認知ドランカー
男は森の獣道を歩きながら、愚痴をこぼしていた。本来鮮やかに色付いているはずの景色は、ただただ白い。本来無色のはずの吐息まで白いのが彼の愚痴の理由だった。
「あーさぶっ。なんで毎日毎日こんな下らないことを……」
毛皮でできたフード付きの防寒具のコートを着込んでいるにも関わらず、彼はぶるぶると震えながら雪道を歩いていた。
意味も、意義もわからずエルフの長老から彼に与えられた使命は、特定の場所の様子を毎日確認することだ。
ここ半年間で、既に毎日通い慣れた道を、いつまでたっても慣れない寒さの中進む。
「大体意味あるのかよ、どうせ今日も同じに決まってるだろ……」
与えられた使命は、退屈で、過酷だ。
毎日毎日困難な事に巻き込まれる事と、毎日毎日変化も無い、そして意味もわからない退屈な作業を繰り返すのは、どちらが過酷なのだろう、彼は考えるが
「まぁ、両方かな、これは……」
彼は自分の考えに、そう勝手に結論付けた。極寒の中歩くことはそれだけで困難だし、その上毎日毎日変わらない物を確認するのは、退屈だ。
出張所となっている小屋を出ておよそ三十分、彼は目的の場所にたどり着いた。
目の前に、池がある。この池が凍っているかどうか、それを確認する、それが役目だ。
彼は池を見回して……
「うん、変わらんな、戻ろう」
そう言って、彼は一刻も早く戻ろうと来た道を帰る。早く出張所に帰って温かい茶を飲もう、この退屈な生活の唯一とも言える楽しみを思い浮かべながら彼は帰路についた。
せめて彼が、意味や意義がわかっていたら、もう少し注意深く確認したのかもしれない。そうすれば、池がほんの少しだけ、溶けはじめていることに気がついたのかも知れない。
結局彼が明らかな変化に気が付いたのは、一か月後だった。
五百年前、ここは沸騰する温泉が涌き出る場所だった。
『災害』によって本来は沸騰している筈のこの場所が、凍りついているのだ。
もう数ヶ月すれば、その本来の姿を取り戻すだろう。
間もなく、終わろうとしていた。あるいは、始まろうとしていた。
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「ずるいよ! リッくんだけ!」
「はあ? なんで?」
ネイト邸応接室。
ミルアー団の会合中にリックが大学の夏休みを利用して、エルフの里に一人で向かうと言った時に、幼馴染みのカスガが突然リックを非難した。
ミルアー団。
正式名称はミルアージャ私設調査団。
皇女の私財で賄われる私的な組織である。
設立にあたって、彼女は友人たちに演説をした。
「組織とは、存在意義が必要です。そして強力な組織とは、構成員がその意義を共有し、成すべき事に邁進することです」
そう前置きしてから、ミルアージャはその『存在意義』とやらを語った。
少し小難しい話もあったが、カスガの「ようは、悪人退治ってことよね!」という意見に、ミルアージャは少なくとも存在意義の共有は完了したと感じたのだろう。満足そうに頷いた。
「この意義に共感できるなら、参加してください。私は、皆さんなら共感していただけると信じてます」
仮に人に信頼を寄せられた場合、とれる選択肢は主に2つだろう。信頼に応えるか、信頼を裏切るのか。
リックは信頼を裏切る事に特に意味を感じなかったので、参加を決めた。彼自身調べたいことがあったし、それには調査が必要だったからだ。
ただ今リックがその活動を夏休み中はできないと告げ、理由を伝えると、予想もしてない非難が降りかかって来た。
「だって……めちゃめちゃ過ごしやすいんでしょ!? 私が夏が苦手だって知ってるくせに! ずるいよ!」
「避暑にいくんじゃないよ!」
確かにエルフの里は、高級避暑地イルカザに近く、一年を通して過ごしやすい地域ではある。
「団の活動に関係ないことに報告義務はありませんが……何しに行くの?」
単純な興味なのだろう、ミルアージャが聞く。ミルアージャは皇帝の娘で、この団のスポンサーでもある。
「うーん、修行……みたいなものかなぁ」
最近自分が感じている違和感を伝えるのは、変に不安を与えると思い、リックは言葉を濁した。
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数日前のこと、リックがいつものようにネイト邸にある屋内運動場で訓練しているのを、ネイトが見ていた。
休憩中に雑談するのはもはや恒例行事となっており、最近の懸念事項をリックがネイトに伝えた所……
「たぶん、『認知ドランカー』ね」
「に、認知ドランカー……?」
ネイトの口から発せられた、聞き慣れない言葉に、リックは思わず聞き返した。
激しい戦いから二ヶ月、彼は認知や解析が以前より精度が落ちていると感じていた。とはいえ端から見れば、彼の認知や解析が衰えているとは一切感じない。本人だけが感じる違和感に留まっている。
少し違和感あるな、程度なので『眼鏡』による副作用が原因だと思っていたのだが……
あまりに長く続いたため、経験豊富な魔術師であるネイトに相談すると、そのように言われたのだ。
