25大貴〜歪む真実〜
ここは、どこだろう。
頬にひんやりとした感触が伝わる。微かに香る古い木の匂い。これはどこかで嗅いだことがある。体を動かそうとするが、全身が疲れているのか、うまく動かない。もしかしたら疲れすぎて床に倒れこんでしまったのかもしれない。これでは明日の仕事に差し障りそうだ。
頭を動かそうとすると激痛が走った。それと同時に、一気に思考がクリアになる。
違う。
まだここは雨乞いの村だ。沼にいってから、それからどうした? あの後からどれぐらい経って、ここはどこだ?
「目が覚めましたか」
重くなった瞼を開くと、そこには裕紀が感情のこもらない目で、しかしその顔はいつもの微笑のまま大貴を見下ろしていた。
「気分はどうですか? まあ、もうどうでもいいことですけど」
「……ここ…は?」
「本殿の中です。もう一歩のようでしたね。頭のいい人だ。かなり焦りましたよ」
その言葉とは裏腹に、まったく感情の起伏が感じられない。ぼんやりと薄く靄がかかったような視界が鮮明になっていく。大貴が倒れているのは板貼りの部屋。道場を連想させたが、道場ならばあるはずの神座や道場訓が設けられていない。二十人は入れそうなスペースに家具といったものは小さなランプを除くと何一つとして置いていない。生活感が欠如しているというよりも、生活すらしていないように感じる。ただのお飾り。雨の神。
昔はここを生活スペースとしていたという話だが、その片鱗すら窺うことができない。掟の縛りが弱くなったことで過去と、雨の神と決別したいとでも考えたのだろうか。それでも掃除は行き届いている。部屋の隅にうつ伏せで倒れているが、埃っぽさは一切感じられない。
改めて部屋を見回してみると、裕紀以外にも人影が見えた。明かりの加減で見えなかったが、圭介に勝也と悟だ。悟は壁にもたれかかり膝を立てると、その間に顔を埋めていた。泣いているのだろうか、肩が小刻みに震えている。圭介はこの部屋にあるただひとつの、格子がはまった窓から外を眺めている。勝也はこちらに背を向けたまま胡坐をかいていた。後ろからでもわかるぐらいにその背筋はピンと伸び、何かを待ち構えているような堂々としているように見えたが、それと同時にひどく背中が小さく見えた。言うなれば、大貴に勝也の態度は虚勢のようにしか映らなかった。祭りの後の無気力感のようなものがそこにはたちこめている。
「もうすぐすべてが終わりますよ。少し窮屈でしょうけれど我慢してください」
そこでようやく大貴は自分が拘束されていることに気付いた。猿轡や目隠しをされていなかったのがせめてもの救いだが、それでも両手は後ろ手に縛られ、自由に動くことはままならない。それ以前に頭の傷のせいで動く気もしないが。
「すべてが、終わる?」
「そうです。僕らにとっては始まりですけどね」
意味ありげに裕紀は言うと、少し離れて床に胡坐をかいた。
大貴は何とかして拘束を解こうともがいてみるが、きつく絞められたそれは逆に大貴の腕を傷つけるだけであり、動くたびに頭にも鋭い痛みが走る。
「聞きたいことがあるんじゃありませんか」
そんな大貴を尻目に、裕紀はどうでもよさそうに、だがその口元には微笑を浮かべて話しかけてきた。
「何でもお答えしますよ。もう隠す意味がありませんから」
にっこりと、この場には場違いなほどの笑顔を裕紀は浮かべる。少し前までは無邪気な笑顔と心地良くも思っていたが、この笑顔には底知れぬ、恐ろしさがある。
「……………」
「どうしたんですか? 何もありませんか?」
「………君たちは、復讐を考えているんだろ?」
こんな状況になると大貴は予想がついていた。予想がついていたからこそ、大貴は逃げ出したのだ。もしもあの時、大貴が一人で逃げることを選んでいたならば、このような状況にはなっていない。だがひとつの、ただ一人の予想外が、大貴の歯車を狂わせた。この状況、限りなく大貴は不利だ。というより、もはや絶望的に近い。
「気付いていましたか。まあ、そうだろうとは思っていましたがね。それに気付いたのはいつですか? 予定だと行動に移されるほど感づかれるとは考えていなかったので」
