兪貴と嫌悪
カレンに刺されたあと、私はこいつの企みに乗った。
その時は、それが一番、キールを倒す近道だと疑ってはいなかったのだ。
今は、後悔している。軽々しく契約を結んだことに。
あの契約によって、アシュマは、”私”を認識し、雅との入れ替わりなど鼻から意味がないものにしていたのだろう。
そして、アシュマはさも入れ替わりに気づいてない体を装った。こうして、私の意表をつくのが目的だったのだ。
ティタニアとの戦闘で、魔力はもうほとんど残っていない。もう一度精霊たちと同調すべく意識を内に向けて、気づいた。
(ゆきさん!精霊避けです!!)
ジンが叫ぶ。精霊とのつながりが断たれてしまっている。これは、クラウンが使っていたものと同じものだろう。つまり、私の武器は、妖精の肉体しかない。
最悪の状況であることを隠して、私はうっすらと微笑んで見せる。
「アシュマ、なぜあなたがここにいるのです?」
「俺じゃなく、アガレスに懐く薄情な契約者に少々お灸を据えようかと思ってな」
「お灸ですか?」
「そ、もっと派手にキールやティタニアを殺すんだと楽しみにしていたが、ここまで呆気なく幕引きとは思わなかったぜ。俺の用意していた舞台は、使わず仕舞いだしなぁ」
王都壊滅は割と派手だったと思うが、この妖精にとっては物足りないらしい。
こいつに従っていたら、どんな舞台に立たされていたのか、怖気がする。やはり雅を呼んで正解だった。私では、ここまでスムーズに事を運べず、アシュマの舞台とやらに立たされていただろう。
「キールなんていつ殺したんだよ。全く気づかなかったぜ」
「ふふ、いつでしょうね?」
(ゆきさん、どこにも精霊避けの術式が見当たらないです!)
周囲を探っていたジンが、焦った声をだす。どういうことだ。クラウンとはまた違った方法で精霊を封じているのか。
「で、もうバレてるってのに、いつまでミーヤのフリをするんだ?」
「----私を殺しに来たのか」
思ったよりも冷めた声が響いた。薄ら笑いを消した私に対し、アシュマは嬉しそうに笑う。冷たくされて喜ぶとは、変態だな。
「その声にその目、ゾクゾクくるよなぁ。…ああ、おまえを殺す気は無いぜ?ちょっと痛めつけて、俺のいう事をきくようになってもらうだけだからな」
「そして、おまえの演出通りに私を動かすのか?まるでおままごとだな」
「まさか、おまえを使い捨ての役者になんてしないぜ?おまえはもっと俺を楽しませてくれるはずだ。俺のそばに置いて、ずっと可愛がってやるよ」
アシュマの目的が読めない。私を魅了するということだろうか。それだと、楽しませることにはならないが…。
「あぁ、俺に命を握られ、俺を憎みながらも俺を殺せない…そんな憎悪と嫌悪に満ちたおまえは、最高に美しいだろうなぁ」
恍惚とした表情で語り出すアシュマには、気持ち悪さしか感じない。
(アシュマは、ティタニアに付いていながら、クラウンとも通じていましたから、保身を第一に考える人物だと思ってましたが…)
両陣営に取り入ってたとは、まるでコウモリのようだ。そこだけを見ると、あまり実力はなく、強者に取り入ることで、地位を保っていたい弱者に見えないこともない。最弱の妖精という情報に違わぬ行動だ。
だが、なぜ一人で私の前に現れたのか。
アルシュナ商会の古参は、獣人で構成されているはずだ。身体能力の高い彼らとともにいないのは、アシュマ自身の腕に自信があるからなのか。
そもそもアシュマの妖精としてのアドバンテージは、複数の精霊との契約であったはずだ。なのに、自ら精霊を打ち消すような真似をしているのは、なぜだ。
考えれば考えるほど、嫌な予感しかしない。
キールの記憶も契約するときの言葉は全てあてにならないのではないだろうか。アシュマの情報は全て虚偽ではないのか。
最弱の妖精であるのも、複数の精霊と契約できるのも、私との契約だって、私にアシュマは楽に殺せると思わせるための布石か。
(逃げるぞ)
私は、ジンに短く告げる。ここを離れて、精霊の力が使えるようになったら、影を伝って魔王城に逃げ込むしかない。一歩、足を後退させた瞬間だった。
「残念だが、おまえはここで俺に囚われる運命だ」
勢いよく距離が詰められ、アシュマが腰からサーベルを抜く。予想よりも素早い動きに歯噛みしつつ、私は銀の剣でサーベルを受け止める。
「---運命?冗談じゃない。そんな気色の悪い運命などぶっ潰してやる」
逃亡を企てていることは、あっさりと見抜かれていた。だが、表向きは闘争心をむきだしにしておく。
「つれねぇな、俺はこんなにもおまえのことが好きなのになぁ!」
サーベルに力が込められる。鍔迫り合いで負ける前に、相手の力を受け流した。アシュマがわずかに姿勢を崩したところに蹴りを叩き込む。
しかし、その足はあっさり捕まれた。私は即座に剣を地面に突き立て、もう片方の脚でアシュマの顎を蹴り上げる。
足を掴む手が緩んだ隙に小さな結界で足場作り、跳躍した。
「さっすが!武力一辺倒のキールに勝つだけはあるぜ!!」
全体重をかけて、上から剣を振り下ろす。だが、片腕でサーベルを操り、受け止められ、弾き飛ばされた。
空中で体勢を立て直し、なんとか瓦礫の上に着地する。
あまりにも腕力の差があり過ぎる。しかし、身体強化しようにも魔力はほとんどないため、無駄遣いはできない。その上、厄介なことに剣術の腕は、キール並だ。
