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君と壊れ行く日常は何処へ


 視線が奪われる。

 背中まで降りた白い髪。美しい顔立ち。アミア――ではない。背が高く、目が少し細い。どこか冷徹さを感じさせるその表情は、普段見るアミアのものではなかった。

 ただ、良く似ていた。

 例えるなら、アミアが成長した姿を見ているようだった。

「お母さん……!」

 アミアが思わずと言った様子で声を出す。

 お母さんだったのか。すっと納得できた。同時に、アミアが厳しい人だと言っていたのを思い出す。

 アミアのお母さんの視線が真っ直ぐ僕を射抜く。

「あなたがミナミナギサさんですか」

「……はい」

「お察しかと思いますが、アミアの母です。アミアを助けていただいてありがとうございました。お礼は後程送らせていただきます」文章をそのまま呼んでいるかのような平坦な声。「アミア、来なさい」

 アミアは躊躇っているようだった。

「どうしたの?」

 すっと目が細められる。アミアはびくりと肩を震わせた。

「……アミアのお母さん」

「シーリエでいいですよ」こちらにちらりと目を向ける。「なんでしょうか?」

 僕はそして言うべき言葉を見失う。

「シーリエ、さん」

「はい」

 それから、何て言うんだ? アミアを連れて行かないでください、って? そんなのはおかしい。だってアミアは海の民なのに、僕が引き止めるわけにはいかない。

「あー……俺にはわけが分からないんだが?」

 タクローがふと、声を出した。ぎこちない沈黙が破られて、僕は少しほっとする。

 シーリエさんは今度、タクローに冷えた視線を送る。

「ナギサさん。その方にアミアは見えないのですか?」

「……そうみたいです」

「んあ?」

 呆けた声を上げるタクローは置いて、シーリエさんは少し考えるように視線を斜め上に投げた。

「ナギサさんは、海憑きに(かか)っているのでしょうか」

 反射的に心臓が跳ねた。

「……みたいです」

「なるほど、アミアの偽装が解けていたわけではないのですね。ナギサさんにアミアが見えるのは、恐らくあなたが海憑きに罹っているからです。海憑きは瞳を青く変化させます。罹患者によれば、その視界も少し変わってくるようです。偽装は周りの色に溶け込ませるようなものですから、あなたには効かなかったのでしょうね」

 淀みない説明は、少し突き放すようにも聞こえる。

「なんか先生みたいだな……」タクローが呟く。

「……お母さんはお医者さんをしてるんです」アミアが僕に小さく言った。

「ナギサさん」

 シーリエさんは全くなんとも思っていないような口調で、遥か想定外にあることを言う。

「――海憑き、治しましょうか?」

 僕はぽかんと口を開けてしまった。

 治せない病では無かったのか。これはそう簡単に治せるものなのだろうか。もしそうなら必至で隠していた僕が馬鹿みたいじゃないか。

「ん? ナギサの病気治るのか?」タクローの呑気な声

 ……隣でアミアが小刻みに体を震わせていることに気が付く。

「アミアの能力を使えば、治せると思いますよ。でしょう、アミア」

 僕はアミアを見た。

 アミアは震えを隠そうともしなかった。怯えるように怖がるように体を抱きすくめて、頑なにアミアは首を縦にも横にも振らない。

 タクローが来る直前に、アミアは能力の話をしようとしていた。とても躊躇した様子で。そんなことを思い出して、僕は聞くに聞けなくなる。

「――それはちょっと待ってくれないかー、シーリエちゃん」

 がらがらと、スーツ姿の父さんが扉を開けた。

 シーリエさんを知っている?

