『「《異世界女神はロクでもない》」』
36.名無しの妖怪
女神は可愛い。
そんな女神は異世界にいるんだ!
異世界は楽園だ。
たどり着く手段は、列車に乗ること( ͡° ͜ʖ ͡°)ゲコ
ある日、男は掲示板でそういう書き込みを目撃した。
くだらねえたわ言だ、と思った。
異世界の女神…?なんだそりゃ。
液晶ディスプレイに映り込む男の顔は、 苦笑した。
つーか、僕の女神は現実にいるしとそう思ったーー。
✳︎✳︎
男は、三日後校内で一番可愛い子にこっ酷く振られた。
そして、何故か月曜日の校舎の話題はそれで持ちきりだった。
「はっ、誰が告ったって…?
岡島……誰それ……??
うっは、だっせ、不相応過ぎだろ」
「わ、笑うなよ!!
今お前の前にいる奴岡島だって…!」
「……いっ。
まじかよ……」
そんな会話が、自分を馬鹿にするような眼差しが、一週間続いた。
一体、誰が噂を広めたのだろう……?
そう考えると、男の心がちくりと痛んだ。
でも、10日もすれば元に戻った。
平穏無事な、普通の学校生活。
12日目。
ーー自分を振った女は、サッカー部のイケメンと付き合い出した。
話題はぶり返した。
皆んながーー自分を馬鹿にした。
職員室の前で、教師が笑っているところまで目撃した。
教師は目を逸らした。
岡島は、いっそ着丈に振舞って教師に愛想笑いの一つでもして見せたが、心の中のスーパーひとし君的なリトル岡島くんは号泣していた。
そして岡島は決意した。
ーー自分を癒してくれる女神のいる異世界に行こうと。
本当にいるのなら、見つけ出してやろうじゃないか異世界女神を、と。
●●●●
さてさて、これはリアルを生きる人間たちは知らぬ話であるが。
女神ーーーーそれは異世界に確かにいる。
つまり、異世界も女神も、人間のあずかり知らぬところで当たり前に存在しているらしいのだ。
当然。現実にはそんなものはいないが、異世界にいるというその女神という生き物は、リアルに疲れた男たちを優しく包み込んでくれる。
ただ一つの代価だけで、心と身体を優しく包み込んでくれる。
全ての苦痛や辛い過去を忘れさせてくれる。完全な自由を与えてくれる。それをよしと思わないものは、ただ拒絶するだけで良い。
女神。
それは去るものを追わず、求める者は必ず救ってくれる存在だ。
さて、
そんな優しい彼女ではあるが。
世話になった男は後払いで一つ代価が要求される。
女神は肉食だ。
だから代価として散々世話をしてやった男の身体を喰らう。
別に喰われたって、痛くはないらしい。
だって女神は上手に食べる。
喰われた男は、自我を失い、ただ与えられた役割を遂行するだけの影になる。
一生死ぬこともなく、魂だけの存在になるという。
ただ、次に女神に喰われる男が現れるまで、白い帽子を被り、働かされる。
………………
…………
……
このお話は、そんなこととはつゆ知らぬ1人の青年が。
ただ掲示板で、
『女神は可愛い。
異世界は楽園だ。
たどり着く手段は、列車に乗ること』
こういう書き込み(原文まま)を目撃した岡島が、ひとときの夢を求め、楽園を目指し、無事異世界にたどり着くまでの物語であるーー。
●●●
電車に乗って旅に出た。
青春18切符に若者だけに許された魔力を込めて、僕は目的のない旅に出たのだ。
電車が終点に着いて、随分と時間が経った。
もう夜の12時を過ぎた。
僕はそれが悪いことと分かっていながら、電車から降りずに、2両目のトイレの中に隠れていた。終電の後、“俗説では”電車は車庫に向かうらしい。
ただ、僕はもっと特別な行き先を期待していた。
とあるオカルト紙に端を発するというネットの書き込みによると、若者が青春18切符に“魔力”を込めると、終点の駅から発車した電車の行き先は異世界になるらしい。
バカバカしい…?
僕もそう思う。
でも、本当に異世界があって本当に女神が存在したら……?
それを見つけようとしないことは、
とてつもなく大きなチャンスを逃すことに繋がるんじゃないだろうか……?
今僕はとうに誰もいない電車の中で、切符を握りしめている。
半ばバカバカしいと思いながら、しばらく学校なんて休んでやるとそう決めて。
しかしトイレは狭く暗い。
僕は便座の上でウンコ座りをしながら、スマホの画面を見つめた。
『1時53分。
着信なし』
着信がないのは友達がいないからだ。
僕に友達がいないのは何でだ?
