アマギと国王陛下
まさか、少し挑発しただけで殺されかけるとは……教会の腐り具合は相当なことになっているようだ。どちらにしろ都合の良い情報しか渡さない教会に居ては何もできなかったので、遅かれ早かれ教会を出るつもりだった。
カレンと蒼馬をどうするかが悩みどころではあったが、置いてきて正解だろう。教会側もこれ以上異世界の勇者を無下にはしないはずだし、私さえいなければ二人は教会に協力するだろう。それに、カレンはともかく蒼馬が居れば最悪の事態は免れる。
これで私は自由に動ける。
私が闇の精霊、シヴァがつくり出した影の空間から出てきたのは、異世界逗留4日目のことだ。
影の空間とはシヴァのオリジナルの空間のことであり、前世の私が倉庫替わりにしていた四次元ポケットのようなものなのだ。劣化どこでもドア的機能もついている。というのも、思い入れのある場所にしかワープできないのだ。
今、私は前勇者 キールの屋敷にきていた。
王都の中級階層の人々が多く住まう地区の一角にあるこじんまりとした屋敷だ。教会にも黙って使っていた屋敷なので、当時のまま残っている。中も自動清掃の魔術のおかげで清潔に保たれているようだ。
どさりとリビングのソファに腰かけ、私は影の空間の倉庫……影倉庫からキールの日記を取り出した。
[魔族が貴族の奴隷になっていた。私が王都に張り巡らせた結界を通ってきたことになる。その結界を通るには私か教皇の許可が必要だ。結界に穴はなかったから、必然的に教皇が魔族を引き入れた……ということになる。
では、何のために教皇がそんなことをしたのだろうか?
ひっそりと探ってみたところ、王都内には他にも魔族がいる様子。それも全員奴隷として、だ。魔族はほとんど人と変わらない姿なのだが……皆、容姿端麗で長寿、魔力も多く持っている。
前日、奴隷を持つ貴族が、この魔族たちは捕虜である、と公言しているのを聞いた。しかし、奴隷となっている魔族は一様に魔力の少ない者たちであり、とても戦場に出ていたとは思えない。魔族でも力のない者は魔大陸の奥地で守られている。詳しく調べてみると、この奴隷の魔族が王都にきたのは二十年前、魔族との戦争が始まった直後のことである。
私にはある疑惑が浮かんできた。
―――魔族が人間の大陸に侵攻してきたのは、奴隷にされた同族たちを取り戻すためではないのか
私はそれを確かめるためにも魔王城に行かなければならない。
もし、それが本当であったのなら……私は教会に牙を剥くことになるだろう。]
キールの日記の最後にはそう書かれていた。このあと、キールは魔王城に乗り込み魔王と対面する。そして、その疑惑が正しかったことが証明されるのだ。
キールは魔王と奴隷を返し、教会の主犯を引き渡すことなどの替わりに人間の大陸への侵攻を停止するよう交渉したが、決裂。やむなく魔王と戦い、勝利し……そして、仲間に殺されたのだ。
思い出すだけで腐った教会への憎しみが溢れ出してくる。言葉もなく拳を握りしめていると、どこからかふわりと甘い匂いが漂ってきた。ふと顔を上げれば、具現化したシヴァがローテーブルに紅茶とお菓子を置いたところだった。
「…これって屋敷にあったものなの?さすがに17年前のものは無理だと思うのだけれど」
「いいえ、影倉庫に定期的に買い足しているものですよ」
それなら安心だ。シヴァに礼を言って紅茶を飲み……いや、何故定期的に買い足す必要があるのだ?精霊に食事は不要。ということは……まさか、いつ転生してくるかもしれない私のために用意していたのか!?
驚愕をあらわにシヴァを仰ぎ見れば、にっこりと笑みを返された。………健気だな、私なんて日本ではシヴァのことをさっぱり忘れていたのに。罪悪感がハンパない………。
さてさて、一休みを入れたあとは まず、今の魔王の様子やこの国の様子を知ることから始めようと思う。
もし今の魔王が同族の奪還に力を入れていて、人間の大陸への侵攻に興味がないのならそれに越したことはない。魔王と共同戦線を張り、教会をぶっ潰すまでだ。
それに、魔族の奴隷たちが今どのくらいいるのかを確かめ、彼らの脱出経路も確保しなければならない。
………やることは山積みだ。
私は密かなるキールの協力者に会うため、影の空間に飛び込んだ。
影の空間からワープできる場所の中の一つに王城がある。キールは当時、7歳の王子であったジェラールと懇意にしていたので、彼の私室へ移動できるのだ。今や彼は国王であるので、私室は変わってしまっているだろうが……忍び込むには問題ないはずだ。
だが、忍び込んだところで私のことをどう話そうか。失踪した異世界の勇者が突然現れ、訳知り顔で教会の不正を暴きたい、と申し出るなど胡散臭すぎる。教会の手先だと誤解されるのも避けたい。
私は少し考えた結果、変装することにした。実家の関係で長めの前髪やだて眼鏡で顔を隠していたのがちょうどよかった。
私は影の空間で着替えることにした。キールが収集した服の中には王城のメイド服もあったはずだ。髪はシヴァに整えてもらおう。
変装しているうちに日は沈み、潜入には最適な時間帯となっていた―――
◇◇◇◇◇
だて眼鏡を取り、前髪を横にピンでとめたり編み込んだりして顔をさらすと黒髪眼鏡の地味子の印象は全くなくなる。おまけにメイド服を着ているのだから、カレンと蒼馬以外に私が異世界の勇者だと見破れる者はいないだろう。