「この『世界』にエルフが来たとき、一部の高位のエルフが悩まされた症状みたいよ。自分の認知や解析に違和感がある状態。この世界生まれのエルフには無いんだけどね」
「へえぇ」
「あなた、闘神との戦いで、身の丈に合わない強力な術使ったんでしょ?それが原因じゃないかしら。高位のエルフクラスの術……つまり、世界を大きく変える力を持つ術、その反動じゃない?」
「なるほど……治らないのかな?」
これがずっと続いたり、『眼鏡』による副作用で症状が進むようなら、『眼鏡』の使用自体を今後控えないといけない。そう思ってリックが尋ねる。
「最終的には、克服したみたいよ、やり方何だったかなぁ、長老なら知ってると思うんだけど……」
「なら、エルフの里に行こうかな。あと気になることもあるし……」
「気になること?」
「うん」
回帰主義と名乗ったあのエルフの男、闘神の近くでも認知や解析を行った。それがエルフ固有の能力かどうか確認したかった。もし、エルフ固有の能力じゃないなら自分も身に付ける必要がある。
それは別に闘神とまた戦いたいとか、そんな理由ではない。ただ単に、自己の能力を磨きたいという欲求だ。
と……
「そういえばネイトおばあちゃん、『ロットマイル禍』で闘神とは戦ったの?」
その話題を振ってすぐにリックは後悔した。ネイトの顔が明らかに怒りに変わったからだ。
「聞いてよ! アルルマイカの奴がさぁ! 『お前邪魔だから離れてろ』って私のこと遠ざけたの! 信じられる!? 確かに闘神を解析はできなかったけど、闘神の仕掛けてくる術に反論は充分できたわ! あいつはそういう奴なの! 私を見下してるのか強敵との戦いは昔っからのけ者にしようとするの!」
「そ、そう……」
「確かにあいつには頼ること多いわよ!? 娘産んだ時も鎖国状態の竜神谷にかくまって貰えたのもあいつのお陰だし、戦場で身を挺して何度も命助けられたけどさぁ!!」
「へ、へぇー」
「あいつひどい奴なのよ! ああ見えて結構モテるんだけど、女にたぶん興味ないのね、いつもこっぴどく女を振るの、根本的にその辺の感情が欠如してるのね、武術バカのとんでもない奴よとにかく! 世話にはなってるけど!」
喚いているが、取り合えずネイトにも闘神は解析はできなかったと聞けたので、後は聞き流そうとしたが……
「ちょっと! リック聞いてるの!」
「聞いてる、聞いてるよ」
「聞いてるを二回言うときは、聞いてない!! アルルマイカもそうなのよ!」
火に油を注いだことを自覚したので、リックはその後きちんと話を聞いているフリをした。
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再びネイト邸応接室。
「修行……ですか、フム」
そう言って、ミルアージャは少し考え始める。
「僕は今年卒業だから、その準備かなぁー夏休みは」
カルミックが、夏休みの予定を言う。だが誰も興味ないようで、特に反応しない。
カルミック=イーロンは魔術の名家イーロン家の現当主で、学生生活は今年で終了する予定だった。ミルアー団の中ではリックに次ぐ魔術の使い手で、最近はリックとの修行の成果なのか、その実力をさらに高めている。
カルミックの話など聞いていなかったのだろう、ミルアージャは全員の方を向いて
「では、強化合宿として、みんなで行きましょう。旅費は私が出すわ」
と宣言する。
「え?」
「やったぁ!」
「えーっ!」
三者三様の返事が響く。
「修行もそうですが、あの『回帰主義』のエルフの男が気になります。エルフの里なら、なにかしら情報があるかもしれません。調査を兼ねて行きましょう」
(まぁこの辺は流石だな)
ミルアージャの発言に、リックは感心する。が、ひとつ念のため確認しておく。
「わかっていると思うが、エルフの里へはネリア王国領内を経由しないと行けない。皇族用の高級馬車なんて使えないよ?」
「大丈夫です、私の資金運用先の商会から、荷馬車を用意させます、御者はカルミックがやれば良いでしょう」
「えぇ……」
「こういうのは、年上が買って出るものよ」
「こんなときだけお兄さん扱いしないで……」
ミルアージャの言葉に、不満があるだろうカルミックだが結局強くは言えない。友人関係だが、本来の身分と全く無縁になるわけではない。
見かねたリックが声を掛ける。
「まぁまぁ、交代でやろうよ」
「僕嬉しい! ありがとリッくん」
「お前がリッくんって言うな! ずっと御者やれ!」
「ごめんごめん」
魔術の修行に付き合ってくれるリックは、カルミックにとって、すっかり心の許せる友人になっていた。
その後細かい打ち合わせをして、解散する。と、カスガがリックに近寄ってきて言った。
「ねぇ、リッくん、何か隠し事してない?」
「ん?してないしてない」
「あ、二回言った。そーいうときのリッくんあやしい」
「してないって」
「ふーん……」
そう言いながらも、リックをじっと見てくる。
(女って、どいつもこいつもこういう決めつけでペース握ろうとしてくるよな……)
そう思ったが、リックは口にしなかった。それは、その手口は結構有効だと認めたようなものだった。




