嬉しくて、悲しかった日の追憶
もう二度と会えない、とは彼は言わなかった。私がそれを理解しているなら、わざわざ言う必要もないだろう。
でも、そんな冷めた気持ちではない、それは私にもわかっていた。会えなくなることは、お互い望んでないのだから。だから彼は、もっと単純に、短く聞いてきた。
「……良いのか?」
良いわけなんか無かった。でも覚悟していたし、仕方がないと諦めていた。
私がいつものように「良いわけ無いでしょ?」と勝ち誇ったように言えば、彼はどう思うのだろうか。
いつもなら、困ったように笑うだろう。今は……わからない。ただ苦しめるだけだというのはわかる。
以前の彼なら、何も思わなかっただろう。
彼がもし、今悲しいなら、それは私がやり遂げた成果だと胸を張って言える。そのせいで、彼と私が苦しんでいるのだとしても。
だからせめて最後は、笑顔で送り出そうと決めていた。だから頑張って笑顔を作ったのに……
彼はそう聞いたあと、しばらく私の笑顔を見つめた後に
「そんなわけ、ないよな。良いわけなんかない」
と言った。そんな彼の優しい言葉に、頑張って作った笑顔は、すぐに崩れた。
私の崩れた笑顔を見て、彼は優しく微笑んだ。まるで笑顔を交換したように。
「ごめんな。もうこんなことで、二度と君に作り笑顔なんてさせない、誓うよ」
「でも……」
それは、許されない。絶対に。そんなことは私以上に彼が知っている。でも彼がそう決めたなら、止められる者は誰もいない。
「俺は君のお陰で半分だけ、人間になれた。そして……」
彼が腕に抱いた、私と彼の子を優しく見つめる。
「この子が、俺のもう半分をきっと埋めてくれる、そう確信したんだ。だからもう、良いんだ」
この世界の運命は、避けられない破滅なのかもしれない。でも少なくとも遅らせることはできる。
それすら捨てて私たちはこの日、世界を裏切った。
彼は世界より、私と私たちの子を選んだのだ。
もしかしたら、そのせいで、この子は誰にも祝福されないかもしれない。それは悲しかった。
ただそれでも、私は嬉しかったのだ。
私はきっと、この日を思い出して何度も泣くだろう。
何よりも嬉しくて、どこまでも悲しかったこの日を──
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「どうした、コニー」
朝食中に急に手を止めたのが不思議に思ったのだろう、ザックの問い掛けに、ベルルスコニは追憶を打ち切って我に返った。
「思い出してたの、あの日の事を」
ベルルスコニは止まっていた食事の手を再度動かしながら、ザックの問いに答えた。
「あの日? ……ああ、出会ってすぐ、俺の顔面に左フックかましたときのことか」
パンを口にしながらおどけたように言ったザックの言葉に、ベルルスコニは思わずクスッと笑う。
「わかってる癖に、そっちじゃないわ、そっちもよく思い出すけど。あの時のザック酷かったもん、礼儀知らずでさ」
「反省してるよ、わりと」
「ほんとぉ?」
リックが旅に出たことによって、夫婦水入らずの時間が増えた。
元々喧嘩するほど仲が良い、を地で行く二人ではあったが最近は穏やかな日を過ごすことが多い。
ベルルスコニは昔の事を思い出したきっかけを口にする。
「そろそろリック、エルフの里に着く頃かなって。そしたら長老が色々話すかも知れないわ。その時あの子がどう思うか、ちょっと心配で……ね」
ベルルスコニが語る不安に、ザックはそれほど気にしていないのか
「まぁ、何かあったら『笛』で聞いてくるだろ。それにアイツも、もう大人だ。つっても、生きてる時間は俺も五年しか違わないけどな」
食事を続けながら、夫婦の秘密を簡単に言ってくる。深刻な気持ちを抱えてもしょうがないと思い、ベルルスコニが笑顔で言う。
「……そうね。初めてあったとき、あなたは体が大きいだけの本当にわがままな子供だったわ」
「じゃあ、今は?」
「あまり、変わらないわ、でも……」
モジモジと話を止めたベルルスコニに、先が気になるザックが尋ねる。
「でも、何だ?」
「そこが好きよ、ザック」
照れながら、横を向くベルルスコニを見る。
その愛らしい姿を見れるだけでも、あの日の選択は間違って無かったとザックは思うのだった。




