兪貴と蒼馬
憑依。
他人の体を乗っ取ること。
妖精の中でも憑依を使えるのは、ジンとキールだけである。また、憑依を発現させたジンは、他の妖精が憑依できるように補助する能力を持つ。キールが武力に秀で、クラウンが魅了に秀でるように、ジンは憑依において卓越している。
(ゆ、ユキさん、やりましたね…!)
それ故、憑依した相手の自我を潰さないでいることも可能だ。今も私の中でジンは若干引いた声で話しかけてくる。
(でも、めちゃくちゃユキさんが怖かったです…)
クラウンに魅了されていないジンは、驚くほど善良な妖精だった。だから私は、ジンを憑依させ、他の妖精の憑依を無効化したのだ。
ジンは目に見える力のない妖精だ。その異常な再生力から周囲の人間に虐げられた過去を持つためか、彼女は妖精特有の驕ったところがない。至極真っ当な価値観の持ち主だ。
だからこそ、彼女は魅了されていたとはいえ、今までの自分の悪行に罪悪感を抱き、妖精の危険性を理解した上で、私に協力している。
「天城 兪貴、そこにジンがいるのか」
キールの魅了から完全に解放されたシヴァが尋ねてきた。
私は体の支配権をジンに委ねてやる。
「はい、シヴァさま。私はユキさんに協力させてもらっていて…。私は私を含め妖精はこの世界にいてはいけない存在だと思うのです」
私の体を使い、嗄れた声でジンは言葉を紡ぐ。この声は、クラウンに魅了されている時、精霊王により喉を焼かれた後遺症だ。妖精の再生力をもってしても、完治することはなかった。
ティタニアと対峙するとなれば、確実に精霊王を敵にまわさねばならない。精霊避けの術式とて万能じゃないため、ティタニアにその術式を書き換えられてしまえばそれで終わりだ。
ジンがシヴァと話している最中、私は次の妖精殺しの案を練る。
キールが行方不明になったくらいで、ティタニアが出てくるだろうか。ティタニアにはやはり精霊がらみの方が効くか…。
ああ、面倒だな。まずは、兄と連絡をとるべきだろう。
キリのいいところで会話を引き上げさせて、私は階段の方へと向かう。すると、大扉の近くに人がいることに気づいた。
蒼馬だ。緒方 蒼馬、私と共にこの異世界にやってきた普通の人間だ。サラと同調しているためか、本来は焦げ茶であるはずの瞳が、翡翠の色をしている。
全く災難なことだ。彼はクラウンの器となるべくこの異世界に来たが、クラウン亡き今、その必要はなくなった。さっさと返してやった方がいいかもしれないが、返すとしたら兄も一緒にということになるだろう。あの召喚の術式は、多大な魔力を消費するのだから。
実は、今の私は魔力はそれほど多くはない。
私もジンも人並みの魔力しか持っていないのだ。私がキールから解放された唯一のデメリットがそれである。
(…ユキさんは、元の世界に帰らないのですか?)
私の思考を読んだジンが尋ねてきた。
(帰れたら、帰りますよ)
おそらくすべての妖精を殺した私は、人間ではなくなっているだろう。冷酷な悪魔としてこの異世界に名を残すやもしれない。
これ以上ジンに何かきかれる前に、私はこつこつと足音を響かせ、歩き出す。
蒼馬が足音に振り返って、絶句した。口をあんぐりと開けて、絵に描いたような間抜け面である。
「緒方 蒼馬さんですね?お久しぶりです」
私は兄のふりをして、声をかけた。
「…み、やび、さん……?」
問いかけににっこりと微笑んで、肯定の意を示す。
賢者ミーヤ=天城 雅。
蒼馬の頭の中にではこんな等式ができていることだろう。
「何故、こんなところに…雅さんが?」
「それは勿論、妹を連れ戻しに来たのです。ついでに妹を誑かした妖精にお灸を据えておこうかと」
お灸なんて生易しいぐらいに血みどろな殺し方だったが、まあいいだろう。見られていないし…。
「…!そうだ!キールは!?」
妖精の言葉に、蒼馬は反応を示した。
「殺しましたよ」
さて、彼はどんな答えを返すのだろう。いくら迷惑な存在でもそれはあんまりだと、正義面する?それとも、ふさわしい罰だったと私を正当化するのだろうか。これで彼の妖精に対する理解度がわかるな。
「そうか…」
ん?どちらでもないようだ。蒼馬は顔を伏せて言ったので、表情を読み取ることができなかった。
「雅さん、ゆきは今、アシュマっていう一番ヤバい妖精といるらしいんだ」
「ええ、アガレスから聞いています。私の予想通りなら彼女はもうすぐこの国で戦を起こします。あなたもご存知のことでしょうが、勇者キールを擁する王家と国内最大の信徒を抱える教会が対立しています」
ここまで言えば、わかるはずだ。この国に何が起こるのか-----
「内戦を起こすってことか!?なんでそんなこと…!ゆきは妖精を殺すことが目的じゃないのか!」
戦争なんて日本に住む蒼馬には、馴染みがないだろうに、彼は憤っている。
「さぁ?ともかく私は私のやるべきことをするまでです。あなたもどちらにつくのかくらいは、決めておいた方がいいですよ」
これから先、蒼馬は異世界勇者として王家に加わるのか、はたまた教会につくのか、きっと決めさせられる時が来るだろう。
勇者という称号は、蒼馬が思っているよりも価値があるもので、人々の信心を左右するものなのだから----
そうして私は、虚をつかれたように押し黙る蒼馬を放って、地下都市を出た。
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【救済軍】は、着々と規模を拡大している。とはいえ、実際に武装した信徒は多くない。ただ王家が教会を不当に断罪していると、信じる者たちが増えただけだ。
キールを殺してから3日、ようやく兄と連絡を取ることができた。兄の方もうまくやっているようで、救済軍にとある軍隊が加わることになりそうだ。これで駒は出揃ったといってもいいだろう。
「エルネストさん、ここからが腕の見せどころですよ」
「唐突に何事ですか?」
これから私は兄と入れ替わる。
救済軍は、”隣国に行った天城 兪貴の指示によりエルネストが作り上げた”という体でアシュマに認識させなければならないのだ。
つまり、アシュマから現状を見ると、ミーヤにとてもよく似た天城 兪貴と行動を共にして、隣国の協力者作りをしている。その協力者を得たあと、ミーヤ似の天城 兪貴はミラコスタ王国に戻って、救済軍という勢力を作り上げたエルネストと合流する…という流れにしたいのだ。
これからの計画上、決して天城 兪貴が二人いるとは悟られてはいけない。
「あなたは、天城 兪貴の指示のもと、一人で救済軍を作り上げたという演技をしてください」
「…どういうことです?」
「私は姿を消します。今後の指示は、賢者ミーヤに仰いでください」
私はエルネストに大まかな計画を話す。それだけ言えば、エルネストは理解したようだった。
「ああ、分かりました。でも、あなたはどうするのです?」
簡単だ。死人に成り代わることができるのは、今しかない。
「----キールになります」
白い髪に紅い瞳、人形のように整った愛らしい顔立ちに変化して、私は答えた。




