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12大貴〜定食屋〜

「いらっしゃいませ」

 赤い暖簾。そこには「アシメ」の三文字が書かれていた。定食屋にしては変わった名前だな、と大貴は感じた。

 四人掛けの机が三つ、二人掛けの机が五つ並び、カウンター席が六つある。家族で経営していると言っていたが、これが大きいのか小さいのか大貴には判別つかなかった。少し昼には早い時間でもあり、中に客は三人しかいなかった。深雪の話では夕方が一番混むらしい。

 入ってすぐ声をかけてくれたのは、どうやら愛の父親のようだ。こげ茶に染まった顔つきは逞しく、村の男という感じがした。どうやら愛の母親のほうがハーフなのだろう。とてもじゃないが異国の血が混じっているように見えない。深雪が話したように、愛の行方不明を案じているようには見えない。どこから見ても日常の風景であり、行方不明という非日常は影も形も現れていなかった。

「おお、いらっしゃい。深雪ちゃん」

「おじちゃん。私はいつものね」

「あいよ。兄さんは決まったら教えてくんな」

 そう言うと、カウンターの中に消えていった。中からは肉の焼けるいいにおいが漂ってくる。深雪に促されるまま、大貴は向かい合わせに座った。



「愛さんが行方不明?」

 身を乗り出した衝撃で湯呑みのお茶がこぼれた。それにも気付かず、大貴は深雪の肩をがくがくとゆする。

「いつですか? 誘拐ですか? 警察には連絡したんですか?」

「大貴さん、落ち着いてください」

「落ち着けませんよ。なんでそんな落ち着いてられるんですか。行方不明ってこの村で行方不明って何でですか」

「静かにしてください」

 がつんと甲高い音が響いた。それと同時に冷え冷えと耳に残る声。真弓が正座をしたまま大貴を睨んでいる。最初の音は卓袱台と湯呑みの接触した音だと気付くのにしばらくかかった。

「愛は平気ですよ」

「平気? どうして」

「とりあえず深雪の肩を離してあげてください」

 はっとして大貴は深雪から手を離した。湯呑みをこぼしたことにも気付き、すみません、と言ってハンカチを取り出しお茶を拭いた。

「よくあるんですよ」

 真弓が呆れたように目を細めた。

「よくある?」

「はい。失踪癖とでも言うのか、愛の性癖のひとつです。ふらっといなくなるときがありまして。だからじきに現れます。気にするだけ無駄ですよ」

「私たちも最初のころは大騒ぎしたんですけど、もうなれっこです」

 苦笑気味に深雪が笑みを作った。頬にできたえくぼがやけに弱弱しい。

「でも、しかし」

 二人の言葉を聞いても大貴はなかなか納得できなかった。二人の顔には心配どころか、またか、とでも言わんばかりの表情をしている。それこそが愛が無事である何よりの証拠でもあるのだが、やはり大貴の不安は拭われない。

「なら、愛の定食屋に行きましょうよ」

 と深雪がことさら明るい声で大貴に言った。

 もともとその予定だったが、愛がいなければそこに行く理由はそれほどない。愛に誘われ、愛がいるからこそ意味があったのだ。今となってはその辺の定食屋よりも、この村の目玉ともとれる料理を提供してくれる店に行ったほうがずっと取材になる。

「愛の両親に会ってみてくださいよ。そうすれば、安心するんじゃありませんか?」

「安心?」

「ほんとによくあることなんですから」

 深雪は形のいい顎に人差し指をあて、子供をなだめるような瞳を向けてくる。

 確かに家族が心配していなければ大貴が心配することもないだろう。大貴は部外者なんてものじゃない。部外者という枠組みにすら入れてもらえないかもしれないぐらいだ。それに、この村の中で行方不明ならじきに見つかるだろうし、昨日の愛が言っていたように危険なことなんてないのではないだろか。