この場には不釣合いな、無邪気な知的好奇心。裕紀はそれが本当に不思議でならないのか、腕を組み唸り声を上げた。
「僕の予定だと、いって半信半疑。確信を持つほどのミスはなかったはずなんですけどね」
大貴の考えを知ってか知らずか、裕紀は人差し指を顎に当てた。その考える仕草は、深雪もやっていた仕草だ。何故だが、ふつふつと込み上げてくるものを感じた。
「あれだけこの村の歴史を吹聴したんだ。綻びはいくつもあったさ」
ひとつひとつは小さかったかもしれないが、積み重なれば、繋がりあえばそれは大きな穴になる。計画など、所詮は机上の空論。紙の上では完璧であれ、そんなものを完璧にこなせる人間がこの世にどれだけいるか。
「何よりも、深雪さんが一番大きかった」
大貴と一番接触時間が長かったからだろう。いくつも無造作に綻びは散らばっていたが、深雪のおかげでいくつかの点を線で結ぶことができた。さらに深雪が作った綻びは、勝也、真弓にも繋がりを持たせてくれた。
「やっぱりね」
大きく、それもわざとらしく裕紀は肩を落とした。額を押さえると頭を左右に力なさそうに振る。
「だから、僕がやるべきだったんだよ。もう今更なんだけどね。それに結果的には限りなくいい方向にむかっているし」
「やっぱりって、気付いていたのか」
「そりゃそうですよ。圭介と悟から聞きました」
圭介と悟。
ここで出てくるにしては不自然ではないだろうか。その二人は大貴がほとんど絡んだことがない。悟にいたっては一度顔を見ただけ、それも遠目から。かといって圭介も話というほどの話もしていない。悟に比べて会う回数が多かったという程度だ。裕紀が大貴を騙しているとも考えられるが、この状況で大貴を騙す利益が向こうにあるとは思えない。なら、やはりあの二人が大貴の何かを知っているのだろう。
「この二人に、何度会いましたか?」
意味ありげに、裕紀の頬が吊りあがる。試しているのだろうか。
二人とも会った回数は少ない。悟とは学校でしか会っていない。それも遠目から。圭介とは神社で二度会ったが、後は悟と一緒にいるときだろう。それぐらいしか…………
違う。圭介とはもう一度会っている。深雪に智美の墓を案内してもらった時。学校で会っている。あの時はすぐに去っていってしまった。ただ単に嫌われているだけかと思っていたが、そうだ。なんで圭介はあんなところにいたんだ。それにあの時の表情は嫌っているというよりも、驚いていたはずだ。圭介も何か考えがあってそこにいたと考えるべきなのか。とすると、なぜあそこに。
「そうか―――」
会った回数の多さではない。少なさにこそ着目すべきだったんだ。
「監視、していたのか」
「ええ、そうです」
「智美さんの墓にいたときもか」
裕紀は頷いた。あの時の光景を悟と圭介、位置的から考えて悟が見ていたんだろう。
「それだけじゃないですよ。というより、あなたの行動はすべて監視させていただきました。これは姉さんにだけは知らされていなかったんですけど」
「深雪さんにだけ……?」
それはどういうことだろう。深雪も計画の一端というより、かなり主要な部分を担っていたはずだ。なんたって直接大貴に接触していたのだから、それは当然だろう。それなのに、深雪には秘密にされていたとは、何か意図があってのことだろうが。
「姉さんは、優しかったんですよ」
裕紀はため息をつくように言った。
「というより、決心が鈍かったんですよね。だから、最後まで迷っていました。あなたに村の歴史を話そうと進言したのも姉です。姉さんは情報収集のためだとか言いましたが、本当はあなたのことを試していたんですよ」
「試す?」
「殺すべき人かどうかをね」
その言葉になんの力が込められていないことに、大貴の全身に戦慄が走った。当たり前のことを口にするのに、人は感情を込めようとしない。つまり、そういうことなのだろう。
「智美さんが殺されるところを止めなかった。自分が原因だから、この計画に反対することはできなかった。それでも、あなたが善人なら、あなたが僕らの力になってくれるなら、この計画を断念することもできるのでは。たぶんそんなことを思っていたんですよね。姉さんはいくらか揺り動かされたみたいですが、最後にあなたが気付いちゃいましたから」
