9大貴〜歴史・後編〜
事の顛末を教えましょう。と言って真弓は少しだけ居住まいを正した。
「生贄に選ばれたものたちをどうやって捧げるか。これは地主たちの頭を大いに捻らせました。近場で死体の山をきづくわけにはいきませんし、遠くなればこのことが知れ渡ることになってしまう。これはどうしても避けなくてはいけなかった。そして、全員を殺すわけにもいかなかった。もしも、これからも日照りが続いてしまえば、もう捧げる生贄はいない。この邪魔者を排除し、かつ生贄に捧げる。それも長期間にわたって行わなければなりません。そこで考えられたのが四方を山で囲まれたここ雨乞いの村です」
真弓は息をつくと一口湯呑みからお茶をすすった。そして音を立てずに卓袱台の上に置く。大貴はその動作をじっと眺めていた。
「当時は村などなかったので、四方を山で囲まれ隔離された空間。そこに生贄を押し込めればいいと考えたのです。村からは離れ、情報も漏れる心配がない。雨の神がいるとされていた沼もここにあります。口実にもなっているわけです。今でこそ多少の労力で山を越えられますが、当時はもっと山は大きく、野犬や盗賊がはびこっていました。生贄たちが逃げる心配もありません。ひとつだけ不安視されたのが、生贄が長期間生き残ってくれるか、です」
「それは心配ないんじゃありませんか? 隔離された場所なら全員が死んでしまっても情報は漏れないし、農民には偽の情報を流せば―――」
言葉の途中で、真弓は力なく首を振った。
「地主も神をないがしろにしていたわけではないんです。妖怪や怪物を恐れていたような時代ですから、神の力をどこかで恐れていました。だからこそ、これほどの非常識な生贄も成立したのですから」
大貴ははっとして頭をかいた。もともと雨を降らせるために生贄を捧げようとしたのだ。農民は騙せたとしても、生贄を与えなければ神は日照りを続けるだろう。問題の基盤を忘れてしまっていた。
大貴は腕を組みうなり声を上げる。そんなことが可能なのか? 生贄を生かし続け、状況によって命を捧げる。あたかも籠の中に動物を入れて飼うかのように。そのような異常な方程式は成立するのだろうか。
ふっと真弓の視線がゆれた。
『私は生贄にされた巫女の子孫です』
そうだ。真弓の言葉。生贄には子孫がいる。つまり、この異常な方程式は成立しているのだ。籠は完成していたのだ。
ならば、前提は出来上がっている。これは成立するものだと考えれば良い。どうすれば生贄を死なせずにすむか。長く生きることができるか。今存在していて、過去に存在していないものを探せばいい。
『当時は村などなかったので』
「――――村?」
「そうです」
大貴の言葉に、真弓が首肯した。
「何もないこの地に、村を作ったのです。本当は村と呼べるほどのものではありません。生贄が死なない程度に土地を整えた、と言った方がいいでしょうね。そして、有事の際には女性を生贄に捧げます。つまり、」
真弓は言葉を切り、息を吸う。
「この雨乞いの村は生贄により作られた、生贄を生産するための村なのです」
体内が揺れ動くような感触がした。地盤が崩されたような浮遊感に全身の毛が逆立つ。
今までに出会った村民。深雪も裕紀も圭介も悟も勝也も愛も、そしてこの村に住む全員が、生贄。生を受けても、すぐ目の前に死を突きつけられる恐怖におびえている。この村にいることで、すでに運命は決定されてしまう。それも神ではなく、人に。
「この村の、全員が?」
「正確には違います。巫女や坊主、神に仕えるものは生贄の対象外にされました。生贄とはなにも命を捨てることだけではありません。私の先祖には雨乞いの村の住民を監視し、なおかつ生贄に捧げることが義務付けられました」
他人に死を宣告し続ける恐怖と、いつ死を宣告されるかわからない恐怖。いったいどちらが辛いのか考えてみたが、すぐに止めた。こんなことを客観的に判断しても、それが正しいことだとは思えない。殺人が正しいことだと証明されたことはないが、支持されることはいつの時代でもある。
「何年もこの生活が続きました。生贄を選び続けた先祖たちは精神が朽ちていったのです。当然といえば当然でしょう。隔離された仲間を殺していく。これを何年も、何十人も続けたのですから。そこで彼らは、これから後、子孫を作っていく中で女児が生まれたら、その子を神に近いものとし常にひとりで神の言葉を伝える。これが、今に伝わるしきたりの根本となります」