「じゃあ、はい、わかりました」

 渋々ながら、大貴は腰を上げた。



「じゃあ、トンカツ定食で」

 メニューを見て最初に目にはいったものに決めた。暖簾の中から威勢のいい返事が聞こえた。

 ほどなくして料理は運ばれてきた。深雪のいつものというのは野菜炒め定食のようだ。

「兄さんが町から来たっていう人かい?」

「はい。三島大貴です」

「兄ちゃんもっと肉食わな。こんなほそっちい体じゃあもたねえだろ」

 大きく口を開けて豪快に笑うその姿は、ちっとも愛の面影が見えなかったが、町にはない温かさが嫌ではなかった。

「ところでよお、深雪ちゃん。うちの愛を知らないか? またいなくなっちまったよ」

「昨日の夜、大貴さんと祠で愛に会ったのが最後です。帰りが途中まで一緒だったんですが、それからどこに行ったのかは」

「まったく、今日はお客が少ねえからいいものを。見つけたらすぐ帰ってくるように言っといてくれな」

 そう言うと再び暖簾の奥に消えた。

「ねっ大丈夫でしょ」

 深雪が片目を瞑って見せた。少し下手だが可愛らしいウィンクだ。

「そうみたいだね」

 大貴もつられて笑顔を作る。親も心配しないのは少しだけ寂しい気もするが、それはそれぞれの家庭の事情だろう。その家庭の気質もあるし、住んでいる環境にもよる。町でも娘が帰ってこないということで大騒ぎする家もあるが、一日二日家を空けることなど当たり前、という家庭も存在する。だからドライというわけでもない。やはり子を心配しない親なんていないのだから。

 そう理性でわかっていても、しこりのように何かがひっかかっている。これはきっと個人的な感情だろう。もらえるはずのプレゼントがもらえなかったときのような気持ちだ。

「いつもこんなことがあるんですか?」

「しょっちゅうってわけじゃないですけど、たまにあるんですよ。次の日の約束すっぽかして失踪しちゃうときも。前にみんなとの旅行まですっぽかしたことがあるんですよ」

 それを考えれば、今日大貴が来ることなんて愛の足を止める要因にはならないだろう。愛としても商売のために社交辞令として言ったにすぎないし、あの一言で大貴が来るという保障すらない。

「残念でしたね」

 トンカツを口に入れたまま顔を上げると、深雪が口の端をあげていたずらっぽく微笑んでいた。

「愛に会いたかったんですよね」

 図星だが、大貴はただひたすら口を動かし続けた。黙っていれば認めたことになるが、口がいっぱいだから喋れないという演技をして。ただし、顔色までは自信がもてなかった。深雪がにっこりと微笑み続けているのを見ると、どうやら俳優にはなれそうもない。少なくなった口にまた隙間なく料理を詰め込んだ。

「深雪さん。来てたんすね」

「あら、勝也くん」

 暖簾の向こうから顔を出したのは短髪で長身の青年。先ほど出てきた父親をいくらか若くすると、ちょうどこんな感じになるのではないだろうか。父親も勝也も平均よりもはるかに背が高く、勝也にいたってはどこか大人びた外見をしているのに、愛は何故あんなにも幼くなってしまったのだろうか。

「三島さんですね、勝也っす」

 前掛けを外しながらこちらに近付いてきた。大貴も軽く挨拶を交わした。

「昨日はあまり話せなかったっすね。でも姉とは会ったそうで」

「昨日、沼で偶然ね」

「ああ、なるほど」

 勝也は納得したように頷くと、近くにあったイスを引き寄せ腰かけた。仕事はいいのだろうかとも思ったが、大貴たち以外はすでに完食し、店の隅においてあるテレビに見入っている。どうやら今日はよく晴れるそうだ。

「そしたら姉と最後に会ったのはお二人っすね。何か言ってなかったっすか」

「いや、特には。ここに食べにきなさいとは言われたよ」

「ああ、味どうっすか。この村のもんばっか使ってるんすよ」

 真弓の料理を食べているときも感じたことだが、ここの料理はやけに大貴の口にあう。どんなにいい食材を使っていても、本人の口に合わないことはよくあることだ。一口目がどれだけおいしくても、二口目三口目も同じように感じられるとは限らない。郷土料理と言うと、やはりそれはその地方の味付けが使われる。他との交流が少なければなおさらそれは色濃く現れる。だが、ここの料理を食べていると、どこか町の味に近いような錯覚もおきる。町にある定食屋を数段階レベルアップさせるとちょうどこんな感じになるのではないだろうか。言葉は悪いが、ありふれた味ともいえる。決して悪い味ではないが、村特有というと疑問を覚える。

 それでも大貴は笑顔で頷き最後のトンカツを頬張った。

 勝也も満足そうに頷き、何かを話そうと口を開いたが、暖簾の中から野太い怒声が飛んできた。小さく舌打ちすると、勝也は中に向かって返事をし、席を立った。

「じゃあ、ゆっくりしてってください」

 そう言うと、何やら大声で叫びながら暖簾の奥へと消えてった。

「全然普通ですね」

 あまりにも普通すぎる気もするが、それは個人的な希望なのかもしれない。たぶん、偏見も混じっているのだろう。田舎はいつも家族一緒にいるみたいなやつだ。よくわかっているから心配もする必要がないということだろう。そして、自分はよく知らないから無用な心配をする。

