仕組まれた魔王
◇◇◇◇◇
エルネストは血の染み込んだ服に辟易しながらも、血痕を辿っていた。
彼は結界の核がある本堂が騒がしかったために様子を見に来たのだが、思わぬこととなった。
まさか殺し損ねた異世界の者が教会に侵入するとは思わなかったのだ。
異世界から召喚した者たちの中で最も魔力が弱く、最も疑り深いシノノメが、エルネストは苦手だった。何しろキールと驚く程声が似ていたのだ。顔立ちも似通ったところがあるだけに余計そう思えた。
キールであれば絶対に出さないような、冷たく突き刺さるような声を聞くといつも背筋に悪寒が走って、殺したはずのキールが恨みごとを言ったらこのようになるのかと身震いしてしまう。
―――逃すなよ、エルネスト。あの者はこちらの事情を知っているようだ。
エルネストと契約している土の五大精霊 ゼノがしわがれた声を届けてくる。
「わかっていますよ」
血痕はとある部屋の前にまで続いていた。一見何の変哲もない物置部屋だが、エルネストにとっては違う。
(……まさか!)
嫌な予感につき動かされ、慌てて彼はその部屋に飛び込んだ。
そして奥の壁に突き当たり、愕然とする。隠し扉が破られていたのだ。
よりにもよって何故この部屋にたどり着くのだと、エルネストは忌々しく思いながら、隠し扉の奥へと足を踏み入れる。
そこは、エルネストとゼノしか知らない結晶化したキールの死体を保存していた場所だ。
(マズイ物を見られてしまったが、シノノメは追い詰めたも同然。さっさと殺して差し上げよう)
そう思って彼が奥の部屋を見回す。
そして、エルネストは我が目を疑った。隣に顕現したゼノも、絶句している。
――――そこには、キールがいた。
長く白い髪に紅い瞳、精緻な人形の如く整った顔は誰もが振り向くほど美しい。
「キール…何故あなたがここに………?」
しかし、キールは冷たい声でいい放った。
「何故?貴方がここに持ってきたのでしょう?」
その口調はシノノメのものだった。エルネストは困惑する。
「どういう意味でしょう?あなたは誰なのです?」
「キールは死んだ。貴方に殺されて……そして、私が生まれた。キールの記憶を持つ私は再びこの世界に勇者として召喚された。私はシノノメと名乗り復讐のために動いている。それだけのことよ」
淡々と目の前の彼女は言った。
「……キールの記憶を持っている?そんな馬鹿なことあるわけない!」
エルネストは焦燥にかられて叫ぶ。彼女が言っていることが正しければ、教会は自ら災いを招いてしまったのだ。それに、教会の暗殺を逃れたあと、彼女は水面下で教会を潰す準備をしていたことになる。
「貴方に否定されようがどうでもいいのよ。貴方にはここで消えてもらうわ―――」
彼女はぶわりと大量の魔力を放出する。その威圧的で禍々しい魔力にエルネストは立ち竦んでしまった。そして、彼女は片腕を薙いだ。
魔力の衝撃波がエルネストを襲う。四肢が砕け散りそうなまでの圧迫感にエルネストは意識を暗転させた。
ただ、意識が完全に暗転する前にエルネストは何かが自分の体を覆ったように思った―――
エルネストは争う声に目を覚ました。骨が折れたようで激痛に苛まれつつ身を起こすと、奇妙なことが起こっていた。
「くそっ!邪魔するなと言っている!」
しわがれた声をあげ―――
「もうやめなさい。こんなことしたって……」
別人のような透き通る美声をあげる。
「うるさいうるさい!!おまえの意識は完全に乗っ取った筈だ!」
呆けるエルネストの前ではまるで一人芝居をしているみたいにゼノが表情と声をくるくると豹変させていた。
しかも、ゼノの体は透けていて末端から徐々に消えていっている。
「――おまえの体などもういらん!」
一際大きくしわがれた声が叫んだかと思うと、ゼノはエルネストを見据えた。
エルネストは鬼気迫るゼノに身が竦み、動くことができない。
ゼノの肉体が四散すると同時にエルネストに衝撃が走り、彼の意識は暗い底に沈んでいったのだった。
◇◇◇◇◇
「―――我が君」
部屋を吹き飛ばした天城 ゆきは同時に死んだであろうエルネストの方をなんの感情も浮かばない瞳で見ていた。
「我が君、いかがなさいますか?」
シヴァはキールの肉体の結晶化を解き、無理矢理その肉体を合成させた主を気遣っていた。
今の彼女は髪や瞳の色はキールのものであるが、その他の姿形は変わっていない。損傷した両腕と左目をキールの肉体を取り込み、補ったのだ。そのため無茶な肉体合成に彼女の体は悲鳴を上げている。すぐに調整が必要なのだ。
「まだ戻らないわ」
彼女は壊れた壁から外に出て、立方体の小さな結界を足場に礼拝堂の上空へと移動する。
「そのような御体で何をなさるのです」
シヴァがたしなめるが、彼女は聞く耳をもたない。彼女が術式を構成し始め、急にあたりが暗くなる。
急激に雨雲が集まり始めた下で、礼拝堂全体を覆う魔方陣が現れる。
「―――ぶち壊せ!」
彼女の叫び声に合わせ、稲光と共に轟音が響き渡る。雷が落ちた。
直撃した礼拝堂は炎上し、崩壊していく。それを見おろしながら、大規模な術式を使った彼女は気を失った。
崩れ落ちる彼女を支え、シヴァは影で包み込んだのだった。
◇◇◇◇◇
シヴァは主である天城 ゆきを抱いてキールの屋敷に戻ってきた。
「――アマギさん!」
