踊り子の夢
翌日、警備を見直すとか、兵士を増やす、というので上官や王子の世話係達はしばらくものものしい雰囲気で走り回っていた。
しかし、兵士達の俺に対する対応は柔らかくなったし、午前の訓練が終わった時には上官が嬉しそうに俺に何かの紙を見せてきた。
「王子様からお前を兵士と同じ待遇にするようにとのお達しだ」
俺は紙に目を落とした。
紙には綺麗な日本語で色んな事が書いてある。要約すれば、俺に敵意が無い事を認める、という内容だ。
「この世界には精霊しか入れない場所や魔族だけが住む場所があり、別の世界が存在してもおかしくはない」とも記されている。
「これを王子が書いたんですか?」
上官は呆れた顔をした。
「王子が言葉がまともに解らんと思っていたのか? あの方は勉学では優秀だぞ。口が人の形でないから言葉が喋りにくいのだ」
夕食の時、兵士に連れられてついに城の外へと出た。
俺が知っている都会の賑やかさとは違うが、酒場の並ぶ通りに来ると聞きなれた繁華街のような喧騒が聞こえてきた。
席に着いた途端、次々に飲み物と食べ物が運ばれてくる。
「変な奴を連れてるな! 誰だそいつは!」
酒に酔った店の客がマルコスに絡んできた。マルコスの肩に腕を掛けながらこっちを見ている。
「城の兵士の仲間だよ」
マルコスがゆっくりと肩から腕を外した。
クーロが豪快に肉を頬張りながら、酒で流し込んでいる。
急に店の端で誰かが手拍子を始めた。
背伸びをして奥を見ると、一段高くなっている場所で赤い服を着た金髪の少女が踊っている。
少女はスカートの裾とゆるく巻かれた髪を揺らし、足でドラムのようにリズムを取りながら、客の間を行ったり来たりしている。
客の手拍子と少女の刻むリズムがまとまりだすと、今度は男の客が歌いだす。
少女は俺と目が合うと、下へ降りてきてテーブルの周りを回った。
マルコスが楽しそうに手拍子をし、話しかけて来る
「なんだよ! 照れてんのか?」
俺は手元で小さく手拍子をしながら、少女を見守った。
少女は店の中心に戻って良き、手拍子と足の動きはだんだん激しくなっていく。
最後に力強く連続で足を踏み鳴らすと、店中で拍手が起こる。
踊った後、少女はこちらを見て、こちらに寄って来る。
「面白い人がいるのね! あなたいくつなの?」
「17」
「ほんとに? 私もよ」
少女は俺と一緒にいたマルコスと二言三言言葉を交わすと、会話もそこそこに給仕の仕事に戻って行った。
夜も更けてきた頃、客も兵士も勝手に席を移動し、バラバラに座り始めていた。
どこからともなく太った男が現れ、隣の席に座る。背が他の男達より低く、俺と同じぐらいしかない。
立派な口ひげの男は俺の背中を叩いてくる。
「君は東の方からの旅行者かね?」
「いや、なんで東だと思うんですか?」
「見かけた時からずっと考えていたんだが、トルバの国に居た時に東からの商人で君と似た顔がいたのを思い出したんだ。しかし、違うならば、君はどこから?」
俺に似た顔という事は東洋人なんだろうか。俺は老人の話に興味を引かれた。
「言っても解らないかもしれないけど……日本てわかりますか?」
「ニホン? 聞いた事は無いな。しかし、音の響きからするとやはり東洋の国のような気がするな。本当に東の国ではないのか?」
「ひょっとしたら精霊の土地? みたいに普通はいけない場所なのかもしれないんだけど」
「自分の国の事が良く解らないのか?」
老人は目を丸くしている。
俺は言葉に詰まってしまった。異世界という概念は俺はアニメや漫画やゲームで知った。
今この場でそれを説明して、この老人は理解してくれるだろうか。
「そういう事になるのかな……」
老人は肩をすくめて手を振ると、どこかへ行ってしまった。
老人が去ってからも兵士達は酒場に残っていたが、しばらくすると俺は満腹感のせいで眠くなってきてしまった。
「そろそろ俺は帰る。お前も来るか?」
タイミングよくクーロが声を掛けてくれた。
「ああ」
店を出ようとして振り返った時、また先程踊っていた少女で目が会う。少女は客の相手をしながら、クーロと俺に手を振った。
俺達は一緒に店を出て、少し静かになり明かりも減った夜道を歩き始めた。
老人の話を思い出しながら、時々少女の顔を思い浮かべる。
咄嗟にした話だったが、自分の話通り精霊の土地のように普通では行けない場所が俺が元の世界へ帰る方法の手掛かりになっているかもしれない。
歩きながら考えていると、クーロが急に俺を脇に抱えた。
「おい! 何すんだ!」
「お前、酒場の踊り子に惚れたな? わはは!」
ふらふらと道の端から端まで右往左往しながら、クーロは歩いている。
俺は小走りでクーロの後ろについて行った。
「なあ。俺、城を出ようかと思ってるんだ」
「む?」
「王子に聞いたんだ。精霊の土地とか魔族の土地があって、そういう場所には人間の持っていない知識があるって」
「本気なのか? お前の功績を考えれば許される可能性もあるが」
クーロは話半分な雰囲気だったが、ろれつの回らない舌でゆっくり答えた。
俺は城に着くと、牢ではなく兵士達の宿舎にクーロと一緒に入った。
気化したアルコールを吸っていたせいか、少し気分が悪くなり誰のものかもわからないベットに倒れ込んでしまう。
「おい、ハルタ! もう少し喋ってくれ!」
クーロが俺のいるベットの近くに倒れて大の字になった。
俺の名前をしばらく誰にも呼ばれていなかったので、改めて聞くと新鮮だ。
酔っぱらって陽気になったクーロの相手をしながら俺はそのベットで眠りについてしまった。
日が昇った頃になってもベットの主は帰ってこず、俺はベッドを占領していた。
トイレに行きたくなり、小走りで宿舎の外へ向かう。
不意に良く響く足音がした。
俺はこの前の暗殺未遂を思い出して、前かがみに身構えた。背中が引きつる。
「何してるんだ?」
後ろからクーロが話しかけて来る。
「中庭の方で奇妙な音がした!」
「はぁ?」
クーロと共に音の方をしばらく見守っていると、向こうから二つの人影が歩いてくる。
それが誰だか理解する前に急に俺は胃が締め付けられるような感覚がした。
門の外から歩いて来たのはマルコスと昨日の踊り子だ。肩を寄せ合い、楽しそうに話している。
俺はゆっくりと時間を掛けてクーロの方を振り返った。
クーロがそっぽを向いて、吹き出すのを我慢している。
「え?」
俺はもう一度二人の方を見た。
門の前で踊り子がマルコスの頬に口づけをした。
クーロが俺の肩にゆっくり手を置いた。
「小さな酒場で踊り子をやっている女というのはそういうものだ!」
クーロは小さく吹き出しながら、そそくさと部屋に戻って行く。
俺は猛ダッシュで兵舎ではなく、牢に帰った。