「それは……」
生贄の中で、さらに生贄を作り出す行為に等しい。死を宣告する恐怖から逃れるために、神に仕えるものの中からさらに生贄を選別したのだ。これは正しいことなのだろうか。一人を犠牲にして安らぎを得る。数の上では、紙の上では正しいことだが。
大貴は考えるのを止めた。もう無駄なことだとわかっている。
「その掟のために、真弓さんはここで一人、暮らしているのですね」
「そうです。現在では生贄の選別など行っていません。時間が経つにつれて掟ではなく、しきたりと幾分やわらかい言葉にも変わりました。先ほど三島さんは拝殿がないことに疑問を抱いておられましたが、もうお分かりでしょう?」
死の宣告を下すだけの巫女。この村に住むものが好き好んで拝むとは思えない。雨の神を祭っているのかもしれないが、この村のものにとって雨の神にどれほどの価値があるのだろうか。
「では、あの本殿にはなにが収められているのですか?」
「何もありません」
「何も?」
「はい。この家が建てられるまでは向こうで暮らしていたそうです。私が生まれたときにはもうこちらが建てられていたので、経験していませんが。今では役場のものが会議をする際に場所を提供することもあります」
真弓は咳払いをすると、とにかく、と言って話を戻した。
「日照りも長くは続かず、しだいに生贄にされるものも減っていきます。隔離された場所に村が置かれていたため、次第にこの村は忘れ去られていきました」
言い終えると真弓は肩を落としゆっくりと息を吐いた。少し疲れたのか眉間を軽く押さえる。大貴が時計を見ると、すでに二時間近くも経過していた。
「以上です。大まかですが、この村ができた真実の歴史です。まだ話すべきことはありますが、きりがよいので今日はここまでにさせてください。何か質問はありますか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうですか。では、後ほどわからないことが出てきましたら、そのときにご遠慮なくお尋ねください」
と真弓が言い終わると、静かに立ち上がり襖をあけた。
「申し訳ありませんが、先に休ませていただきます。私の部屋は三島さんの客間とはちょうど対角線の位置、三和土の脇にあります。何かありましたらご遠慮なくお声をおかけください」
「ええ、わかりました」
真弓は丁寧にお辞儀をすると、静かに襖を閉めた。廊下を進む衣擦れの音のあと、扉を開ける音が遠くのほうで微かに聞こえた。
その後には何も音がない。いくら耳を澄ませてもねずみの駆ける音すらしない。卓袱台を前に胡坐をかいたまま、大貴は先ほどまで真弓がいた場所をただじっと眺めていた。
真弓の現実離れした歴史。それを頭ごなしに信じることはできない。町が歴史を歪曲しているというなら、村の歴史も歪曲されているとも考えられる。虐げられたものはその怨みを忘れない。逆に、虐げたものはそのことを忘れがちである。だが被害者は得てして被害を誇張しがちだ。過去にこの村の先祖は何かしらの屈辱を受けたのかもしれない。それを誇張して語り継いだのではないのだろうか。
そう考えるのが自然だ。もし別の誰かにこの話をすれば一笑に付されてもおかしくない。
そのはずなのに、真弓の顔が脳裏から、瞼から離れない。話しているときに垣間見た感情の起伏。そして、瞳の色。
社会の利益、最善。これは間違いなく生贄についてのことだろう。あのときの真弓は何と答えてほしかったのだろうか。どんな答えを求めていたのだろうか。理性が外れるほどに、狂おしいほどに聞こえないように声を荒げて。
考えるが、答えは出ない。多数決は少数を駆逐する。多数の前に、少数は生き残ることができない。
多数が正しいとは限らない。誰もが知っているはずなのに、問題が大きくなればなるほど、人は視線を気にしだし、周りを見渡し同じ方向に進みたがる。それが間違っているとわかっても一度進んでしまっては誰も止めることができない。たとえ、どれだけの被害が出ようとも。
真弓が苦しんでいるのはわかる。語り継がれた歴史は想像を絶するものだ。だけど、やっぱりそれは過去の出来事なのだ。どれだけ重く語り継がれていようとも。自分が体験していないことに感情を向けられるのだろうか。戦争を理解できるのは戦争を経験しないとわからない。辛さを、恐怖をどれだけ語られようとも、本当に理解することはできない。それは軽視しているからではなく、それだけその事実が重いからだ。