案の定、何の問題もなく私は王城に潜入できた。
元王子の私室は他の誰かが使っているのか、生活感があったので、早々に退避する。自然な風を装い王城の回廊をしずしずと進んでいく……が、予想通り誰も私に気づかない。とりあえず、キールの記憶を探り使用人たちの区画へと入る。下級使用人や若手騎士の宿舎があるこの区画なら貴族や聖職者どもに会うことはない。下級使用人や若手騎士は下級貴族出身の者たちばかりで、異世界勇者の顔を知る者はいないのだ。
今のうちに国王の私室を聞き出しておこう。
そう思って私は一人の小柄なメイドに近づいた。
「あの、少しお尋ねしたいのですが…」
「は、はいっ何でしょう?」
少しそばかすの散った可愛らしい顔のメイドは物思いにふけっていたようだ。私は営業スマイルを浮かべた上での困り顔を作り上げる。
「ここにきて日が浅いので、迷ってしまって……申し訳ありませんが道を教えていただけませんか?」
「そうなんですか、どちらへご案内しましょうか?」
メイドはあっさり信じたようだ。
「国王陛下の御寝室から水差しを取ってくるよう申しつかったのですが……」
「陛下の寝室ですね。陛下は王子の頃の寝室を今も使っていらっしゃるのです」
それなら案内はいらないどころかその場で待っていればよかった。しかし、こちらですよ、と親切にメイドが案内してくれるのを断る訳にはいかない。私はもと来た場所へ戻っていった。
親切なメイドに礼を言って別れた後、私は国王の私室でくつろいでいた。
教会に実権を握られ傀儡と化した王でもやることは多いらしくなかなか現れない。国王以外のメイドや侍従が入ってくるたびに影の空間に身を隠していたが、いい加減暇だ。っていうか、何故王子の時と同じ部屋を使っているのだろうか?まさか、ジェラールまでもが死んだキールが影の空間を使うことを思って私室を移さなかった、とでもいうのだろうか?……シヴァ共々本当に健気だな。
真夜中近くになった頃、ようやくジェラールが現れた。
同時に私は素早く部屋に結界を張った。ジェラールはそれにすぐに気がついたようで、隅にいた私を警戒する。
「何のつもりだ?貴様は教会の魔術師か?」
ジェラールも私が異世界の勇者だとはわからないらしい。私はジェラールの足下に用意していたキールの日記を放り投げた。
「私はキールの姪、アマギよ。キールの意志を継ぐ者でもあるわ。その日記に書かれている真相を調べているの」
私はどかりと椅子に腰かけ、真正面からジェラールを見据えた。彼は幼い頃から利発で教会に疑問を持っていた。今もそうであることを私は信じている。
「私は知っているの。教会が魔族を奴隷にしていること、彼らを貴族に売りつけていること、それを利用して貴族を懐柔していること、そのため教会が政治を操っていること……」
教会の裏側を列挙していくとジェラールの態度が少し軟化したようだった。彼は日記を拾い上げ私の向かいに座った。
「私が今知りたいのは貴族たちについての情報よ」
「確かに私は魔族の奴隷を買った貴族の名を把握している。しかし、それを知ったところで多少魔術が使えるくらいの娘が教会に対抗できるとは思えないな」
「言ったはずよ。私はキールの後継者だってね―――シヴァ」
私の声に応えてシヴァが具現化する。ジェラールは目に見えて絶句した。ジェラールはキールと契約したシヴァと一度会っているのだ。これで彼には私が反教会派の人間だと信じてもらえただろう。シヴァがキールに並々ならぬ執着を持っていることは彼も知るところであり、精霊は人間の思惑に関わらず自ら契約する主を見定めるのだ。シヴァが私と契約している以上私はキール側の人間だと証明されるのだ。
「教会を完膚なきまでにぶっ潰し、第二、第三の教会を作らないためにも、完全に聖職者を関わらせない王政を復活させる。さらに魔王と相互大陸不可侵の取り決めを行い奴隷を返却し、教会の腐れ聖職者どもを引き渡す。……それが私の目的よ」
「……魔王との架け橋になるというのか」
ジェラールは信じられないといった面持ちで……でも、本当にできるのか吟味しているようだった。
「魔王の出方次第ではあるけどね」
彼はしばらく考えこみ、決断をくだす。
「わかった、君に協力しよう。私も水面下で反教会派の貴族たちを集めている。彼らにも君を援助するよう言っておく」
ジェラールは立ち上がって手を差し出す。私も立ち上がり、握手を交わした。
どうやら無事に国王側の協力が得られたようである。
私はジェラールから諸々の書類をもらうと、影の空間に戻る。完全に影へと呑み込まれる前に私は言い残しておく。
「異世界の勇者たちの動向も知らせてくれるかしら?」
ジェラール自身も魔術師であり、連絡は彼の契約した水の五大精霊、ミーアを通して定期的に行うことになっている。
ジェラールはあっさり頷いた。
「ああ、異世界の勇者たちは失踪者も含めて元の世界に返さなければならないな」
「頼んだわよ」
私は完全に影へと呑み込まれ、キールの屋敷にワープした。
急に眠気が襲ってきたと思えば、2日連続でろくに寝てない。私は迷わず寝室に直行し、ベッドにダイブした。
国王側の協力は取り付けた。あとは、魔王だ。