ボトルメールとスーパーデート
朝になった。
アミアはベッドですやすや眠っている。
泣いた跡のようなものが残っていて、胸が締め付けられた。
夜には、海の民の話を少しだけ聞いた。
不思議な道具があったり、水の中で呼吸ができたり。
中には、不思議な能力がある人もいるらしい。
羨ましいな、と言うとびっくりされた。
「私は、地上に生まれたかったです」
そういうものなのだろうか。
そういうものなのかもしれない。
窓から外を眺めてみると、まだ空は薄ぼんやりと白い。
夜明け前に起きるなんて。
「僕も年かなぁ」
誰も答えない。
「…………」
もちろん理由があって、こんな早朝に起きたわけだけど。
僕は昨日用意したあるものを持って、極力音を立てないようにドアを開ける。
「行ってきます」
小声で言って、ドアを閉める。
潮風が頬に当たって、横を通り抜けていく。
岩肌に波がぶつかって、ざあと心地いい音を立てていた。
水平線の先は、白む空とぴったりくっついている。
ふと気づくと、数分ほど時間が経っていた。
いけない。海に来るといつもぼおっと立ち尽くしてしまう。
僕は持ってきた空き瓶の入った箱と、それに入ったたくさんの手紙を一度砂浜に置く。
手紙は昨日の夜、アミアが寝てしまった後に書いた。
アミアが元の場所に戻るために、一体何をしたらいいのか。
しばらく考えてみて、結局ただの高校生には、高校生なりのことしかできないという結論に落ち着いた。
そこから考えた結果が手紙だった。
ボトルメールという言葉がある。あるいは、メッセージインアボトルか、漂流ビンか、etc……。
手紙を入れて、海に流されたビンなどのことだ。
アミアを送るために、まず海の民へ連絡を取った方がいいと思った。僕ら――地上の人にアミアのことを伝えたところで「はは……、それなんてラノベ?」と曖昧に笑われるのがオチだ。
僕はアミアを送る手段を持たないから、その方法は他の人に頼むしかない。地上の人はダメとなると、必然的に海の民にお願いをすることになってくる。
でも、アミアは連絡手段を持っていない。もし持っていたら得体の知れない僕みたいな男に、助けてくださいなんて言わないだろう。
とすると、どうやって連絡を取ろうと考える。
電気製品は海の中じゃ使えないだろうから、多分電話は無いだろう。
それなら、と僕は思い至った。
電話が無いなら、メールをすればいいじゃない。
いやマリー・アントワなんとかさんみたいなボケはいらない。携帯なんて持ってるわけない。一瞬で水没だよ。
それから僕は、手紙を書こうと思い至った。
どうやって送ろうかと思って、そういえば空き瓶があったなあ、とも思いつく。
じゃあボトルメールで行こう。
きっと向こうもアミアを探しているだろうし、海の上を漂っている、見るからに雰囲気のあるビンを見たら、手に取ってくれるだろう。
こんな考察を長々と続けて、僕は手紙を書き始めた。
最後がすごく安易だけど。
一つだけだと心許ないから、いくつか同じ手紙を書いておく。
文章は簡単にアミアの無事を知らせるもの。返事を求めるもの。そのくらい。
ビンに手紙を入れてコルクで封をして、僕は一つずつ間隔を空けて海へ流した。
「見てくれるかなぁ……」
圧倒的に頼りない。
願わくは、漂流ごみとならないことを。
僕は祈りを捧げてから、海に背を向けた。
家に戻ると、アミアが怒っていた。
ぷんぷん、という感じだった。
とても可愛い。
破壊力が途方もない領域に達している。
「ナギサさん……!? 一体どこに行ってたんですか!」
「ち、ちょっと海まで」
「海に、どうしてですか?」
思わず目を逸らしてしまった。あまり期待を持たせるのも悪いから、とてもではないけど口にするのは憚られた。
アミアが、悲しそうな顔でうつむく。
「言えない理由で……朝帰りですか」
「どこで覚えたのそんな言葉」
「私……寂しかったんですよ?」
台詞と同時に、上目遣いで潤んだ瞳。
くらっとする。
僕の精神は今、完膚なきまでに粉砕された。
意識が遠のく――
気が付くと僕は料理を作っていた。
はっ。僕は一体何を。
「ナギサさーん」
びくっと僕の体が反応した。
な、なんか体が怯えてるんですが……。
「料理、できました?」
アミアが満面の笑みで覗いてくる。
「ね、ねえアミア」
「はい?」
笑みが綺麗すぎる。綺麗すぎて怖い。
聞くに聞けない。
「い、いや、なんでもない。もう少し待ってて」
「うわぁ! 楽しみです!」
……笑顔なのに、目が笑ってない気がする。
きっと、知らぬが仏と。そういうことなんだろう。
「そうそう、ナギサさーん」
