ちゃん、私行くね。戻ってくる頃には元気になってるはずだから、一緒に遊ぼ】
「そうね」
別に、律儀に戻って来る必要もないんだけどな。ただ、日常的に外を自由に歩き回ろうとするなら窓咲以外だと厳しいが。
「というか、何でわざわざこっちの世界で旅行に?」
【だって、向こうじゃプログラム上の記憶が追加されるだけで、実際に旅行できるわけじゃないから、気持ちの整理なんかできないよ】
「あ、そう・・・」
なんてAIだ。作ったのは私なんだが。
「はい、じゃあこれ」
「ワン!」
ヘンリーと思しき犬が庭に来ているので、虹元から返還された端末を渡す。前足を腕に例えた際の、二の腕に相当する部分に巻いてある紐に取り付けた。
「それじゃあヘンリー、頼んだぞ」
「ワォン!」
【それじゃあワトソン君も、またね】
「あぁ。気を付けて来るんだぞ、沙綾の姉御」
ワトソンはAIのことをどう思ってるんだろうな・・・。
さて、沙綾が旅に出たことで1人になった。今日は9月1日なのだが、停学を食らっているので休みだ。外は綺麗に晴れているのだが、停学中に身で不用意に出掛けることは避けるべきか。
ちょっと早いが昼飯にしようと思ったところで、家の固定電話が鳴った。
「珍しい・・・」
とは言ったものの、私自身が普段平日に家にいないから分からない。だがそれは両親も同じだし、2人とも実家を出て上京しているから祖父母もいない。それなのに固定電話が鳴るなんて・・・。
取ってみたら、その理由が分かった。
【ほう、ちゃんと家にいるみたいだな。さすがに初日から外に出たりはしないか】
君津だった。どうやら、私が停学をいいことに遊びに行ってないかの確認らしい。ビジネスでも入らん限りわざわざリスク負って出掛けないっての。
「そんなに私の声が聞きたかったなんて光栄ですね」
【言ってろ。だがこの後お前は固定電話への着信をスマホに転送できるようにするだろうから、もう電話で確認なんてしないぞ】
けっ、バレてらぁ。
【だからと言って遊びに行ったり、くれぐれもトラブルを起こしたりしないようにな。次は停学の延長じゃなくて退学だと思え】
「あー、君津センセに会えなくなっちゃうのやヤですねぇ」
【どの口が言ってるんだか。じゃあな】
そこで電話は切れた。全く、教師とはいえツレない奴だ。せっかくだからご期待に応えて外出でもしようかしらね。さっきまではそんなつもりカケラもなかったのだが、なんかこう、そんなに疑うんなら実行してやるぜって気分になった。魔が差しちゃったものは仕方がない。
「いー天気じゃん」
うんうん。こんな天気のいい日に、停学だからって引きこもるのはどうかしている。残暑がだいぶ残ってるのが玉に瑕か。図書館でも行こ。夏休みが終わったから中高生で賑わうことがなくなりガラガラのはずだ。窓咲に大学はないし。
チャリも使わずに気分よく散歩していたのだが、
「あら鏡子ちゃん、停学になったんじゃなかったの?」
「お前なに出歩いとんじゃ! 大人しくしちょれ!」
「ははっ! いい度胸じゃないか! 魚食うか!?」
近所の連中が話しかけてくる・・・有名人は辛いぜ。駅に着いても、あちこちから視線を浴びるようになった。ここまで来ると私が停学になってるのを知らない人が大半だろう。平日の昼間に厳木鏡子がウロついているというだけで、妙に警戒されてしまうようだ。こっちはただ散歩してるだけなのに失礼極まりない。
「なんか大して気分転換にならないわね」
夏休みが延長されたところで、ロクに満喫できるものでもないな。“お前なに自分だけ休んでるんだ”なんてことは誰も思ってなさそうだが、中々に好奇な目を向けられてしまう。赤毛の特徴があるとはいえ制服姿でもないのに分かっちゃうなんて、実はみんな私のこと大好きなんじゃないの?
駅を横断して西口から出ると、図書館はすぐそこだ。やはり職員から怪訝な目を向けられつつも、声を掛けられることはなかった。市内西部にある大図書館―――今も空中浮遊を続けている―――と比べると品揃えは物足りない部分もあるが、中心地ということでそれなりだ。
「ま、目を見張るほどのものはないか」
ある程度ぐるりと回ったあと、最後は科学関係の棚へ。古すぎて逆に本屋に置いて無さそうではあるが、単位系まで古かったりして学生の勉強には不向きだ。イラスト付きの初心者向けとか入門用だとかのやつは、本屋で金払うよりはこういうとこでタダで借りるのが良さそうだが、シリーズが全部そろってなかったりして中途半端な感じだ。
「飽きたわね」
元から目的がなかったこともあり、飽きがきた。デスクワークでもしようかとも思っていたのだが、職員や他の客がチラチラと見て来るし、落ち着かん。ガラガラなのは良かったのだがそのせいで逆に目立ってしまっている。
何しに来たんだろ、みたいな視線を浴びながら外に出る。マジで何しに来たんだろ。自分でも分からん。
「あーあ、ビジネスでも舞い込んで来ないのかしらね」
今は本当に何もなく、媚薬や化粧水などの定常製品の注文が入ってる程度だ。お得意様には専用アプリで注文してもらう形を取っている、受注した時点で自動的に生産が開始されるので、稼働状態の確認とメンテぐらいしか私がやることはない。
「なんか食お」
もう12時は過ぎている。メシという目的があれば、好奇な視線を向けられることはあっても図書館よりはマシだろう。
喫茶店に入り、ワッフルサンドと柚子パフェを注文。待ってる間にタブレットPCを開くと、1通のメールが来ていた。
<知り合いが街で見かけたそうなのですが、今日はお休みなのでしょうか。折り入って、ご相談したいことがあるのですが>
次回:迷える子羊に救済を




