わたしは此処にいる
さて、浅薄な者も消えた所で、
ダンジョン理解に於いて重要となるポイントを挙げておこう。
「たまたま迷い込んだ人は、さようなら
――どうせ読めないから」
雨が止んだ後、"蜘蛛宇宙人" は再び
ダンジョンの
――地点と地点の間
――トンネルの
距離を調べる機会を得る。
その時に知る。
"蜘蛛宇宙人" が掘り進めた分は
――歩数で表わすと、
<22>である
という事。
(地点(E)から次の地点までは、約22歩)
そして地点(E)から次の地点に到達し、
その地点から次の地点(B)までの距離を調べると、
<24歩である>
という事。
さらに言ってしまうと――
ダンジョンの基本的構造は一定であるが、
それを構成する要素
――そして要素と要素を繋ぐ式
それぞれの持つ領域は、プロセスによって変動する
――しかし、機会毎に発生するイベントに影響は受けない
――しかし、現象は、上の変動に強く影響を受けて変化する
という事。
そしてもうひとつ――ポイント。
壁を掘ってトンネルを新たに作る時
――結果的に
それまであった図形を構成していた地点やトンネルを埋める事になる
という事。
数学のプロセスでは
上の様な事は
――多くの場合
<当たり前の事>として省略される。
そして屡、作業が<ない>事とされるのだ。
そして<ない>事は疑問視されない
――それを考えるのは哲学的思考傾向を持つ数学者だけだろう。
そんな中――
大勢は
――同じルールを持って
同じ事が展開されていると予想し
「当たり前の事が正しいに違いない!」
――と思い込むものだ。
公理に縋るものだ。
しかし、本当に知性のある数学者は、必ずしも
そうではない事
――そうならない事
を知っている。
新しく導入された事柄の後、
変化した図は
――たとえ同じ形に見えても
――同じ記号が用いられていても
それぞれの値を調べ直さなければならない
――そして変化させた後
――その変化分を換算して
――次のセンテンスを続けなければならない。
可変性を持った代数的記号が
――同じ様に見える条件下でなら
同じプロセスを経て
――最終的には
同じになるに違いない――
(他の記号や数字の影響を受けない限りは…)
と短絡的に考える者は、
問題を
「解けた!」
と思いながら……――
<解けていない>
――事を知らないものだ。
そして証明の式は、覆い隠すものだ
――優れた数学者が見つけるまで。
数学だって
物理学だって
――文学だって………
書かれる物には<知性>が滲む。
論文を読めば、
誰が
何を
どの程度把握しているか
大体予想が付く。
どれだけ専門的内容で、
どれだけ専門用語を大量に使っていようが、
知性を隠す事は出来ない。
知性を隠す事は出来ない。
知性を持つ者達にとって、
「専門が違う」
――などという言葉は、言い訳にならない。
「忙しい」
――も、言い訳にはならない。
それでも――
上の様に発言する者をたくさん見てきたから
――これからも
そう言う者が大量に現れても
不思議でもなんでもない。
そして――
専門性の違いを指摘し
――忙しさを理由とする
"それら" が邪魔をするのは珍しい事ではない。
それは――
"それら" の存在に関わる問題
――であるから。
"それら" が知る事はないだろう……――
この話は、
数学の問題を使った――
<文学的問題>を提示している
という事を。
そして多くの数学者達は知らないだろう…――
最終的には、
数学的難問は、
文学的難問である
という事を。




