カラマリ始まり
しばらく海で遊んで、お昼頃。
タクローがお腹を抑えながら歩いてきた。
「どうしたの?」
「いや……腹減ってな。飯食わないか?」
遠くの時計を見ると、時間は十二時を過ぎていた。
「そうだね……ヒマリ、良いかな?」
「いいよ、私もお腹空いてるし」
あははとお腹に手を当てた。
僕も結構、身体に来ているものがある。
「じゃあ、屋台巡りかな?」
「賛成だぜ!」
「賛成!」
落ち着いて食べられる場所を探して、僕らは海岸の端の方まで歩いてきた。奇しくも、昨日アミアと夕焼けを見た岩場の近くだった。小さな岩ばかりだったのが、端に行くにつれて段々と背の高い岩が増えてくる。この先をさらに行けば、岩に囲まれて洞窟まで佇んでいる。ただ危険だから侵入は厳禁。満ち潮になれば帰ってこられないそうだ。
「この辺でいいだろ! 腹減って仕方ねえ!」
どかりと近くの岩に座り込む。早速プラスチックの容器を開けて、焼きそばが一瞬で空になった。
「早いって」
「そうか?」
その上すぐに別の食べ物に取り掛かる。……見てるだけでお腹いっぱいだ。僕の焼きそばも上げてしまおうか。
「……タクロー、随分買ったんだね」
ヒマリがタクローに呆れた声を掛ける。
「ふっ! 成長期は食わなきゃ損だぜ? ヒマリお前……そんなんじゃ成長しないぞ?」
そんなん、と言われたヒマリは焼きトウモロコシだけしか持っていない。
「い、いいの! ……トウモロコシ好きなんだから!」
「あれ、そうだったっけ?」別段トウモロコシが好きだって印象は無かったけど。
「さ、最近好きになったの!」
「あーそうなのか。俺はてっきりダイエッ」
そこまで言ったタクローは高速で放たれた回し蹴りによって意識を失い砂浜に倒れた。
「ふう…………あ、タクロー! どうしたの、大丈夫!?」
なんて白々しいんだ。
底知れない女性の怖さに慄いていると――岩場の方から視線を感じた。反射的に視線を向けると、遠くで麦わら帽子を被った白髪の女の子と目が合う。
……そんなところで何をしているんだいアミアさん。
アミアは慌てて両手で×マークを作って、二回強調してから岩の裏にかがみこんだ。気にしないでください! ってことかな。
中々難しい事をおっしゃる。
「ごめんヒマリ、ちょっと待っててくれる?」
「ん、どうしたの?」
「ちょっとね。すぐ戻ってくるから」
「ふうん?」
首を傾げるヒマリに僕は背を向け、くねくねと岩を避けながらアミアの元まで歩いていく。アミアは麦わら帽子に、いつもと同じ白いワンピースを着てしゃがみ込んでいた。
僕の姿を認めた途端勢いよく立ち上がって、すぐに頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! すぐに戻るつもりだったんです!」
「大丈夫、別に怒ったりなんかしないよ。それよりわざわざ来るってことは……何かあったかな」
「いえ! そうじゃなくって……どうしても、気になっちゃって。どうしただかは分からないんです……けど」申し訳なさそうに僕を見る。「迷惑でしたか……?」
「いや、僕もちょうど心配してるところだったから良かったよ。……まだお昼ご飯は食べてない?」
「は、はい」
「じゃあ、これ。食べる?」
「食べます!」
焼きそばを見せると、目を輝かせて頷いた。やっぱり、こういうのがアミアらしい。
「――あの、さ。アミア」
焼きそばを受け取ってホクホク顔のアミアに切り出す。どうもスムーズに言葉が出ない。アミアが不思議そうに首を傾げる。
「はい?」
「ごめんね、一人にしちゃって。……困るかなとも思ったけど、謝らないと気が済まなくて」
アミアは一度目を丸くしてから――こらえきれないように噴き出した。
なんだ? 謝ったら笑われるなんて。僕は戸惑うしかない。
「す、すみません。言うだろうなーと思ってたら本当に言ったので……!」
笑いすぎて出た涙を拭いながら切れ切れに言う。
