キノコの幸せ
「もう、どれだけ経つだろう」
「君がここに来てから5時間は過ぎたな」
「おばあさんは?」
「寝ているよ、夜中だもの」
「まだ、生きているってことだよね?」
「すやすやと気持ちよさそうだな」
それを聞いてベニテングタケは、力なく座りこみました。
そして、おばあさんの胃袋に、改めて尋ねたのです。
「お腹は、まだ痛くないの?」
「ぜんぜん」
ベニテングタケは、キノコの仲間。そして、食べると怖い毒キノコ……のはず。
夏の初めに、里山の雑木林で生まれ、秋の初めの今日、この家のおじいさんが摘み取って帰りました。
だいじょうぶでしょうか。夕食に出されて、今は、おばあさんのお腹の中。
ベニテングタケにとって、里山の雑木林は、とてもつらい場所でした。
見上げる空には、クヌギやコナラの木たちがいて、頭の上からいつも意地悪を言われたからです。
「おい、おまえ。キノコのくせにどうして真っ赤な色をしてるんだ?」
「まずそうな色をして。毒も有りそうだ」
生まれてしばらくは、鮮やかな赤色だったから、高い上からも、はっきり見分けがついたのです。
また、あるときは――
「お前を食べるとどうなるんだい。腹をこわすとか、息ができなくなるとか。それともコロリと死んでしまうのかい?」
アリの行列が、頭の傘を渡りながら尋ねてきます。
「ぼくは知らないよ。自分を食べたことがないんだから」
ベニテングタケは、少し怒ったふうにそう答えました。
すると――
「みんな、気を付けろ。ああ怖い怖い」
アリたちは、逃げるそぶりでからかいながら、巣へともどって行きました。
だからベニテングタケは、こんな雑木林をいつか抜け出したいと願いました。
けれど、手も足も無いのだから、しかたがありません。
たまに人間が、キノコ狩りにやって来ても、真っ赤なキノコは、見向きもされませんでした。
ところが今日、ベニテングタケは、とうとうこの雑木林を後にします。
昼間、おじいさんがやって来て、しゃがみこむなり、目と目が合いました。
節くれの太い指がのびてきて、根元のほうをつままれて、すると、すぽっと地面を離れて行くではありませんか。
「やった! やった!」
ここにいてしばらく経つうち、だんだん体は赤茶色に変わって、美味しそうにも見えたのでしょう。
「僕は、だましていない。勝手に茶色くなったんだから。僕を食べて……何が起きても知らないよ。食べる方が悪いんだ」
そんな、身勝手を言ったベニテングタケ。実はお腹の中で、暗い気持ちになりながらハラハラもしています。
「何も知らずに、僕を食べたおばあさん。今から苦しみだしたらどうしよう」
心配な思いが心の底から湧いて、なんだか、申しわけない気もしてきます。
雑木林を抜け出した、うれしい気持ちは、もう心のどこにもありません。
そして、何も出来ずにただこうしていることが、あそこにいるのと変わりなく、嫌に思えてきたのです。
その時でした。まだ夜中のはず――
おばあさんが起き出して、おかげで突然ゴロンゴロン。胃袋があっちへこっちへ動き出したのです。
ベニテングタケは、毒がまわったせいだと慌てています。
「おばあさん、具合でも悪いのかい?」
横でいびきをかいていたおじいさんが、ハッと目を覚まして聞きました。
おばあさんは体が弱く、十日も前から寝たきりなのです。
「いえいえ違うの。夕食でいただいた、キノコがとても美味しかったから、元気が湧いて目が覚めたのよ」
「そんなに美味しかったのかい」
「美味しかったわ。本当に美味しかった。キノコは、タマゴタケって言ったわね」
「毒のあるベニテングタケにもよく似ているけれど、あれはタマゴタケと言う名の、とても美味しいキノコだよ」
「それじゃあもっと元気が出るように、必ずまた食べさせてくださいね」
二人の話を聞いて、タマゴタケと胃袋は、とても驚きました。
しかし、それよりも、おばあさんに元気がもどって「本当に良かった」と喜び合いました。
タマゴダケは、自分の心がほんわか温まるのを感じます。
そして、やっと幸せになれたと心から思いました。
「おじいさん。あの雑木林から、連れ出してくれてありがとう。おばあさん。美味しい美味しいって、何度もほめてくれてありがとう」
最後にそう言うと、タマゴタケは、暗いお腹の底へと消えて行きました。
(おわり)