指切り拳万、嘘吐いたら……
――指切りげんまん、嘘吐いたら針千本呑ます――
とある休日。
こんな時間というのは妙に長かった。私とパパは静かにそのときを待っていた。
だけど、なぜだかパパは待つということができない。ふたりになるとわたしに構ってほしくて喋るのだ。昔から。ずっと変わらない。
「なあ、ミチル。針千本“呑ます”ってことは、約束を破られた方が針を千本用意しなくちゃいけないんじゃないか?」
「……あー、なるほどね。さすがパパだわ。天才天才」
パパの時間潰しのような疑問に付き合ってあげる。わたしも時間潰しが必要だった。
思えば、高校卒業の辺りだろうか。わたしも父というものが……というより、父と向き合うことが面倒になって、会話をしなくなってきていた気がする。
母が早く亡くなってから、父はわたしに頑張るとか約束すると云う言葉に、どこかわざとらしさのようなものを感じていた。感じてしまっていた。
「……約束破られた挙句、そいつを罰するために針千本買ってこなきゃいけないんじゃないか? 針って……いくらぐらいだ?」
「十本入りで五百円とかかな。多分」
「ってことは針千本で五万か。約束を破られた上、五万ってそれ、結構多いぞっ?」
こういう回りくどく、それでわたしとふたりだけなのに場を盛り上げようとするとこ、なんかここまで変わらなかった。
針を呑んだわけでもないのに、パパは喋りにくそうだった。息を飲むのも苦しいのだろう。わたしはナースコールに手を伸ばしかけたが、パパは良いよ、と笑った。
「バカに出来ないもんだなぁ。針なんて……買ったことなかったからなぁ」
「……だったら、針なんて飲ませなきゃイイジャン」
「いや、そういうわけにも行かないだろ。“ウソ吐いたら針を呑ませる”っていう別の約束なんだから。呑ませなきゃそっちもウソ吐きだ」
「……わたしは、良いと思うな。約束破ったって。出来れば破らない方が……良いけど、無理なときって、あるもん」
空気が針のように冷たかった。とても、とても。
交通事故に巻き込まれない、そんな約束をわたしはパパとしていれば良かったのだろうか。していれば避けられたのだろうか。していればパパは子供を庇わず、自分の身だけを護れたのだろうか。
いつでも真面目な父だ。真面目すぎていつも損をするのだ。
「……悪い、あとで良いか? 死んでからなら針千本呑めそう……あとで呑むよ」
小学生か何か、子供が後でする、というような投げやりな言葉だったが、本気なのは、少なくとも私には、伝わってきていた。
「……そんなに云うなら……約束なんて……しなきゃ良いのに……」
――ダメ、耐えてわたし。パパにとって最後の私が泣いているわたしなんて、絶対に嫌だ。
「すまんなあ、ミチル……破っといてなんだが……ひとつ、約束してくれないか?」
「……え?」
パパがの腕は上がらないが、何をしようとしているかはわかった。血の気が滞って青くなったパパの小指に、わたしは指を合わせた。
トラックに轢かれたあと、パパの意識は奇跡的に戻った。痛みも魔法のように薬で止めた。ただただ命だけは助からなかった。
そちらがウソで有って欲しかった。パパはいつもと変わらない笑顔のままだったけど、その手は血管がメチャクチャになったせいで硬くジンジンと妙に熱かった。
パパは、約束をした二時間後、痙攣を起こしながら亡くなった。
パパは小さい頃、わたしも忘れかけていた約束を果たさなかった。
三日後に控えた結婚式の前に葬式をやらせて。パパが一緒に歩くと約束していたバージンロードは長いのだろう。約束だけは守る人だったということを噛みしめながら、私は歩くのだ。
それでも、とびっきり綺麗なわたしは、笑顔で彼の隣まで行ってやる。
古い約束をパパは破ったけど、わたしは約束を破らないから。最後の約束、絶対守るから。
だから……わたしが約束を果たしたら……これ以上ないってくらい幸せになった頃、顔を見に来て欲しいな。
来てくれたら針千本、キッチリ呑ませて上げる。
同じく、『父娘』と『針千本呑ます』テーマ設定でホラーの作品はこちら。
『嘘吐いたら針千本』
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