私がキールに勝てたのは、キールが油断しすぎていたからに他ならないが、アシュマは全く私に対して気を抜いていない。むしろアシュマを侮っていたのは、私だ。
アシュマの方が実力は上だ。それなのにも関わらず、万全ではない状態で挑んでいる。
だが、ここで負けるわけにはいかない。
力で勝てないなんて大したことではないのだ。魔力で勝てないなんて気にするな。私は、勝つために戦っているのではない。
----私の剣は、殺すためにある。
両手で握っていた剣を右手でもつ。拳より一回り小さい結界を足元に作り、一気に加速して飛び出す。
「真っ正面からとは、いい度胸じゃねぇの!」
アシュマは、右手に持ったサーベルを横になぐ体勢に入った。完全に腕を引き切ったタイミングで、関節に小さな結界を作り出す。
小さな結界は、すぐに潰されるが、それで十分だ。どんな剛腕から繰り出されようとも、鈍くなった剣筋なら捉えられる。体をひねり、剣で剣を絡めとり、そのまま相手の力を利用して放り投げた。
同時に左手に持った隠しナイフで狙うは、アシュマの首だ。
ザクっと肉を断つ感覚が手に伝わってくる。でも、それは一瞬だ。ナイフを手放して、結界を手元に作りだし、体を持ち上げた。そのすぐ下を三日月型に反り返ったナイフが、大腿を掠めて通っていく。
もう一つ手元に作りだした結界を踏み台にアシュマと距離をとり、放り投げた剣を回収した。
「、ぐはっ!…めちゃくちゃな戦い方だなぁ、おい」
アシュマは、首に刺さったナイフを抜く。首の傷は瞬く間に塞がっていった。
しかし、すぐさまカクンと膝から力が抜けるように崩れ落ちる。
---好機だ。
隠しナイフは銀製ではないが、ただの人なら即死するくらいの神経毒を塗ってある。すぐに回復するだろうが、動きを止める程度の効果はあったようだ。
銀の剣を握りしめて、とどめをさすべく一歩踏み出した瞬間だった。
ガクッと脚から力が抜けて、倒れてしまう。ナイフを掠めた片足が痺れて、動かないのだ。
「考えることは、一緒ってか?まあ、俺の方が一枚上手だろうがな」
アシュマが立ち上がり、ナイフを鈍く光らせて、歩いてくる。あくまでも余裕をひけらかしてくる様が忌々しい。
私は、剣を地に突き立て、片足で立ち上がった。何が塗られていたのか、足の傷が塞がらない。
いや、違う。この感覚は、もう知っている。
「…っ!!」
「お、気づいたか?」
ジンが引き剥がされた!
最悪だ。私がキールの憑依から解放されたときと同じ感覚がする。
完全に盲点だった。魅了や憑依の対策は万全だったが、引き剥がされるとは予想だにしていなかった。
傷がすぐに塞がらないのも、納得だ。この身は、すでにただの人なのだから。
「んじゃ、さっさと降参しな」
正面に立ちはだかったアシュマがそう言って、剣を振るう。
小さな結界を複数作り、剣で受け止めるも、所詮片足。しかも、相手の腕力は常人をはるかに超えている。
剣はバキっとたやすく折れ、体はあっけなく吹き飛ばされて、瓦礫に強く打ちつけられた。
ああ、だめだ。頭がくらくらする。体が死ぬほど痛い。今ので、絶対に骨が何本か折れただろう。呼吸するのすら痛い。
しかも、銀の剣は折れたときた。
「へぇ、今ので意識を失わないとは、大した胆力だ。いや、執念か?」
呆れたようにアシュマは、言いながらゆっくりと距離を詰めてくる。そして、赤い石がついた首飾りを持ち上げて見せた。
「最後に教えといてやろう。この石は魔力を流すと精霊を遠ざける効果を発揮し、持っているだけで精霊と同調できなくなるってわけだ。同時に妖精の憑依も解く力もあるみたいでな。それを粉末状にして、このナイフにも塗ってある」
そういえば、精霊が近寄れなかったクラウンが封印されていた泉は、薄紅色だった。あの泉には、その石が沈められていたのだろうか。
今さら気づいたところで仕方がないと自嘲する。ざりっと小石が転がってきた。私はなんとか上体を起こして、顔をあげる。
アシュマは、変わらず歪んだ笑みを浮かべていた。
「もう気が済んだろ、さっさと楽になっちまえよ」
お前を殺すまで私の気が済むなんてことは、永遠にありえない。
アシュマが身をかがめて、手を伸ばしてくる。その手には、魔法陣が描かれていた。
私は、隠し持っていた特製の銀の針を至近距離で眉間をめがけて投げる。
読まれていたのか、それはあっさりと躱された。
しかし、本命は、この後だ。
弾力を持たせた結界を背後に作り出し、銀の針を受け止める。
私の奥の手、両刃の銀の針。
弾力だけでなく、捻りをくわえながら、結界の奥へ奥へと針を引き込む。
私は、もうアシュマなど見ていなかった。結界のコントロールに意識の全てを集中させる。
もっと奥へ、奥へと針を引き込む。そして、最奥に到達した針が動きを止める。そのあとは、結界が戻るのにしたがって、放たれるだけだ。
ただ、捻りを加えられた結界は、さながら銃砲の螺旋構造のよう。銀の針に旋回運動を与え、一気に加速させる。
----結界が元に戻ったと認識した瞬間、左肩に激痛が走る。
銀の針は、兪貴の正面にいたアシュマの心臓を貫き、自身の左肩に突き刺さっていた。
「…さっさと消えろ、羽虫が」
---私の勝ちだ。
こちらに手を伸ばした不恰好な大勢で、アシュマが動きを止めた。




