始まりの時
調停者になって、三年が経過した。
意外なことに──普通に考えれば当たり前のことなのだが──闘神やそれを生み出す恐れのある裏切りのエルフ達との戦闘より、日常生活を送る時間の方が圧倒的に多いということだ。
山に籠って修行を兼ねた狩りをして、食料を得ながらたまに下山して毛皮や余った肉を売り、別の食料や道具を買う──まるで普通の人間のような生活は、新鮮だが、少し退屈だった。
ただ、できるだけ他人とは関わらないようにした。先代の人間関係が引き継がれないということは、調停者にとって不要だからだと判断されているからだろうし、俺もそれに倣った。
闘神やエルフ達と戦っている時間は、退屈を紛らわせてくれた。
そういう意味で、今行っているのは調停者として活動する上で貴重な時間ともいえる。
俺は裏切りのエルフの一人を奴等のアジトだった廃屋で拘束し、尋問していた。
まあ廃屋になったのは、俺と闘神の素敵な共同作業のせいだが。
こいつらが生み出したと思われる闘神との戦いを終えた直後、こいつを含めた四人のエルフに襲われた。
闘神との戦いで消耗していたためやや苦戦したが、一人を斬り殺してからはスムーズだった。
闘神の生体組織を利用し、闘神を生み出すこいつらの存在は厄介だが、奴等もその過程で俺に奴等のアジトの場所がバレるというリスクがある。
「さっさと他の仲間の居所を言え」
拘束と言っても、別に手足を縛ってるわけではない。手足が動かせなくなる程度に痛めつけているだけだ。
とはいえ魔術師は手足を折ろうが、切り落とそうが、完全には無力化はできないので、こちらに認知を向けた瞬間に斬り殺せる間合いの維持は欠かせない。
こいつは四人のうち、最後の生存者だ。
「この、犬が……! お前など、利用されてるだけの存在だ!」
まるで親の仇を見るような目で──実際、俺じゃなくても調停者に親を殺されたりしたかも知れないが──生き残ったエルフが、俺の存在を頑張って貶めようとしている。
「そんな酷いこと言うなよ、これでも一生懸命なんだぜ? 世界平和のためにさ? ……なので飼い主の指令を忠実に守りますかね」
そう言ってから、アービトレーションをエルフの額へ軽く突き立ててから、この剣の能力を説明する。
「この剣は、闘神に関しての記録を相手から吸い出すことができる。生きてる相手の頭に突き立てて、強制的に生かしながらな。
時間がそれなりにかかるから、戦闘中は無理だけどな」
そう説明して、剣先を少しずつエルフの額の中へと進めると、額から血を流しながら相手が苦悶の表情を浮かべる。
相手が話す気になるのも、頭に剣が埋め込まれるのも、どちらにしてももう一押し──そんな下らない事を考えながら話を続ける。
「俺はお前が素直に話してくれても、脳みそに剣を突き立てられた痛みの中で、それでも死ねない苦しみを選んでも、どっちでもいいんだ。なんせお前が言う通り、世界平和の為の犬だからな、アオーン」
「ま、待て!」
俺自身は本当にどっちでも良かったのだが、男は当たり前だが違うようだった。さっきまでの威勢のよさを捨てて話し始めた。
「ランティースだ……そこに仲間は集まっている」
「そうか」
記録から、ランティースの場所を引き出す。竜神谷の沖合の離島。
『その男が、真実を話している保証はない』
『そりゃ、そうだ』
そう頭の中で返事をして、俺は男に向かって精一杯に申し訳なさそうな顔をして、飼い主の意向を伝える。
「悪いが、俺の飼い主様がお前の話の裏を取りたいらしい、ごめんな? ワンワン」
「き、きさ」
あまり俺の申し訳なさは伝わらなかったようだ。俺は相手が話し終える前に男の頭に剣を突き刺した。
本来なら明らかに即死のはずの男が、しばらく痙攣しつつも生きている姿を眺める。
やがて、男の目から光が消えたのと同時に、アービトレーションが思考に割り込んできた。
『どうやら真実を言っていたようだな』
『かわいそうに。あんまり疑り深いのも良くないですよ? ご主人様』
『我々の使命は、物事を曖昧にすることとは相性が良くないな』
『そりゃそうだ』
使命なんてのは、大体そうだろうとは思うが、それを言った所で別に楽しい議論になりそうもないので、適当に同意してみせた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ランティースへのルートは色々考えたが、結局最短ルートである竜神谷を経由する事にした。
竜神谷は外部に対して鎖国をしているが、到着後、調停者だと言うことを伝えると長老の家へと案内された。
長老の家にしては、他と同じように質素な木造の家で、長老にしては若い男と、竜神谷には珍しいハーフエルフらしき女性の挨拶を受ける。
「調停者にお会いできて、光栄だ。申し訳ないが父は今、病に臥せっていて対応できないので、私が代わりに対応させてもらう。長老の息子、ウルルザイトだ。こちらは妻のノギト」
「ノギトよ、よろしくね」
笑顔を浮かべる二人の自己紹介を受けながらも、俺はこんなところに用事はないのでさっさと用件を言う。
「挨拶なんてどうでもいい。畏まる必要もねえよ、俺はランティースに行きたいだけなんだ」
俺が本題に入ろうとすると──
奥にあった扉がバタンと開いて、黒髪の女が現れた。それは美醜に疎い俺でさえ、一目で美しいとわかった。鏡面のように光を反射する漆黒の髪、透き通るような白い肌、妖しく輝き、男を惑わせるためだけにあるかのような切れ長の瞳。
まさに美を体現したかのような、圧倒的な存在だった。美女はそのままツカツカと、彼女に見とれる俺の前まで来て──
俺の顔面に左フックをかました。
見事な一撃だった。闘神によって殺され、再生されたあの時を除けば、これほど綺麗に相手の一撃を受けたことはなかった。
「あんたねぇ、調停者だかなんだか知らないけど、ちゃんと挨拶もできないの?」
彼女の美しさと、突然の出来事に思考を奪われた俺は
「いいパンチだ」
と言うのがやっとだった。
彼女の後ろで慌てたようにしている夫婦をよそに、俺の言葉を聞いた彼女は突然愉快そうに笑った。
「私の魔術や外見じゃなく、パンチを褒めた男はあなたが初めてよ、私はベルルスコニ、あなたは?」
「俺は、調停者だ」
「違うわよ! そんなのどうでもいいの! 名前よ、名前!」
「……ザックだ」
「ザックね、よろしく!」
彼女はパンチを褒められたのは初めてらしいが、俺は──名乗ること自体初めてだった。
思えばザックとしての人生は、この時始まったのかもしれない。




