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5大貴〜愛〜

 森をでるともう太陽は見えない。西の空が名残惜しそうに暗闇へと変わっていくところだった。ふと大貴は自分が最後に夕焼けを見たのがいつだったかを思い出そうとした。町で働いていたときは意識したこともなかったが、どうしても思い出せなかった。子供時代は時計など気にした覚えがない。学校が終わって、暗くなるまで遊ぶ。それの繰り返し。いつもいつも同じ友達と遊んで、いつもいつも似たような遊びをし、そして同じ時間に眠る。だが、それを苦しいと感じたことはなかった。繰り返しが苦しいと感じたのはいつからなのだろうか。

 大貴は前を歩く二人を見た。『日課だから』と愛は楽しそうに笑って言った。祠に行くことも、そしてこの夕日を見ることも、愛にとって苦痛になっていない。大貴は自分と愛のどこに差があるのかわからなかった。

「なぁに?」

 振り返った愛と視線が合った。顔にかかる髪を耳にかけている。その仕草が妙に色っぽく映り大貴は言葉に詰まった。

「…いや、きれいな髪だなと思って」

 とっさ口を突いた言葉だったが、それに嘘はなかった。森の中でも一際きれいに見えていたが、夕日のかすかな光とあいまって輝いているように見える。少なからず触ってみたいという衝動に駆られていたのも事実だ。染めていればいくらか痛んでもおかしくないのに、愛の金髪は澄んだ小川のように流れている。

「この髪?」

 大貴の言葉を確認するように、愛は自分の前髪を持ち上げてみせた。不思議そうに口を尖らせる愛を見て大貴は焦って三回頷いた。愛はくるくると指に髪を巻きつけて、ぼんやりと自分の髪の毛を見つめている。それでも、次の瞬間にはいたずらっぽく目を細めて、

「ナンパしてるの?」

 と言ってにっこりと笑った。

「さすが町の人だね。女の子と遊んでるんでしょ」

「そんなことないよ」

「うん。あんた奥手そうだもんね」

 けたけたと愛はお腹を抱えて笑った。はっとしたがすでに遅く、見ると深雪も口を押さえて微笑んでいる。

「でもありがと。そんなこと言われたことなんてなかった」

 首を傾け嬉しそうに笑うと、愛は大きく伸びをした。

「この村じゃ、この髪の色は珍しいからね。思っても口に出す人はいないし、じいさんばあさんなんて珍獣扱いよ。まっしょうがないわよね。これ地毛だし」

「地毛なの? それじゃあ両親が?」

「ううん、ばあちゃんが外人。どこのだったかは覚えてないけど」

 そう言った愛の表情がどこか遠くを見ているようだった。懐かしんでいるのか、それとも寂しがっているのかそれはわからないが、それでも大貴は胸が縮こまるような急激な狭さを覚えた。

「おばあちゃんってことは、戦時中だよね」

戦時中に外国人と恋人関係になるなんてドラマでは聞きそうな話だが、現実に成り立つとは思えない。戦争など経験していないからそれがどれだけ厳しいかは大貴の想像の範囲外のことだが、非国民と罵られ、石をぶつけられるようなことが当然にあったのではないだろうか。

大貴が遠慮がちに言うと、愛はこっくりと頷いた。

「うん、だからじいちゃんは隠してたらしいよ。ただでさえ町との交流を無くしてるのに、村以外の女の人と関係持ったんだからさ。それでも結局ばれちゃったんだよね。無理もないと思うけどね、こんな小さい村で隠し切るなんてさ」