「安心できましたか?」

「はい。心配かけました」

 これは心配かけたというよりも迷惑をかけただな。そんなことを思ったが訂正しないでおいた。訂正する必要もないだろう。細かすぎる。

「これからですが、何か見たい場所はありますか?」

 すでに料理を食べ終えた深雪は食後のお茶を手に持っていた。勝也が持ってきてくれていたようだ。大貴の前にもひとつ置いてある。顔に似合わず、気が利いている。

「今日は歴史などではなく、今のこの村を見てみたいですね」

 本当は『智美』について一番興味を持っているのだが、あまりがっつくように聞くのもよくないだろう。深雪にしてみれば身近な人が死んでしまったのだ。あまり根掘り葉掘り聞かれても気分のいいものではない。言わなくても案内してくれるのならば、なおさらだ。

「ですので、公園とか、病院とかそういったところを見てみたいです」

「じゃあ、お散歩気分で村を回ってみましょう」

 嬉々として深雪は話す。知らない場所を回るわけでもないのに、実に楽しそうだ。

「楽しそうですね」

 ついつい口を突いた。深雪ははっとして口を抑え、申し訳なさそうに肩を竦めた。

「すみません。自分の村ですから、興味を持ってくださるのは嬉しいんです」

 歩き回ることに喜びを見出したのではなく、その行動要因に喜びを見出していたのか。なんとなくだが、深雪の気持ちがわかる気がした。自分の故郷に興味を持ってくれるとやっぱり嬉しいだろう。

「それに、あとどれぐらい見ていられるかも、わかりませんから」

「ああ、そういえば」

 深雪は顔を俯かせた。自然と雰囲気に重いものが混じる。

 再開発事業。内容はまだ伝わっていないが、まず村民のためにはならないだろう。この国にある無駄な公共事業。もしくは、誰にも迷惑がかからない。という名目で行われるゴミ処理施設の設計だろうか。どちらにせよ、村民の言葉など雀の涙ほども気にしているかどうか。この村の景観が失われるのも時間の問題だろう。深雪が悲しがるのも無理はない。

「でも、大丈夫ですよ。わたし、平気ですから」

 空元気のなにものでもないが、深雪は顔いっぱいに笑顔を貼り付けた。それにつられて大貴も笑った。大貴が考えている以上に複雑な思惑が渦を巻いているのだろう。深雪が何を考えているのか多少はわかるつもりだ。だからこそ、今は何も追及せず深雪に任せよう。

「しっかり目に焼き付けますよ。この仕事、ほんとに楽しみにしてましたから」

 今度はこちらが安心させてあげます。と言おうかと思ったが、さすがにそれはきざすぎるので止めておいた。

 深雪は頬にえくぼを作ると恥ずかしそうに微笑んだ。ちょうどテレビの番組が変わる。それまでの天気予報から沈痛な面持ちのキャスターがニュースを語る。ちょうどいいころあいだろう。大貴は残りのお茶を一気に流し込み視線を走らせ勝也を探した。だが、勝也は暖簾の奥から姿を見せようとしない。

ふと、愛が前掛けをつけている姿が目に浮かんだ。あのとびっきりの笑顔を見るつもりでいたのに。そう考えると、やはり胸にしこりは残っていた。

「平気ですよ。そろそろ行きましょう」

 そう言うと深雪は伝票の横に二人分の料金を置いて、さっさと席を立ってしまった。大貴も慌てて席を立つ。男と女なのだから自分が払うべきでは、勝手に出て行ってもいいのか、など言いたいことがいくつかあったが、大貴はさっさと店を出て行こうとする深雪の後を追うのが精一杯だった。ゆえに、ニュースの声など気にもかけていなかった。

 大貴と深雪が店を出て行った後、暖簾の奥から勝也が顔を出した。眉間に幾重にも皺がよったその顔からは焦燥感が溢れている。その目はテレビのキャスターをじっと見据えて離れなかった。

「……一旦停止していたものの、再び事業を開始することとなりました。すでに現地には数人が派遣されており、早ければ明日にでも機材を運び込む準備をするもようです」


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