それなのに、真弓の瞳には自らが経験したかのような怒りが込められているように感じた。そして、その瞳は真弓だけじゃない。最初に会ったときの深雪も、一瞬だが同じ色を見せた。今も屈辱を受け続けているかのような、言葉で言い表すのがもどかしいほどの闇。
その考えに、大貴の全身は鳥肌を立てて震えた。今も屈辱を受け続けている。それならば、説明がつく。今も当時の何かが、もしくは別の何かが村民に影響を与えているのなら、真弓や深雪の瞳の色には説明がつく。
震えが足先までいきわたると、大貴は飛び跳ねるように立ち上がった。
ある。村民に影響を与えているもの。村の再開発。
大貴は自分が何のためにこの村に来たのかを思い出した。深雪には村の再開発の取材と言ってある。それに嘘偽りはない。名目ではなく、実際に書いた記事を載せるだろう。だが、村民には知らされていない事実がある。
村の再開発といっても、この村のためになることを役所の人間が決めるはずがない。町から離れ、人口も少ない。村民の多くは老人。ダムを作るにはうってつけであり、ゴミ処理施設を作っても誰からも文句が出ない。出たとしても、かき消してしまえる。
社会の利益のために、再びその身を削られる。それを、黙って見ているはずがない。
そう考えた途端、大貴は自らの状況に恐怖を覚えた。町に怨みを抱いた村民。その中に独りで佇む町の人間。そしてさらに、この村の隠されていた歴史を知ってしまった。こんな人間を放っておくものか? 格好の標的ではないか? すべての村民が怨みを抱いているのなら―――――。深雪の瞳、裕紀の疑問、圭介の態度、真弓の葛藤………。
考えれば合点がいく。こじつけじみているかもしれない。くだらないと笑われるかもしれない。それでも、大貴の全身の震えは止まらない。脳裏に出会った村民の姿が巡る。笑っている人ばかりだ。みんな心地よい笑顔を向けてくれる。それなのに、今となってはその笑顔を手放しに信じることができない。裏に隠れた顔を見つけようとしてしまう。見えてしまう。
だが、一人だけ、純粋に笑顔を見つめることができる。
愛にはその影が見えない。愛の瞳にも、仕草にも、誰かを怨むようなどす黒い負の感情を見出すことはできない。ただ見えるのは、この村をどれだけ大切にしているのか。それだけだ。愛の祖母を追い出そうとし、結果として殺してしまった。そんな村なのに、愛はこの雨乞いの村を憎んではいない。
「あれ?」
何かおかしい。そう考えたときに、反射的に口が動き出した。
「何で愛の祖母が追い出されたんだ?」
よく考えてみれば何かがおかしい。もしも町の住人と関係を結んだのであれば、過去の歴史から追い出そうと考えても無理はないかもしれない。だけど、愛の祖父が関係を結んだ相手は外国人。町の住人である可能性も、子孫である可能性もない。
戦時中だから追い出そうと考えた。それもやはり変だ。戦時中に外国人と関係を結び、村を追い出すだけにとどめるだろうか? それは甘すぎるのではないか。殺してしまうぐらいのことがあってもおかしくなさそうだ。それに、過去の歴史から考えて、同じ苦痛を味わった家族を追い出そうと考えるのも、それはそれでおかしい。どちらかといえば、村ぐるみで逃げ出さないように監視したほうが安心なのではないだろうか。
たしか愛が言っていた。この村は他の町との交流を絶っている。交流が薄い、交流しにくいのではなく、交流を絶っている。
意図的に交流を絶っているのか、それとも状況から交流を絶たざるを得なかったのか。どちらにしても、それならば愛の祖父はどうやって外国人と知り合ったのだろうか。
真弓はまだすべてを語っていないだろうし、何かを隠しているのかもしれない。まだ情報が足りない。ただわかっているのは、何か得体の知れないものが、この村には渦を巻いている。多くの思念が絡み合って、何かを形成しようと動いている。
大貴の身震いが、ゆっくりと静まる。とびっきりの笑顔を見せる愛の顔を思い浮かべた。
明日、愛に会ってみよう。ただのこじつけかもしれないし、本当はなんでもないことなのかもしれない。それを深く考えすぎるから、悪い方向に転がっていってしまっているのだろう。
大貴は立ち上がって、襖を開けて部屋を出た。靴下越しに床の冷たさが伝わってくる。それなのに、大貴の額には汗の粒が光っていた。