「交流を無くしてた?」

「そーよ」

 愛は小さく息を吐くと、目を伏せてこれまた小さく言葉を吐き出した。

「村を追われそうになったんだけど、最後はおばあちゃんが命を張ってじいちゃんを助けてくれたんだ」

「命を張って?」

「そう。じいちゃんが村を大好きなの知ってたから、どうしても村にいさせてあげたかったから……。じいちゃんが止めたらしいけどね」

 そこで愛は深雪に視線を送った。表情を変えようとしないがその目からは飽和寸前の光が輝いている。それを悟ったのか、深雪はひとつ咳払いをして大貴に向き直った。

「あそこの祠は愛のおばあさんのお墓のようなものなんです。あの沼におばあさんは身を投げました。それで……」

 深雪は大きく息を吐くとちらりと愛の顔を窺った。愛がこくんと頷くと深雪が大貴に向き直って言った。

「さっきはあの沼をゴミ沼と言いましたが、正式には違います。ずっと昔に名づけられて、若い子には馴染みがないんですけど、あの沼は身投げ沼と言います」

「身投げ…沼」

「はい。それで村の人達も認めてくれました。ある意味では、愛がこの村にいるのもそのおばあさんのおかげなんです」

「まだ風当たりはきついけどね」

 愛がわざとらしく声を大きく出し自分の髪の毛を梳くと、深雪がすまなそうに目を細めた。なんとなく、深雪が影で愛を支えているようなイメージが大貴の頭をよぎった。きっと深雪は愛がこの村になじめるように手を尽くしているんじゃないだろうか。それでも愛はどこかで一歩ひいている。深雪の気持ちをありがたく思っている一方、ある一定の範囲からは誰も寄せ付けない。完全に輪の中に入りきれていない、入ろうとしない。そんな感じがした。

「それでもあたしは…だからかな、この村嫌いになれないんだよね。異国のばあちゃんが、じいちゃんが止めるのを振り切るぐらいだからさ、じいちゃんを好きだったこともあるだろうけど、ばあちゃんもこの村が好きだった気がするんだ。それってすごいことだと思わない? 辛いことばっかりされたのに、それなのにこの村を好きでいられて、命だって捨てられる。そう思うと、あたしこの髪の色も好きになれる。ばあちゃんと同じ色だって、安心できるんだ」

 目の端をやんわりと微笑ませ、愛は小さく息を吹いた。そしてくるっと大貴に向き直りにっこりと、とびっきりの笑顔をみせた。

「だからね、あんたがきれいだって言ってくれたのも、ほんと嬉しかったよ。ありがと」

 ふわっと舞った愛の金色に輝く髪の毛が、太陽が沈んでしまった暗闇でも光をまとってあたりを照らしているような気がした。その光はどんな光よりも輝いているが、どんな光よりも弱々しい。少しの風でかき消されてしまいそうな儚い灯火。一筋一筋が流れるように宙を舞い、緩やかに降りていく。

数瞬の光景がコマ送りのように大貴の視界に映る。それですら短く感じ、惜しむように愛の姿を目に焼き付けていた。自分がどこにいるのかも、何のためにここに来ているのかも完全に忘却し、ただ愛から目が離せない。離そうとしない。嬉しそうに笑う愛の背後には、必ず憂いが宙を舞っている。それを知っていて、それでも笑顔でいることができる。愛のその姿が、この世のすべてに背を向けられたような寂寥感を大貴に与えた。

「あたしはこっちだから」

 気がつくと、すでに村の住宅街に入っていた。点々と家の明かりが灯っている。

「あたしんちは定食屋だから、あんた明日食べにきなさいよ」

「あ、ああ」

「それとねあんた、あたしと深雪に対する話し方。違ってることに気づいてる? 子ども扱いしないでよね」

「は、はい」

「うん、よろしい。それじゃバイバイ、深雪、大貴」

 手を振り愛が遠ざかっていく。しばらくして背中を向け少しずつ小さくなり、角を曲がって愛は大貴の視界から完全に消えた。

 愛が背を向けたとき、大貴はとっさに腕を突き出していた。その手が何を表しているのか、何をしたかったのか、そのときに口からでかかった言葉は何だったのか。それを必死で押しとどめようとしたのは何故だったのか。それで、今名残惜しく思っているのは何故なのか。大貴にはわからなかった。

「どうしました?」

 少し離れたところで深雪が首をかしげている。大貴は深雪に向かって頷き、もう一度愛が歩いていった方向を見てから深雪の後を追った。

「定食屋って、どこにあるんですか?」

 大貴が聞くと、深雪は少し考え込むように顎に手を当てて小さく笑った。

「大丈夫ですよ。ちゃんと明日案内してあげます。愛が気になるでしょうが、明日までお預けです」

 そう言うと、深雪は手を後ろで組んで片目を瞑り悪戯っぽく微笑んでみせた。大貴はむっと口を一文字に引くと早足で深雪の少し前を歩いた。今の顔は他人に見せたい顔じゃない。火照った頬を冷えた風が通り過ぎていく。

大貴の後ろで深雪が小さく微笑んだ。


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