僕は分かりやすいのか。なんだろう……変なところで落ち込んでくる。
「大丈夫です!」きっぱりとアミアは言った。「全く気にしてないって言ったら嘘になりますけど……でも大丈夫です!」
もうその事は割り切ったと真っ直ぐな笑顔を見せる。
なんだか情けなくなるな……僕より男らしいじゃないか。
「――でも、ひ、一つだけ気になることがあるんです」
アミアは、今度はとても言いづらそうに視線を横に逸らす。
「何?」
「じ、重大なことなんです!」
「は、はい」謎の気迫に気圧される。
「えっとその」周りに誰もいない事を確認して、「な、ナギサさんはあのご友人の方とごにょごにょ」……それでも声が小さくて最後が聞き取れない。
「……えっとごめん、最後の方だけよく聞こえなかった。あと、友人ってどっちだろう、それとも二人?」
「女性の方です!」
「ヒマリが……どうしたの?」
「ヒマリさんって言うんですね……」
アミアは何秒か葛藤するように焼きそばの容器を握りしめる。
焼きそば飛び散りますよ。プラスチックの悲鳴が聞こえてきそうだ。
本格的に焼きそばが爆散しそうになった辺りで、アミアは突然顔を上げた。
「な、ナギサさんはヒマリさんとお付き合いをされているんでしょうか!?」
「へっ……?」長い言葉に戸惑って、一瞬固まってから、もう一度脳内で言葉を再生して、「へっ……?」もう一度言った。
アミアは顔が真っ赤だけど、言葉を取り下げる気は無いようだった。緊張で焼きそばの容器を握り潰し、じっと僕を見つめている。
「とりあえず……焼きそば君を労わってあげて」
「え――あ、うわわ!」
慌ててアミアは焼きそばを放り投げ、何度か弾き飛ばしてから、見事無事にキャッチした。
「はあ……危なかったです」
安堵のため息をついて、大事そうに焼きそばを抱えこむ。
質問はちょっと、正直なところ驚いた。なんだよその台詞。まるで――
僕は出来るかぎり平静を装う。
「まあ……あれだね。僕とヒマリは付き合ってないよ」
「ほ、本当ですか……?」
「本当ですよ。でもどうしてそんな――」
「ナーギーサー? 誰と話してるのー?」
ヒマリの声。岩からヒマリの影が伸びている。
残念……時間かな。
「じゃあ僕はそろそろ行くね」
「はい……!」
麦わら帽子にぽんと手を乗せて、僕は手を振る。
アミアはにこにこと、とても嬉しそうな顔で手を振りかえしてくれた。
「あ、ナギサ! 誰かいたの?」
「ううん? 誰もいないよ」
僕は何食わぬ顔で首を振る。
ヒマリは「え?」と疑わしげに僕を見る。
「話し声が聞こえたと思ったんだけど……」
「気のせいじゃないかな?」
「えー、怪しいなぁ……」
じとーっとした視線を向けられる。
冷や汗を気取られるわけにはいかない。
「た、タクローは?」
「タクロー? ちゃんと思った通り復活したよ」
思った通りってなんだ。
「それより……本当に誰もいなかったの?」
ゆっくりと言ったヒマリは、驚くほど真剣な目をしていた。
「え――いや」
「この前一緒に帰った時、ナギサ途中で突然慌てだしたよね……あれはなんだったの?」
「なんでも……なかったよ」
「嘘」
ぞっと背筋が冷えた。
ヒマリは視線を逸らさない。僕は視線を逸らせない。口の中が渇いている。戸惑いと恐れと躊躇いと申し訳なさで、思考がごちゃごちゃに絡まっている。
「何年一緒にいたと思ってるの……? 実はね、朝に会ったときから思ってたの。ナギサがいつもと少し違うって。たまにぼおっとするし、何か心配事があるみたいに見えた。でも今はそれが無いの。……どうして。言って?」
いつの間にかヒマリは僕の肩を強く掴んでいた。その腕が不安で震えていた
何も言えない。凍りついたみたいに、僕は全く動けない。
「……どうして黙ってるの?」
揺れる瞳は、僕の蒼白な顔を映している。
話してしまおうかと思った。話せばいいじゃないか。やましいことは一つも無い。
――なのにどうして、僕の口は開かない?
