11大貴〜失踪〜
まぶしい。
窓の隙間から光が差し込んでいる。大貴は目をこすると、枕元においておいた腕時計を手に取った。時刻はすでに九時。休みの日であればもう一眠りする時間だが、いくら仕事が無いとはいえ、さすがに二度寝をするわけにもいかない。村という地理を考えるのならば、いささか遅いくらいだ。
大貴は布団から体を這い出すと、大きく伸びをした。昨日の話が幾分気持ちを高揚させたのか、寝つきが悪かったものの、その後は夢を見ることもなくぐっすりと眠りこけた。そのせいか全身が気だるく、起きることを拒絶している。それでも無理やりに立ち上がり体に活を入れた。
襖を開け、廊下に出る。とりあえず真弓と会うべきだろう。家主に何も言わずに外出するのは良いとは思えない。対角線の位置にある真弓の部屋に行こうとしたところ、ちょうど昨日真弓と話をした部屋から何やら物音がする。自然と忍び足になり、聞き耳を立てると、どうやら真弓と深雪のようだ。
「歴史…どこまで話し……の…」
「大体は……も弟について……してない」
「…すべきかな……智美について話す……」
近付くにつれてだんだんとはっきりとしてくる。真弓と深雪以外に部屋の中には誰もいないようだ。昨日の確認でもしているのだろうか。
「この村については話していいと思うから、生贄についても包み隠さずに教えてあげていい。知っていても知らなくてもあんまり関係ないでしょ」
「智美のことについてはどうしよう? 案内するつもりだけど、教えるのは表だけのほうがいいよね」
智美? 昨日もちらほらと耳にした名前だ。あまり気にならなかったが、何か重要な人物なのだろうか。それよりも、表のほうだけとはどういう意味だろう。
「それは状況によりけり。できれば全部包み隠さずに教えたほうがいい」
「でも、悟くんがなんて言うかな。あんまり喋ってほしくないんじゃないかしら」
「深雪もでしょ」
「そうだけど……」
「結局は村中に知れ渡ることになるんだから、遅いか早いかだけ」
「それは、うん」
深雪の沈んだ声を聞いたところで、大貴は襖を軽く叩いた。ノックをした後にふと襖に対してノックをしていいのか、と脳裏をよぎったが、中から真弓が「どうぞ」と声をかけてくれた。一瞬間をおいてから、大貴は襖を開けた。
「すいません。寝坊してしまいました」
卓袱台を挟んで真弓と深雪が向かい合っていた。真弓は昨日と同じように巫女装束。無表情な顔で大貴の胸の辺りを見ている。
一方、深雪はジーンズにトレーナーというラフな格好に身を包み、にっこりと笑顔を大貴に向けている。あまりにも対照的であり、大貴には月と太陽が一緒にいるようにも見えた。
「深雪さんはいつも真弓さんに会いに来ているんですか」
大貴が腰をおろすと、それに合わせて真弓が湯飲みにお茶を注ぐ。
「いつもじゃありませんよ。今日は大貴さんがいるのでお迎えに上がりました」
深雪がいたずらっぽく笑うのを見て大貴ははっとした。昨日帰り際に迎えに来るといっていたのを思い出した。その後のことがあまりにも刺激的過ぎて、そのことをすっかり失念していたのだ。
「朝は弱いんです。すみません」
「仕方ありませんよ。編集の方って夜遅くまで仕事しているんですよね? ほとんど昼夜逆転の生活なんじゃありませんか」
それは偏見だが、多くの人はそんな考えを抱いているようだ。夜通し仕事をし、朝に少しだけ眠り、そして仕事を再開する。それは一部の面で事実だが、そんな生活を毎日しているわけではない。というより、ほとんど定時で帰れてしまうのが現状だ。
大貴は曖昧に頷くにとどめた。真弓が差し出した湯飲みを両手で受け取る。昨日飲んだのと同じ緑茶だ。
「それより、さっき話が聞こえたんですが、智美さんって誰ですか?」
「もしかして声、うるさかったですか?」
「いえ、そういうわけじゃないです。ただ少し、聞こえただけで」