「あなたは……」

 今まで表情の動かなかったシーリエさんの顔が動く。かすかに目を細めていた。会いたくない人に会ったとでも言うように。

「久しぶりだなー」

「ええ。ミナミさん。なぜここに? ――ミナミ?」

 ミナミ。僕の名字でもあり、父さんの名字でもある。シーリエさんは僕の顔に視線を映した。

「覚えておいてくれたのかー、嬉しいなー。そのよくできた子は俺の息子だよー」

 シーリエさんは少し顔を歪めた。

「……待てというのは、どういうことですか?」

「んー、能力はそうホイホイ使っていい物じゃないでしょー」

「あなたには関係の無い事です」

「息子の事なのにー」

 みるみるシーリエさんの機嫌が悪くなっているのが分かる。声音がどんどん冷たく怒りさえ(にじ)ませるようになってきている。

「それなら、海憑きが治らなくてもいいというのですか? ――姉と同じように」

 父さんの顔が少し強張った。

 姉――アミアのお母さんは、僕の母さんの妹だと言っていた。だから父さんとも面識があったのだろう。

 ただ――姉と同じように、なんて。一体どういうことだ。

 父さんは一呼吸置いてシーリエさんに言う。

「アミアちゃんの能力は確かに凄いねー。……そこにいるのかなー? きっと自分でもわかってると思うけど。」

 父さんは虚空を見つめて、穏やかに言う。アミアが顔を上げた。

「でもその副作用はね、シーリエちゃん。きちんと説明するべきだと思うよー」

「副作用?」

 僕はたまらず口を挟む。

 父さんがどこか悲しそうな顔をする。

 シーリエさんは反論を探して黙っていたけど、結局認めたようで眉をひそめる。

「……そうですね」

「副作用って、なんですか」

 舌が渇いているのを感じた。きっとアミアがさっき能力の話を躊躇ったのはこの副作用があったからだと思った。

 シーリエさんはアミアに目を向ける。アミアは目をいっぱいに見開いて、髪が乱れるのも気にせず強く首を振った。

「言いたく、ないです」

「アミア」シーリエさんが、咎めるように名前を呼んだ。

 唇を噛みしめて、アミアは頭を抱えてうずくまる。

 シーリエさんがため息を吐いた。

 その口が開く。

「副作用としては――記憶を失います」





 記憶を、失う?

「どういう、ことですか」

「そのままの意味だよー」

 父さんは髪を撫でつけた。少し声のトーンが低かった。

「病気は治るけど、今までの事をほぼ忘れる。最低限生活できる――文字とか社会のルールとか――は残るみたいだけど、それ以外のこと、例えば友達の事とかは、全部忘れるみたいだねー」

「――友達?」

「じゃあ……! 俺の事も忘れちまうのか……!?」

 タクローが椅子を蹴り飛ばして立ち上がる。

「ふざけんな! そんなんじゃ……そんなんじゃ意味ねえだろうが!」

「落ち着いてください」

 シーリエさんが言う。だからどうした、と。そう言わんばかりの声だった。

「落ち着いてられるかよっ! そんなの酷いだろ!?」

「決めるのはナギサさんです」

 視線が僕に集まった。

「忘れて生きるか、忘れず死ぬか。選んでください」

 言葉以上に、この選択は重い。

 全身に鳥肌が立ったようだった。病気のせいでなく、体が冷えてぞくりとした。

 最悪の二択しかないのか。

 周りの視線が全て僕を貫く。緊張で胃にずんと重い物がのしかかるように感じた。

「僕は……忘れたく、ない」

「なら死にますか?」

「シーリエちゃん」

 父さんが手を上げてたしなめる。シーリエさんはその手を振り払って、父さんをきっと睨みつけた。

「黙ってください。あなたのせいで姉は死んだのです。ここまでしているのは、ナギサさんがアミアを助けてくれたから、それだけです。でなければ地上の人にここまでするはずがないでしょう」

 早く鋭く冷たく、怒気を含ませてまくし立てる。

「私にはナギサさんがなぜ拒むのかわかりません。忘れれば後悔もしないのに。早く関係を断ち切ってもらいたいのです。そしてもう二度とこんなことが起こらないようにしてほしい」