呼び方が怖いよ……。
「な、なんでしょう」
「約束は、守ってくれますよねー?」
「や、約束でございますか」
「もしかして……忘れちゃったんですか?」
「い、いえいえ決してそのようなことはございません。それはもう誠心誠意果たさせていただく所存でございます!」
「そうですか、ならよかったです!」
一体何を約束させられたんだろう。
夏だというのに、体が震えた。
ベーコンエッグとトーストだけの朝食を食べて、くつろぐ僕にアミアが顔を向けた。
「ナギサさん、そろそろ約束の時間です!」
「は、はい! アミア様! 約束でございますな!」
条件反射で僕は直立不動の体勢を取る。
「私に町を案内してください!」
「……へ?」
「え、今日の朝は頷いてくれました……よね?」
「ははあ、それはもう! 路地裏の猫の毛並から軒下の雑草まで案内させていただきます!」
「そこまではいいですけど……」
苦笑いするアミアに、実のところ、僕は少し拍子抜けしている。
あの笑顔の迫力からすると、もっとえげつないことを約束させられているかと思ったけど。
いや、えげつないことってなんだ。
ひざまずいて足を舐めろとか……いや、無い。ありえません。
我々の業界ではご褒美とか、そんなこともありません。
それはさておき。
「町のどこが見たい?」
「全部見たいです!」
おお。
大きく出たね。
この子は将来ビッグになるよ。
でも全部はさすがに難しいなぁ。
「そうだね……じゃあスーパーとかどう?」
「すーぱー?」
アミアが小首を傾げる。
ああ……。意識が遠のきそうになるのをこらえる。
「食べ物を売ってるところだよ」
「行きます!」
猛烈な即答だった。
アミアの目がキラキラと期待に満ち溢れている。
アミア以外の人は、大抵がっかりするチョイスだとは言わないでおく。
僕の事情として、食材を買い込まないといけないのだ。悪い事をしているように思うけど、アミアが分かりやすく喜ぶところと言ったらここかなと思った。
「じゃあ早速行こうか」
言うと、アミアは元気に頷いた。
「わぁ……!」
アミアは建物を見上げて口をぽかんと開けている。熱さを少しでも防ぐために被せた麦わら帽子がずり落ちそうで手を添える。
僕とアミアが訪れたのは、町にある小さなスーパーだった。ショッピングモールなんて大きな店は、この小さな町には無い。僕らは基本、食材はここで買い込む。
自動ドアに驚くアミアと中に入ると、エアコンの冷たい空気が降りていた。
「わあ、涼しい!」
アミア目を丸くする。エアコンの話をすると、便利ですねと感心したようなため息を漏らした。
僕が食材を買い込む横で、アミアはずっと目を色々な品に移ろわせていた。どれも珍しいのだろう。
「もし欲しいのがあったら買ってもいいよ」
「え! わ、私ですか!? いただけません、こんなにご迷惑をかけているのに!」
恐縮したように手を振る。
「いいっていいって、プレゼントだよ」
その後も断り続けるアミアだったが、いつの間にか手に何か持っていた。
恥ずかしそうに僕へ差し出す。
「じゃあ……一つだけ……」
おまけつきのラムネだった。
僕は頬を緩めて、買い物かごに放り込む。
僕らは一旦家に帰ることにした。
食材が想像以上に多かったせいだ。辛そうに持ち運ぶ僕を見て、アミアが帰宅を提案してきた。
少し後悔が浮かぶ。
完全に僕のミスだった。こんな簡単なことに気づかないなんて。
「いいんです」
アミアは笑う。
「スーパーとっても楽しかったですし」
平謝りする他なかった。
昼食を食べ終わって、少し片づけなどを終わらせる。時計を見ると、まだ少し時間がありそうだった。
近場だったら、少しだけ紹介できるかもしれない。
「アミア、近くのところに案内でも――」
呼びかけながらリビングに出たところで、ぴたりと言葉を止めた。
アミアが眠っていたから。
すうすうと、気持ちよさそうにソファーで横になっていた。
ちょっと動きが止まって、それから僕は口元を緩めた。
薄い青のタオルケットをかけて、僕はテーブルに頬杖をついてそれを眺める。
ああ、本当に気持ちよく眠ってる。
僕まで眠くなってくる。
あくびを噛み殺す。
少し、寝ようかな。
僕はテーブルに突っ伏した。
目が覚めた時、時計は目盛りを四つほど進めていた。
ああ、寝ちゃったな。
子供らしいなと思って、笑みが浮かぶ。
体を起こすと、タオルケットが床に落ちた。
――タオルケット?
アミアに掛けておいたはずの、薄い青のタオルケット。
――アミアは?
ソファーはもぬけの空だった。
さあっと血の気が引いていく。