「……わかっ、た」
そっと肩から手が外された。諦めたように、落胆するように、ヒマリは口を引き結んで背を向ける。
ああ。何年一緒にいたと思っている。それは僕も同じだ。
「……聞こえたんだ。声」
口から出た声は僕のものじゃないみたいだった。何日も声を出していなかったみたいに、かすれていた。
ヒマリは背を向けたまま、洞窟がある辺りに目を向けた。
「――感情なんて消えちゃえばいいのにね。ううん、そこまで行かなくても、抑えられればいいのにね。……どうしてなんだろう」
「……いつか、必ず話すよ」
ヒマリが笑う気配がした。振り向いて、いつも通りの声で「許してあげる」と笑顔を見せる。「……洞窟なら、誰にも見つからないかな」
「え?」
「ううん、なんでもない」
ヒマリは首を振る。
「おー、ナギサー」言葉の意味を尋ねようとした時、タクローが現れた。「なあ、俺さっきまで何してたか覚えてねえか? 何か思い出そうとすると頭に痛みが走るんだよなー」
記憶無くなってるじゃん!
「えー? 何もおかしいことは無かったよー? ねー、ナギサ?」
「はい! 何もございませんでした!」
……思った通りってそういうことなのでしょうか。
そんなことを美しい笑みのヒマリに聞けるわけもなく、僕は黙って頬を引きつらせるのだった。
――それは夕日が空を覆う帰り道のことだった。
冷えてきた風を受けながら、僕らは三人でコンクリートを歩く。
その頃はもう、僕らは疲れてくたくたになっていた。
「ああ……もう疲労度有頂天だぜ」
「よくわからないよそれ」
「じゃあ怒髪天」
「怒ってるみたい」
「んあああ!」タクローが髪をかきむしる。「ナギサ! なんで誰も俺とお茶を飲んでくれないんだ! 一杯くらいいいじゃねえか!」
結局ナンパは全て失敗したらしい。
「何て誘ったの?」後ろのヒマリが聞く。
「お姉さん。今ならお茶に俺がついてきますけどいかがですか?」
「…………」「……それは無理じゃないかな」僕ならいらない。
ぐあああとタクローは頭を抑える。
「じゃあ、僕はここで」
分かれ道で、僕は二人に手を上げる。
「おー、ナギサはもう帰るか? もう少し遊ぼうかと思ったんだが」
「うーん、ちょっと疲れてるから。また今度遊ぼうよ」
「……ナギサ、大丈夫? 結構顔色悪いよ?」
ぎくりと僕は後ろを振り向く。ヒマリは心配の色を滲ませた目をしていた。
「大丈夫、だ、よ――」
言った途端、歯の根が鳴り始めた。がちがちとうるさくて止まらない。
ここまで耐えてきたのに……っ!
「おい!?」「ナギサ!」
鼓動がやけに大きく聞こえる。体中に鳥肌が立ったようにぞわりとした感覚。
知られたくない知られたくない知られたくない。怯えて見上げた二人の顔が、揺れてぼやけてぐるぐると判別がつかない。何か叫んでいる。でも何も聞こえない。僕は大丈夫だから。そんな声が出ない。
――後少し、だったのに。
闇が僕の意識をからめ捕る。