分からない。
スマホの時計が、1時54分になった。
4か、演技が悪いな。いや縁起が悪いな。
液晶ディスプレイから発せられるブルーライト光線が、
僕の顔をブルーに照らす。
「……ふふふ、今日も僕は面白いなぁ…。
クラスの奴らは僕を気持ち悪いって言うけど、演技と縁起をかけるセンスときたら…」
僕が早口で1人ゴチっていると、その時、車掌がトイレの前を通り過ぎる靴音がした。
しまったーー声を聞かれたか……。
僕は焦った。
なんとうかつなぁ……。
見つかったら一貫の終わりなんだぞぉ……。
僕は、心の中のリトル岡島をポカポカ叩いた。
自戒の念を込めて。
それから、そんなことより僕はそうっと息を潜めた……。
「もしもし、誰かいるんですか…?」
扉の向こう、車掌の声。
「いるなら返事をして下さい。
別に怒りませんから」
イライラした感じがヒシヒシ伝わる感じで車掌は言う。
というか、思いっきりため息が聞こえた。
息をひそめる僕。
返事なんてするか。
異世界に行って女神に会うんだ。
それが今の僕の全てだ。
だから、
静かにしないと……。
慌てた僕はスマホを便器の中に落とした!!
ぼ
ちゃ
り
大きな音!!
しまったああああ、取り返しがああああああ!!!
駅員が、チラと扉の覗き穴を見る。はい残念、内からは見えるけど外からはすりガラスww
不審げに首をかしげる駅員。息をひそめる僕。
パッとトイレに明かりがついた。駅員の仕業だ。
(バレたか……)
僕はますますイキを殺す。
いや。まだ、まだバレてはいないかもしれない。
ドアを開けて、姿を確認されない限り……!!
ドアノブに手を掛けようと、そおっと手を伸ばす駅員。
震える僕の唇、両手を口に押し当てて漏れ出しそうな声を……おし殺す……。
「……誰かいますか?」
駅員が言った。
彼はドアノブに手をかけるのをためらった。
そうだぁ、イイぞお……。
「…………」
当然僕は答えない!!
「……誰もいませんよね…。
いや、つーかいたらめんどくせえわ。
いちいち残業したくしねえし……。
……あの、もう車庫に戻すんで、寒いすけどそこで後悔しながら寝ててくださいね」
駅員は、頭をかきむしって、そう言った。
「じゃ、せいぜい幸運を祈ります。
まぁ、いないでしょうけど」
駅員が去っていく。
「………ふあああああ……せ、セーフ……」
何だかドッと疲れた僕は、水中に10年ぶりに浮上したみたいに息を吐いた。
心臓がバクバクだ。
おおお……緊張したぜえ…
異世界行きの可能性セぇ〜〜フ……
きっと、女神のおっぱい柔らかいんだろうなぁ…。
異世界つーのは、女神が優しくて自分が主人公になれるそういう優しい世界にちがいない。
ーーだって、そうじゃなきゃ
異世界なんてある意味ねえーー。
僕は便器に沈んだスマホを見つめながら、そう思った。
「……う、うわっと…」
と、突然体がよろけた。
ガタンゴトンと電車が動き始めた。
ガタンゴトン
ガタンゴトン
ガタンゴトン
ーーレールの上を車輪がゆっくりと回り始め
ーーやがてそれは高速となり
ーー夜の街並みを車窓の枠組みの中に置き去りにして
ーーーー便器の上、僕の身体が、ガタンガタンと揺れている。
さぁ、これから僕は異世界に行くんだ。
僕は、暗闇の中で、希望にそっと口角を押し上げた。
水没したスマホは諦めた、だってもう汚いし……。
ま、どうせ異世界にスマホなんて必要ねえ。
と、深夜もすっかり深くなり、
乗ってはいけない電車にこっそり乗っていることがなんだか楽しくなってきた。
「ははは……、駅員の件はついてたぜ……」
嬉しくなってきて、アニメの悪役キャラみたいな喋り方ごっこをやってみた。
そう、なりきりというやつだ……
ふと見ると
トイレの小窓から、大きな満月が見える。
気分はオオカミ人間だ。
高鳴る鼓動ーーギンギンに開く瞳孔ーー三日月型に上向く唇。
きっと本当に異世界にまで行けたのなら、素晴らしい未来が幕が明けるだろう。
帰ってきた後、本を書くも良し。
異世界行ってきたという動画は100万再生を超え、テレビからも出演のオファーが来るだろう。
するとどうだ。
友達は増える。
クラスの人気者だ。
僕を振ってサッカー部なんかと付き合いやがったあの女のことも、逆に生暖かく見守ってやれるだろう。
……もしも、向こうがゴメンなさい本当は岡島くんのことがずっと好きだったの…と頰を真っ赤に染めてモジモジと上目遣いで言ってきたら、なんなら付き合ってやらんこともない。
何故…?
