精霊の土地
数日後、バンドブール出発の日が来た。
滞在の間、俺とミレディは使用人達に混じって、働かせてもらっていた。
ビダルが荷造りをしながら、ミレディに話しかける。
「今更気付いたが、ミレディはどうするつもりなんだ? 女一人では帰れないだろう? かといって、しばらくは向こうに俺達は行く予定が無いしな……しばらく家で働くか?」
「うーんでも、バンドブールまで来てみたくて始めた旅だしなぁ」
ミレディは椅子に座り、足を延ばしながら答えた。
その後どうするかは良く考えたら俺もはっきりと決まっていない。
王子のつてで偉い学者に話を聞ける事になったのは聞いた。しかし、その後はどうするのだろうか。俺の為に王子が支払ってくれた金も無限ではない。情報が集まる見込みがあるならしばらくバンドブールに滞在したいが、無理そうならビダルの所でしばらく世話になった後はまた城に帰る事になる。
「色々失礼があったかもしれないけど、また来て頂戴ね!」
出発の時、ドアの前で夫人がミレディの手を握った。
ミレディは困った顔をして、笑っていた。
こちらの手はラモンが握ってくれた。ラモンはバンドブールまではついて行けないらしい。
「ハルタ! 帰る時にまた絶対寄ってくださいね!」
二日程旅をすると、町が見えて来る。川の両側に町が広がり、向こう技師には町の外からでも解る巨大なドームが見えた。
というか、この街無茶苦茶でかい。
今までこの世界に来てから見た比較的大きな町というと、城の近くの町、魔女に襲われたあの町、ビダルとラモンの住んでいる町だったが、そんな比ではない。近付くと、一番大きなドーム以外にもいくつかドームの天井を持つ建物が見えてきた。
「いよいよ外国ね!」
「実はここにくるまで既にアクナス都市連合の領域に入ってるんだけどな。まあ関所も何もないからわかったもんじゃないが」
「え? そうなの?」
町の中を歩いていてるだけでも、遠くの市場の喧騒が聞こえて来る。
市場を通ると、当たり前のように、というと言い過ぎだが、当然のように東洋人の商人がいて、溢れそうな程香辛料を積んだ袋を並べている。
俺はその場では話しかけずに、どんどん人ごみをかき分けて進んでいくビダルに続いて、入口に大きな柱のある建物の前に立った。
建物の中に入ると、上の方には手届かないような大きな本棚が壁一面に並べられている。
「ガストーネはいらっしゃいますかな」
ビダルがさほど大きくない声で言うと、階段を茶髪を後ろで結った男が下りて来る。
男はこちらに気付くと、近付いて来た。結いきれず余った髪を顔の前で揺れている。痩せた顔やほうれい線の濃さから男はそれなりの歳に見えたが、目には強い生気があったし、足取りはしっかりとしている。
ガストーネはビダルに笑顔で挨拶をしてから、こちらを見た。
「カレオンの王子の手紙にあったハルタかな?」
「はい」
「僕はこの街の大学で物を教えているガストーネだ。よろしく」
ガストーネは机に散らかっていた本を重ねると、筆記具並んだ棚から紙を数枚取り出した。
ガストーネは自分が座る為に椅子を引いてから、何かに気付いて固まる。そして、手でテーブルのこちら側の椅子を指し示した。
「どうぞ皆さん座ってください。それとハルタ君だったか、今まで起きた事を順番に話してもらえるね?」
俺は空から落ちてきた時の事、着ていた服が珍しがられた話、俺自身が精霊や魔族の土地に元いた場所の手掛かりがあると考えている話をした。
学者は質問を交えながら、紙に単語や短い文を書き記していく。
「むー君を怒らせるつもりは無いが、面白い話だな」
ガストーネはいくつかの本を持ち出して来て、こちらに見せるでもなくじっと眺めた。数冊を流し読みしばがら、口を開く。
「人がいつの間にか空を飛んでいた、というのは珍事ではあるが、世界中の魔法や妖精の研究を洗えば、よくある話なんだ。
記憶を失った人がいつの間にか遠い場所にいた、という君のケースに似た話もある。ただ、別の世界にいた人間というのは聞いた事が無い」
ガストーネはようやく本の中の一ページを広げてこちらに見せて来る。
そこには赤ん坊が空から落ちて来る絵とその解説が載っていた。
ガストーネは本を手で押さえながら、喋り続ける。
「君の言うように、精霊や魔族の土地に帰る手段がある可能性もある。だが、魔界はともかく、精霊界に直接行くのは無理だな」
「どうしてです?」
「魔界は人間が入るには危険というだけだが、精霊界は精霊しか存在出来ない世界なんだよ」
俺はますます現実へ帰る道のりを遠く感じて、肩を落とした。
ガストーネは興味津々な様子で目を輝かせ、立ち上がった。
「私の方でも色々調べておくよ。また、来てもらえるかね」




