兪貴と白炎
銀の武器で心臓を貫いたのだ。これで目下のところ、脅威となる妖精は殺し尽くした。
「----残念、これじゃぁオレは死なないぜ?」
勝利の念に浸りかけていた私は、反応が遅れた。
アシュマが動きを止めたのは、一瞬だったのだ。袈裟懸けにナイフが振るわれる。
上体を反らしたが、とてもではないが、避けきれない。
「----がっ…!」
左の脇腹から右肩にかけて、斬りつけられる。
「そろそろ終わりだな」
喉奥から血がせり上がってきて、ゲホっとそれを吐き出すと同時に、激痛に地面に倒れ臥す。
蹲る私をアシュマが見下ろした。
クソが!!
油断した自分を罵り、傷口を押さえる。しかし、手では、広範囲から絶え間なく流れる血は、それくらいでは止まらない。
このままアシュマが止めを刺さなくとも、失血死は免れないだろう。
忌々しい、忌々しい…!!
どうにかしなければと、策を巡らすべきなのに、思い浮かぶのは、激しい怒りの情念だけだ。
兪貴は、自分を制限する者がたまらなく許せなかった。自由を阻む者を全てぶっ殺したくて仕方なかった。
キールに17年もの間、憑依され自分の意思や思考を捻じ曲げられたゆえのことだと、理解してはいたが、その気性を抑える気などハナからない。
「オレがなぜ、銀で死なないか教えてやろうか?」
アシュマはしゃがんで、兪貴の顔を覗き込む。心臓を貫かれたことなどなかったかのように、傷は塞がっていた。
それどころか、余裕の笑みを絶やさず、未だ私の左肩に刺さったままの銀の針をつついてくる。
「…おまえは、最初から…妖精じゃない、ってだけだろうが」
吐き捨てるように言えば、ニイっと三日月のように目を細めて、アシュマは、笑う。
普通の人間、もしくは魔族であれば、心臓を貫かれれば、死ぬ。
妖精であれば、銀の武器で心臓を貫かれれば、死ぬ。
獣人であっても、心臓を貫かれれば、死ぬ。
死なないなら、未だ私が知らない種族であるとしか言いようがない。
ここにきて、未知の種族にぶち当たるとは、ふざけるのも大概にしろ。
「オレも最初は、妖精だったぜ?精霊王とのより深い繋がりを求めたティタニアがオレを二人の子供として、作り出した。いわば、妖精ティタニアの分身が、このオレだ」
色合いとか精霊王に似てるだろ?
精霊王と同じ浅黒い肌をした腕を差し出して、私の白い肌との対比を楽しんでいる。
汚い腕を近づけるな、と心中で悪態をつきながら、次の言葉を待つ。
「オレは、悪魔だ」
クソが、未知の種族とは、運がない。無意識に歯噛みして、ギリっと音がなった。
対妖精にと念入りに準備してきたというのに、前提から覆されるとは、これでは準備の意味がない。
「悪魔は契約した者の願いを叶え、その者を眷属にする。だから、おまえはオレと同じ悪魔になるんだ、これから一生、オレの配下として、オレの手駒として、オレの玩具になり続けるんだ」
「はっ!おまえがいつ、私の願いを叶えた?」
私の願いは最初から一つ、私を束縛しようとする者への復讐だ。
「やりようは、いくらでもあるさ」
鼻で笑う私の様子を楽しそうに眺めながら、アシュマは、立ち上がった。その背から黒い腕のようなものが生えてくる。いつぞや対峙した教皇の腕に似ているが、腕というより触手といった様で、後から後から、這い出てくるように背から生えてきた。
「ようは、おまえが願いを叶えてもらったと認識すればイイんだ。安心しろ、記憶が曖昧になって改変されるくらいに拷問し尽くしてやるからよォ」
舌舐めずりして、アシュマの触手がこちらに伸びてくる。ヌチャリと体液に塗れた生暖かい触手がほおを撫でる感覚に嫌悪感が全身を駆け巡った。
「-----汚らわしい…!」
触手は私の四肢に巻きつき自由を奪っていく。私の自由を奪っていく。また、私は、己を奪われる。
忌々しい、忌々しい…!!