少し聞こえるとは、いったいどういうことなのだろうか。よくよく考えてみると、この言葉は日本語として正確に使っていないような気もする。まあどうでもいいことだが。
「すみませんね。昨日真弓がどこまで話したのか聞いていたんです。それによって今日はどこを案内するか決めようと思ってましたから」
深雪はそこまで言うと、横目で真弓を窺った。真弓は眉ひとつ動かさずに沈黙している。
「智美は、悟くんのお姉ちゃんです。私たちとも仲が良かったんですが……」
深雪はそこで口ごもる。もう一度、横目で真弓を確認すると決心したように大貴に視線を向けた。
「三年前、事故で亡くなりました」
「三年前?」
大貴が繰り返すと、深雪は俯くようにして頷いた。
そういえば、三年前この村で死亡事故があったのを思い出した。町でこの村について調べていたときに発見したことだ。確か足を滑らせての単純な落下事故だと記憶している。新聞記事でもそれほど大きく扱われず、見つけたのも偶然なぐらいだ。だが、その事故のせいで事業を一時停止せざるを得なかったらしい。
「今日はその現場にもご案内します。三島さんの特集にも参考になると思いまし、別の面もよく見てほしいと思っていますから」
「別の面……」
さっきの表がどうと言っていたことだろうか、深雪の俯いた表情を見る限りでは、あまり気分のいい話ではなさそうだ。真弓は興味なさそうに湯飲みからお茶を啜っている。どうやら真弓から感じる冷たさは性格のようだ。大貴はほっと胸をなでおろした。
「しかし、皆さん弟がいるんですね。二人姉弟ですか?」
「ええ。でも、村全体から見るとそれほど珍しくありませんよ。むしろ人数が少ないことが珍しいですね。田舎ですから、多くの家が四人五人姉弟なんです」
「言い伝えがあります」
それまで沈黙を守っていた真弓が口を開いた。
「この村に住むものは、必ず男と女最低一人ずつ生まなくてはいけない。そういう言い伝えが」
「それは……」
生贄のためなのだろう。子孫を残すために作った掟の一つ。それが今も語り継がれている。
過去から語り継がれていることは、大貴もいくつか知っている。北に頭を向けて寝てはいけないとか、葬式から帰ったら塩をまくなんかだ。多くは一般的に知れ渡り、すでに生活の一部として溶け込んでしまっている。意味も知らずに実行している人もいるかもしれない。
だけど、語りつかれていることにはやっぱり意味があり、その意味を知るだけでその行動の重さを知ることになる。
子孫を残して、この村は復讐を果たそうとしているのだろうか。
それを考えると、大貴の全身に再び悪寒が走る。今この瞬間に背後からナイフを突きつけられるかもしれない。死の謀略を巡らしているのかもしれない。非現実的な考えであるが、非現実的なことが発生したこの地。それを思うと、決して考えすぎではない。大貴は震えだそうとする体を、両手でぐっと抑えつけた。
「どうしましたか?」
深雪が心配そうに眉をしかめている。
「いえ……」
深雪の顔を見ていると、ほっと心が安らぐ。ただ純粋に大貴を心配しているその顔に負の感情は見られない。昨夜と今、自分が感じている恐怖がただの取り越し苦労に感じてしまう。考えすぎだろう。この村の過去の歴史があまりに重いから、それだけ誤った方向に想像を巡らせてしまうのだ。昨日見た真弓の瞳は、何かの気のせいだろう。
「…嫌な夢を見てしまって、そんなことより出発しましょう。愛さんの定食屋はこの近くなんですか」
「それなんですけど……」
大貴は腰を上げようとして止めた。深雪は言いづらそうに口をすぼめている。見ると、真弓も眉に皺を寄せて考え込むような顔つきになっていた。二人からは戸惑いの気配が流れている。
「どうかしたんですか?」
状況が飲み込めず、二人の顔を見比べていると、深雪が重い口を開いた。
「実は、愛が行方不明になっているんです」