 吐き捨てて、僕に向き直った。

「うじうじとしないでください。吐き気がします」

 はっきりと嫌われて、僕は怒りよりも怖さを感じた。ただそんな風に言われては、なおさら考えがまとまらなくなった。死にたくない。忘れたくない。

 思考する度にその考えが脳内をかき回す。ごちゃごちゃ絡まって、答えは出ない。

「――なあ、シーリエさん」

 タクローが口を開いた。腑に落ちない事があるように、眉根を寄せていた。

「……はい」答えるのが面倒なように言う。

「あんた間違ってるよ」

 シーリエさんが無表情でタクローを見つめる。

「どういう意味ですか?」

「だってさっきから、あんたはアミアちゃんの意見を心配してない」

 はっとなってアミアを見た。

 目を丸くしてタクローに視線を投げていた。

「……ここにいるんだよな? それなのに、一回もアミアちゃんに聞いてない」

「私は間違った判断はしません。アミアにも間違ったことはさせません」

「本人の意見を聞けって言ってるんだよ」

 シーリエさんは大きく嘆息した。

 無感動な目でタクローを一度見据えて、アミアに声を投げる。

「どうですか? アミア」

「わ、私は……」アミアは僕に視線を向ける。「生きて、ほしいです」

 泣きそうな表情。

「どうしますか、ナギサさん」

 アミアの表情を見て、なぜだろう。やっと脳内が落ち着いてくる。しっかりしないと、なんて思う兄のような心境なのだろうか。

「能力を使ったら、アミアの事も忘れちゃうのかな」

「……だと、思います」


「なら、いいや」


 目の前のアミアが「え?」と口を開けた。

 タクローも、父さんも茫然とした顔をする。

 シーリエさんだけが無表情を崩さなかった。

「……そうですか。行きますよ。アミア」

「待って! ――待ってください! ナギサさん!」

 爪が食い込むくらいまで、僕の服を掴む。

「考え直してください! 死ぬんですよ!? もう何にもできないんですよ!?」

「うん」

「だからどうして……そんなに平気そうなんですか……!?」

 アミアから、また涙があふれ出す。

 それを指で(すく)い取る。

「アミアを忘れて生きても、死んでるようなものだから」

「どうして、私なんか……っ!」

「――好きだよ」

 時間が止まったような気がした。音も消えて、この世界にはアミアと僕しかいないような錯覚を感じた。

「え……?」

 アミアの声が鮮明に、はっきりと聞こえる。

 視線が重なる。

 その息づかいまで感じ取れる。

「君が好きだから。絶対に、忘れたくない」

 ゆっくりと目が開かれていく。

 そんな様子まで手に取るように分かる。

 これは僕の我が儘だ。

 伝えるには、今しかないと思った。

「そんな……そんなの、ずるいですよ……!」

 きっともうアミアは、僕の記憶を消すことが出来ない。

 アミアも同じ気持ちだと僕は知っているから。

 だから僕の言葉を無かったことにするなんて、出来ない。

「酷いですよ、ナギサさん……!」

「アミア」

 冷たい声が、現実に戻す。

 いつの間にかシーリエさんがアミアの腕を掴んでいる。僕の布団に伏せったまま、アミアは顔を上げようとしない。

 シーリエさんは僕に悪意を込めた視線を向ける。

 僕は何もしなかったし、何も思わなかった。

「っ! アミア!」

 シーリエさんが引っ張ると、アミアは人形みたいにだらんと起き上がった。

 虚ろな目をして、何もない所を見ている。大事な物が抜け落ちたみたいに、ただ無機質に。

 シーリエさんに手を引かれて、アミアはふらふらと歩く。

 小さい肩がもっと小さく見えて、くすんでいた白い髪がもっとくすんで見えた。

 扉を開けて、シーリエさんは振り返る。

「ナギサさん。改めてアミアを助けていただいてありがとうございました。それでは」

「アミアちゃん」

 父さんの声に、去ろうとするシーリエさんが足を止める。

 アミアが、感情のこもらない瞳で顔を上に傾ける。


「――君はそれでいいのかい?」


 アミアの瞳が開かれる。





 二人は行ってしまった。


 タクローは帰った。


 明かりが点いていた。

 いつの間にか夜になっている。

 父さんが椅子に座っていた。父さんも一度帰ったような気がする。帰ったかな? 帰ってないかもしれない。

 よく覚えていない。

「――――」

 父さんが何か言った。

 顔を上げると、父さんは携帯を耳から離したところだった。

「あー、ナギサ」

 ゆっくりと携帯を閉じる。僕はそれをぼうっと見つめる。

 なんとなく思考がどろっとしていた。

 うまく考えることができなかった。

「――ヒマちゃんがいなくなったらしい」

 言葉は、のろのろと僕の頭に染み込む。


「え?」


 何か音を立てて崩れていくのを感じる。



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