心から溢れ出した嫌悪感、忌避感、拒絶感といったものが熱となって私の体を覆っていく。
「私に触るな、羽虫が!!」
叫んだ瞬間、視界が真っ白になった。全身が燃えているように熱い。
「すげえな!おまえ!まさか天使の炎まで準備してやがったのか!!」
霞む視界の向こうでは、歓喜の声をあげるアシュマは後ずさっており、触手が剥がれ落ちていた。
いや、視界が霞んでいるのではない。私が白い炎に包まれているのだ。
だらだらと汗が吹き出し、全身が沸騰しそうに熱いが、なぜか皮膚は焼かれていなかった。
突如、凄まじい疲労感に襲われたため、全身から力が抜け、地面に沈み込む。
「まぁ、おまえの魔力量じゃその程度が限界だろうな」
そう言いながらもアシュマは動かなかった。私を包む炎が消滅するのを待っているらしい。
疲労感と出血量のせいで、今にも私の意識は飛びそうだ。
そして、用意した覚えもないこの炎は、少しずつ消えてきている。
この悪魔に弄ばれるなら、いっそのこと、自死を----
「------グオオオオオオオオオオオオオオオォォン!!!!」
凄まじい咆哮に飛びかけた意識がつなぎとめられる。視界のはしに黒竜が映った。これは、アガレスの咆哮か。
強風が襲いかかり、体が宙へと放り出されたと思ったら、すぐに抱きとめられた。
「兪貴、無事…とは言えない有様だな」
すぐさま人型になったらしいアガレスが、私を抱えている。彼は、私の傷に顔を顰めて、治癒の魔法陣を展開した。
「へぇ、アガレスが助けにくるのか。おまえは傍観すると思ってたんだがなァ」
完全に白い炎は消えたようだ。触手は消えているもののアシュマは無傷で、笑みを浮かべている。
「俺はこの子の味方だ」
私の傷に目を落としながら、アガレスは言った。
「これはまた…どういった経緯か気になるな?ああ、ミーヤがらみか?」
「おまえに答えて、なんの意味がある?」
「だよなァ、オレとおまえが殺りあったところで、どっちも死なない。不毛な争いだったわけだが…、妖精の殺しかたがわかった今、目障りなおまえを殺せる。元妖精のオレには関係ないことだがなァ!」
アシュマの背後から無数の触手が飛び出してくる。対するアガレスは、視線一つで魔法陣を展開した。
「元妖精?」
魔法陣から複数の風の刃が放たれ、すっぱりと触手を斬りとばした。
しかし、すぐさま触手の断面から触手が噴き出してくる。なんのダメージも食らっていない様に焦燥感が募った。
「そうさ!俺はお前らと違って銀の剣で貫かれようと死ぬことはない、悪魔だ!!」
愉悦と言わんばかりにアシュマは、嘲笑う。
「……悪魔か」
アガレスは、そんなアシュマの様子など眼中にないようだ。苛立つ私とは対照的に非常に落ち着いている。そして、ほんの少し考え込むそぶりを見せた後、手元に新たな魔法陣を展開した。
それに構わず増殖した触手が突っ込んでくる。
魔法陣から出てきたのは、純白の剣だった。銀製ですらない装飾に塗れた白い剣だ。
アガレスはそれを無造作に振るう。剣は驚くことに白い炎を撒き散らしながら、触手をなぎ払った。焦げた触手は、復活することなくそのまま動かなくなる。
「おいおい、ふざけんなよ。ユキの術式といい……、地上の天使はとっくに皆殺しにしたはずだ。おまえが生まれる頃には天使なんて存在はいない。なのに、なんでおまえがそんなものを持っている?」
ここで初めてアシュマの顔色が変わった。苛々した様子を隠そうともせず、アガレスを睨みつける。
「アガレス…アシュマが悪魔とわかっているなら、先に言え」
思わず呟いたが、それは無視された。
治癒の魔法陣のおかげで傷は塞がってきている。貧血がひどいが、意識はかろうじて保っていられるから、多少は動けるはずだ。
さて、この状態でアシュマをどう殺すか。
「一度、退くぞ」
腕から抜け出そうとした私を制し、アガレスが言った。
「おいおい、逃すわけないだろ?アマギが契約者で有る限り、おまえらの居場所は筒抜けだ」
「契約者?」
「そうさ!キールの憑依が解かれたあと、俺とアマギは契約してる。悪魔が力を貸す代わりに代償をいただくって契約だ。まぁ、アマギはそんなことひとっつも知らねぇで契約させたけどなァ」
なんてクソみたいな契約だ。あの時の言葉はでまかせばかりだったということか。愚かにも私は、アシュマの甘言に乗せられたらしい。
「---そうか。だが、その契約は今も有効なのか?」
淡々と、実に淡々とアガレスは指摘した。怒りが募る私に反して、彼は冷静だった。
反応の薄いアガレスを面白くなさそうに見たアシュマだが、次の瞬間、顔色を変える。
「ッチ!どういうことだ!?なんで契約が切れてやがる!?」
ここにきてアシュマが初めて動揺を露わにした。しかし、アガレスは取り合う気はないようだ。
アガレスが足元に魔法陣を展開する。おそらく転移の魔法陣なのだろう。
「ふざけんなよ!このまま逃してたまるか!!」
黒い触手が無数に襲いかかってくる。アガレスは剣を一つ振るうだけで、白炎を撒き散らしながら退けた。
そして、第二撃がくる前に転移の魔法陣が発動する。
転移特有の浮遊感に飲み込まれ、平衡感覚が狂わされるのに合わせて、私の意識は暗転した。