うーん……、そうだな……。
顔が可愛いからだ。
「ははは……」
僕は、鍵の閉まったトイレの中で1人笑った。
自分の妄想に、素晴らしい未来に思わず……。
既に走り出した列車……。
空に浮かぶ満月を、小窓越し、らんらんとした目で見僕は上げた。
「…さぁ、行こう夢の楽園へ…」
●●●●
その頃。
異世界の花畑では、久しぶりの獲物に空を空かせた女神が、美しい顔を大きく開き、ガチガチと歯を鳴らしていた。
●●●●
終点を発車したその電車の運転席は無人だった。
たった1人の夢見る乗客を乗せ、ひとりでに走る列車。
走る、走る。
線路の上を。
まるで人間の目みたいな2つのライトが、前を照らす。
闇夜を、無人の明るい電車が走っていく。
ひたすらに
ひたすらに
車庫に繋がるレールからは、もうとうに逸れた。
この列車は一体どこに向かうのだろう…?
と、運転席に、奇妙な影が現れた。
人型の、大きな影が、運転席に腰掛けて、レバーを握った。
加速する列車。
80…100……120キロ……150キロ……170……190……千……。
ゴオオオオオオオオオ……!!!!!
凄まじい音を立て、列車が住宅街を通過する。
車輪からバチバチと火花が散り……。
運転席に座った影の口元が、大きく嗤って、電車はさらに加速していく。
電車全面のライトが照らし出す先、線路はもう500メートルと続かない。
線路の果てへとやって来たのだーー。
とうに速度計など爆発させて、なお加速し続ける列車。
回る車輪、線路がついえた……。
線路の先には、深い海があって、ネオンに彩られた何とかブリッジという橋があった。
猛烈に横転する車体。
二転、三転、四転、地面の上を猛烈に転がって、それから列車は空を飛んだ。
海上スレスレを、見えない線路があるみたいに走って
光り輝く橋の上を、行き交う小さな車たちを見下ろしながら空船みたいに飛んだ。
Poo—!!!
Pooo!!!pooo—!!!!!
ありもしない汽笛の音が鳴って、青年を乗せた電車は、雲の向こう、夜にかかる虹の彼方の異世界へと旅立っていく。
運転席で、影は、一仕事を終えた人間みたいに額の汗を拭うと、次の瞬間ふっと消えた。
ただ、彼が被っていた白い帽子だけが、消えずに運転席に落ちていた。
●●●●
ーー岡島は無事、異世界にたどり着いた。
どこまでも続く美しい花畑。
とても美しい女神と2人きり。
女神は夢を見せてくれた。
暖かな日差し、柔らかい膝の上でうたた寝をした。
夜には、かぐわしい花の匂いをかいだ。
2人、ピッタリ肌を重ねて交わり合った。
それはーーどんな現実よりも美しいものだった。
すっかり帰りたくなくなった。
自分を振った女のことなど今やどうでもよかった。
ましてサッカー部など、顔も忘れた。
多分ジャガイモみたいな顔だ。
毎日楽しい時を過ごした。
夢のようだった。
ある日、女神の提案で、永遠にも等しい時間追いかけっこをした。
次の日も。
また次の日も。
たまには追いかけっこはやめて、柔らかい女神の唇とキスもした。
甘かった。
一日中、キスをした。追いかけっこもした。
だんだん、岡島が鬼をやる回数が減っていった。
やがて、岡島は逃げるばかりになった。
岡島は必死に逃げた。
何日も、何ヶ月も、あるいはそれ以上。
女神は、尖った牙をむき出しにして、岡島を追いかけ回した。
岡島は泣きながら逃げ惑った。
刃物をふり回す女神。
転ぶ岡島、岡島の身体に踏み潰される美しい花ばな、「捕まえた」と馬乗りの女神。
女神は鬼だったのだ。
あぁ、あの美しい女神が……。
「いい夢見れたでしょう?」
刃物が、肉を裂くために岡島に振り下ろされたーー。
やがて
やがて
やがて、ときは過ぎた。
深夜。
べつの若者を乗せた電車、岡島は白い帽子を被って異世界行きの汽笛を鳴らした。
Po—!!
Poooo——!!!!!
岡島は、未だ完全に死んだわけではないのだ。
異世界に仕える者として、常人よりもよっぽど長い生を受けている。
岡島は、確かに異世界を見つけ、女神を見つけた。
Po—!!
Poooo——!!!!!
Pooooooooooooooooooo
今日もどこかで、鉄の車両は空を飛んでいる。
夜遅く、誰もが寝静まったそんな時間に……
Fin.