「気付いた? 何に?」
「愛さんの祖母は自殺なんかではないってことですよ」
それは確か智美の墓の前で深雪と話したことだ。あの時、深雪は突然涙を流し始めた。それは、そういう意味だったのか。この計画を断念させようと、誰も死ななくていい道を探そうと模索していた。それなのに、大貴が気付いてしまった。道が、断たれてしまった。だからこその、涙だった。深雪は、大貴のことまでも考えていてくれた。
「……そうだ、愛さんは、どうして―――」
あの時、愛に目もくれず逃げ出せばもしかしたら可能性はあったかもしれない。だが、大貴は愛を助ける道を選んだ。一番救うことのできる可能性があるのは愛だったから、大貴はあそこへ向かった。騙されているのだと思っていたから。愛は裕紀たちに利用されているのだと、純粋にこの村のことを思わされているのだと、そう思っていた。でも、大貴を襲ったのは間違いなく愛だ。見間違えるはずがない。あの時のあの姿は間違いなく。
「姉ちゃんは全部知ってたぜ」
低く、圧力をかけるような声。これは、勝也だ。視線は中空を眺めているものの、こちらを向いて話している。
「あんたが気にすることじゃねえよ」
吐き出すように答えたその声は、何故か寂しそうに大貴の耳に届いた。悔やんでいるような、願っているような、そんな響きを感じる。一瞬、勝也は大貴に目を向けた。その目には、やはり裕紀たちとは違う。別の色が見える。それが何を表しているのか大貴にはわからないが。
「愛さんはどうやら全部知っていたみたいですね、これは村民もほとんど知らないことなのですよ。僕らだって、この計画がなければ知ることはありませんでしたよ」
勝也は最初から知っていましたがと言い裕紀は横目で勝也を見たが、勝也は何も言わずに口をつぐんだ。また中空を眺める。それにしても、裕紀の物言いにはぞっとする。微笑を浮かべながら、淡々と計画について口にする。いくらなんでも後ろめたい気持ちはあるだろうと、少しは後悔しているだろうと、そう考えていたが、裕紀の表情からも言葉からも、それは一片たりとも見出せない。日常の延長であるように、死を語る。
「これが村中に知られたら、この村は自然と機能しなくなってしまうんです。だから、あなたが知ってしまった以上、もうおしまいです」
それはそんなに重要なことなのだろうか。大貴が殺される原因は、どうやらそれを知ってしまったからということらしいが、それほどの出来事なのであろうか。驚く出来事ではあるが、何が何でも隠し通さねばならないことでもないような気がする。
そんな大貴の表情を読み取ったのか、裕紀は続けた。
「あなたは、その先には、気付いていないようですね」
「その先?」
「気付いていると思いますが、愛さんの祖母は歴史を知り、恐怖しました。そしてこの村から逃げ出し、この村の存在を歴史と共に公にしようとしたのです。そこで村民は彼女を捕らえ、殺しました」
と、ここで裕紀は間をあけた。その先に核心があると、暗に示すように。
「殺したのは、愛さんの祖父。つまり夫です」
「なっ」
「それが、この村の掟ですから」
また、掟だ。どこまでもどこまでも、この村を締め付けている。
「この村の歴史を知られてはいけない。僕たちは隠れた存在であるべきだ。それはもう周知のことで、言う必要すらないことです。だから、その原因を作った愛さんの祖父が責任を取りました」
だからか、と大貴は思う。これを知ってしまったから、美談ではないと知られてしまったから、大貴は殺される。正確には美談ではないと、自殺ではないという事実を知ってしまったら、村民の中には真実に辿りつしてしまう恐れがあるから。復讐心を失くしてしまっている村民が知ってしまったら、裕紀の言ったようにこの村は機能しなくなる。村のために、自分の愛する人のために死を選んだ。そんな美談が、本当は作られたものだったと知れたら、多くの村民がこの村を離れても不思議ではない。むしろそれは必然であろう。
裕紀はクツクツと笑う。試しているように、嘲るように。
