暗殺
前を向いた途端、俺は尻もちをつく。目と鼻の先に蜘蛛女の顔があった。尻を地面に付けたまま、手と足で後退した。
「また出た!」
ゴンが唸り声をあげて、ラモンは剣を構えている。
距離を取ると、蜘蛛女の左右から別の蜘蛛女が近付いてきているのが見えた。人間の部分は全員が同じ顔をしている。
「ハルタ……」
ラモンが声を震わせている。
周りを見渡すと、俺達の左右背後からも蜘蛛女が近付いてきていた。土や小石を跳ね上げる不規則な硬い足音が俺達を取り囲んでいた。
こいつらに双子はもう襲われてしまったのか。
「なんでこんなにたくさんいんだよ! ヤンヤンとシャオメイはどうしたんだ!」
「食べられちゃってないよね!」
真正面の一匹がこちらに向けて飛び跳ねて来る。振り下ろされる足を俺が槍の柄で受け止めた。そこからさらに蜘蛛女は手に持った鎌を振り下ろして来るのを、ラモンが剣で防ぐ。
訓練の成果が少しは出ているのだろうか、俺はなんとか蜘蛛女を押し返して、槍を繰り出した。蜘蛛女は悲鳴を上げて、飛び退いた。
しかし、その間にも他の蜘蛛女は包囲をどんどん狭めている。
「師匠! 助けてください!」
俺が叫んだ瞬間、木の上から小さな影が蜘蛛女達の上に落ちてきた。いつの間にかヤンヤンとシャオメイが蜘蛛女上に肩車されるように座っている。
双子は曲芸のように蜘蛛女の上で回転した。唖然とした表情のまま蜘蛛女の首が折れ曲がる。八本の足から力が抜け、蜘蛛女は崩れ落ちた。
蜘蛛女達は慌てて、双子から離れた。
双子は興奮し目を見開いている。最初から蜘蛛女の気配を感じて、隠れていたらしい。
「主らも戦わんか、ハルタ!」
師匠に怒鳴られて、訳も解らないまま俺とラモンは目の前の蜘蛛女を武器で貫いた。蜘蛛女達が双子に体に取りつかれないように慌てふためいている。
双子は猿のように木の上に隠れると、リスのようにその上を器用に駆け抜けて、また別の蜘蛛女の首に手を掛けた。
次の瞬間、二人が目に見えない何かに突き飛ばされるようにして、首から叩き落とされる。
上から羽根のようにゆっくりと女が舞い降りて来る。蜘蛛女ではない。顔や上半身は全く同じだが、人間の下半身を持っている。
誓が町を訪れた時に襲い掛かって来た魔女だ。
「妹を焼き殺した奴らが来ていると聞いて来てみたけど、本当に来ていたのね」
女が静かな笑みを湛えて、こちらを見据えている。視線が一切動く事が無く、暗闇の中で瞳孔も日開き切っているのが解った。
女が手をかざす。不意に空気の波のようなものを感じて俺は身をかわした。波に引きつれられるように衝撃波が地面を抉る。
「おや……面妖な」
女は布をこするような小さな声を出して、驚いた。避けた事に驚いているのだろうか。こちらからすれば、相手の魔法の方がよほど面妖なのだが。
ヤンヤンが突然袖から小刀を取り出し、魔女に斬りかかった。しかし、刃は相手に届かず、ヤンヤンの小さな体は宙に風で巻き上げられた。
「面倒ね。まとめて葬ってしまいましょう」
女が蜘蛛女達に何か目配せをした。蜘蛛女達が顔を見合わせると、その場で天を仰ぎ、腕を上げ、揺らし始めた。祭祀の踊りのような動きだ。
魔女は何か歌いながら、蜘蛛女と同じ動きをしている。
突然、俺の足元に涼しい風が駆け抜け、足が地面から離れた。ラモンやシャオメイや師匠も同じよう宙に浮いている。風は勢いを増し、あっという間に身動きが取れなくなった。
前後から空気の圧力で押し潰されている感覚だ。
「うわあああああああ」
ラモンとシャオメイの悲鳴が響いた。
蜘蛛女の一人が魔女の方に寄って行き、跪いて鎌を差し出した。魔女はそれを受け取り、ヤンヤンの方に近付いていく。
「師匠! ヤンヤンが!」
俺が李白の方を見ると、李白はまだ不気味に笑っていた。
「歳が10もいかねばこんなものかの」
魔女が鎌を振り上げようかという瞬間、李白はどういう原理かするりと風の拘束を抜け出た。
予想外の事態に敵は唖然としている。
魔女に鎌を差し出した蜘蛛女が気付いて、もう片方の手に持った鎌を振り回すが、李白はおじきをするようにそれを躱して、さらに魔女の間近に迫った。そして、魔女の臀部に静かに掌を置く。
数秒、敵も味方も李白が何をしているのか解らず固まった。
「何をする!」
魔女の体から突風が吹いて、李白は地面に転がった。李白は吹き飛ばされても、公園の遊具で遊ぶ子供のように楽し気に笑った。
他の蜘蛛女達も踊りをやめ、迫って来る。
李白は右から来た蜘蛛女の鎌を避け、反対から来た蜘蛛女の腕をつかんだ。更に背後から別の敵が迫ろうという時、不意に風の刃が李白の右に居た蜘蛛女の体を貫く。
風の拘束から抜けようともがいていた俺は魔女の様子がおかしい事に気付いた。目の焦点が合わないまま、地面を見つめている。
「ひぃいいいい! お母様! 許してええええええ!!!」
魔女は顔は無表情のまま、突然大きな声で叫んだ。本気で恐怖におびえる悲鳴だ。
「お姉さま?」
「お姉さま!」
「お姉さま?」
蜘蛛女達が一様に同じ声で魔女の声を掛ける声が重なって響く。
魔女は顔を上げ、蜘蛛女の顔を見ると、表情を歪めた。言葉にならない悲鳴を上げながら、蜘蛛女の一人の胸に鎌を突き立てる。
「お母様! もうできません! もうできません! お母様!」
魔女が手を振り回すと、四方八方に風の刃が放たれて、周囲の木々や蜘蛛女を切り裂いていく。
ヤンヤンとシャオメイはもがきながら、風の拘束を抜け、悲鳴を上げながら地面に伏せた。
拘束されたままの俺の真横を風の刃が通り過ぎていく、小便を漏らしそうなぐらい怖い。
李白は暴れまわる魔女の方を見ながら口をすぼめて、悲しそうな顔をした。
「おお可哀想に。凶相が出てしまったか……今楽にしてやるぞ」
周りの蜘蛛女達が全員息絶えたのを見て、李白は魔女の首を掴むとくるりと半回転させた。
「ぐえご」
魔女は鶏のようなうめき声を上げると、首をおかしな方に向けたまま李白の足元に倒れ込んだ。