「頭の良さが自分の首を絞めましたね。まさに、自業自得です」
笑顔でそれを語る裕紀に、心の底から恐怖を覚える。だが、それ以上に底知れない怒りをも込み上げてくる。裕紀は、裕紀たちは、愛を騙していた。それが失敗していたとはいえ、愛がすべてを知っていたとはいえ、裕紀たちが騙そうとした事実は変わらない。
頭が熱くなる。殺されるという恐怖を何故か感じない。あるのは、ただただ怒りだけ。歯を食いしばって裕紀を睨みつけた。それ以外できることもない自分がもどかしい。
「誰が、死ぬんだ」
それでも、できることをする。まだチャンスがあるかもしれない。まだまだ、つけこめる隙があるかもしれない。自分が殺されていないということは、まだ事は終わっていない。
「四人死ぬのだろう?」
「それも気付いているんですね」
裕紀は意外というよりも、おもしろそうに合いの手をうつ。
「姉さんが言い忘れていましたから、真弓さんに聞いたんですね。ああ、だからあなたの昨夜の行動が妙だったんですか」
納得したように裕紀は言った。
歌。昨夜、大貴の前で真弓が披露してくれた。そのよく澄んだ声を響かせて、悲しげで怨ましい歌。
人が人を殺すとき、人のためにと頭を垂れる
人が人を殺したのち、それを忘れて諸手を上げる
これを怨みと言わざるか、これを怨みと言わざるか
忘れし記憶に鐘鳴らし、雨と共に降らせよう
恵みの雨など与えるものか、我等の存在を知らしめよ
四つの人頭柱にし、怨みの欲を育まん
姉の犠牲は己が罪、そなたが無念を晴らすのだ
裕紀たちが復讐を再燃させたのは、智美の事件がきっかけなのはいうまでもない。絶望したのだろう。歴史を知っていながら、復讐を果たす絶好の好機をみすみす逃してしまった。それどころか、町の側にまわる人間まで現れる。それが、赦せなかったのだろう。
「四つの人頭とは、四人を殺すことを意味しているのだろう? なら、あとの二人は、真弓さんと深雪さんだな」
大貴と愛、それに真弓と深雪。それが今回の生贄。
「そして君たちが復讐を果たす」
それが『己が罪』だから。この村に住むものは、必ず男と女最低一人ずつ生まなくてはいけない。そんな掟がある。ただ単に人口を増やすことが目的ではなかったのだ。歴史の流れと共に、解釈の仕方が変わってきたのだろう。
「でも、君たちはこんなことをして何が変わると思う。君たちが掟に従って、生贄をだしてまで掟にしたがって、何になるんだ」
大貴は壁をつかって体を起こそうとするが、どうにもうまくいかない。幸いにも頭の痛みは少しだけましになってきているが、この状況ではどうしようもない。
「何が変わる? 事業は確かに断念することになるだろう。それでも、それは時間の問題なんだ。この村民の多くが復讐心を失くしているのは知っていることだろう。いくら掟になぞらえたところで、すべての村民に伝わるはずがない。それこそ、無駄死にだ」
最後は力なく、呟くようになってしまったが、それでも大貴は間違っているとは思っていない。大貴を含めて、たった四人が死んだところで、何も変わらない。
「記事を書く。町に戻ったら事業の反対記事を書く。そして、智美さんの事件の真相を公にする。そして、この村がいかに重要な場所であるか、無くしてはいけない場所であるかを示す。こんな馬鹿げたことは今すぐ止めるべきだ」
「無駄ではありません」
裕紀はそれでも、凛とした声で否定する。間違いはないと、後悔はないというようなまっすぐな目を大貴に向けて。
「確かに、あなたの言うことは真実です」
「なら―――」
「でも、あなたの言うことは半分も当たっていません」
一瞬の期待を、これまた一瞬で葬り去った。ぴしゃりと。有無を言わさぬ口調で。
「あなたは間違っているんですよ」
「まちが……い?」
「僕たちの最終目的は正解です。町への復讐。それに間違いはありません。ですが、第一の目的といいますか、掟になぞらえるのは意味があるんです。それは村民に掟を思い出させることだけではありません」
それはと言って裕紀は息を吐いた。そして、目を見開いて、まっすぐに大貴を見る。
「村の歴史を知っている人間をおびき寄せるためです」