すぐさまレトが飛んでくる。その声にシェイドとシェリルも顔をあげた。
レトは髪の色が変わり、血に染まった服を着たまま意識を失っているゆきに足を止める。
「医~~~者~~~~!!」
レトの大絶叫に反応したのはシェリルだった。
「ハイ!医療部隊所属のシェリルがここにおります!」
シヴァがソファにゆきを寝かせると、シェリルは診察し始める。
「外傷はありません。すぐに魔王と連絡を取れますでしょうか?」
そんなシェリルをよそにシヴァはシェイドに尋ねた。その時だった。
「―――失礼します」
不意に声がかけられたと同時に部屋の中央に精霊が現れた。
手乗りサイズで獣のような耳としっぽ生やし、燕尾服を着こなした少女の闇の精霊がそこにいた。
「我が主たるおチビ様が長様のゲートの使用許可を求めております」
彼女は長である闇の五大精霊 シヴァに言った。シヴァはすぐさま許可する。
すると、闇の精霊の足元にぽっかりと黒い穴が開き、そこから人が一人出てきた。
「魔王様……!?」
シェイドが驚きに声をあげる。
それは冴え冴えとした美貌の青年だった。白に近い白金の髪は長く、その瞳は紅。上位の魔族によくみられるように瞳孔は針の如く細長い。
「ええ!?ま、魔王様?」
闇の精霊を使い、現れた魔王にシェイドとシェリルは困惑していた。魔族は精霊を従わせることができないのだ。
「ハイネ、おチビと呼ぶな」
魔王は自分の肩に立つ闇の精霊 ハイネに向かって不機嫌な声を発する。
「申し訳ありません。おチビ様」
殊勝な態度で頭を下げるハイネに魔王はため息をつくと、ゆきの傍らで膝をつく。シェリルはすばやくその場を開けて、魔王を見守った。
「イイザマだな、キール」
魔王はそう吐き捨てるなり、ゆきに手をかざす。すると、そこから術式が展開され、発動する。
ビクンッ!と大きくゆきの体が跳ねたあと、彼女は咳き込んだ。
「…ゲホッ、ゲホッ…何が……?」
息を荒げたゆきが魔王を見て、目を瞬かせる。そして、彼の肩に立つハイネに目を止めた。
「……ハイネ?」
見覚えのある闇の精霊にゆきが首をかしげる。
「ご無沙汰してます。キール様」
ハイネは優雅に一礼してみせた。
「……あら?ハイネの契約者はおチビじゃなかったかしら?」
ゆきはキールの記憶を探って、魔王を見比べた。前世の記憶によればハイネの契約者は白金の髪に紅の瞳をもつ12、3歳の少年であったのだ。そして、その少年は変化が得意だった。
「……………………おチビ?」
ゆきは魔王に尋ねた。
「やっと気づいたか。相変わらずだな、鈍感女。あと、おチビと呼ぶな」
「―――どういうこと?」
ゆきは不機嫌な声で言った。
目の前の魔王はキールの知り合いで名をアガレスと言う。
キールの故郷に住んでいるはずのアガレスが何故ここにいるのか、ゆきは詰め寄った。
「ティタニアの命令だ」
対してアガレスは短く答える。ゆきはそれで大方悟った。
キールの故郷の長であるティタニアはゆきがキールの記憶を持つ生まれ変わりであることなどすべて見透かされていたのだ。
人間と魔族の間に生まれた子は妖精と呼ばれる。一番始めの妖精にして、妖精女王の名を冠する者がこの世界の中心たる聖域に住んでいるのだ。そのティタニアに見通せぬことなどありはしない。
人間のふりをして勇者となったキールは妖精であった。他にも目の前にいるアガレス、以前会った商人のアシュマの二人も妖精である。
「…一体どこからティタニアは知っているのかしら?」
いくら全てを見透すティタニアといえど、キールが転生していることまでは把握していないはずだと、ゆきは思ってティタニアに連絡するのを控えていた。
「すべて知った上でおまえにこの件の始末をつけさせる。そう言っていた。俺たちには援助しろと」
「俺たちと言うってことはアシュマもか……」
ゆきはもう一人の同郷で商人の男を思い浮かべ、苦虫を噛み潰したような顔になる。
ゆきは思った。ゆきが再びこの世界に召喚されることも、教会相手に復讐を始めることも全てティタニアに仕組まれていたのかもしれないと―――
「…あの~、置いてきぼりなんですが~」
シェイドの後ろに隠れたシェリルが顔だけをひょっこり出して、おそるおそる口を開いた。シェリルの後ろにはレトがへばりついている。
シェリルとレトは突然現れた魔王の存在を恐れて戸惑っているようだった。
「魔王様、一体どういうことでしょう?魔族が精霊と契約できるとは聞いたことがありません」
若干警戒した様子のシェイドがはっきりと尋ねる。
「俺は妖精と呼ばれる魔族と人間の間に生まれた子だ。―――それより、宰相から書簡は受け取ったか?」
さらりと答えて、魔王 アガレスは話を変えた。
「受けとりましたが……」
聞いたこともない妖精という存在に困惑しつつもシェイドは魔王がたいしたことでもないように受け流すので、それ以上の追及は諦めた。
王都に来る前に宰相から渡された書簡には、規則に反し教会に潜入したことに対する処罰が書かれていたのだ。シェイドはその処罰を受け入れるつもりだった。魔王側近であることを示す紅のラインが入った上着を脱ぐと、シェイドは上体を起こしているゆきに捧げるよう差し出す。
「――側近シェイドを降格し、新たにキールを側近とする。受けとれ」
アガレスが横柄に言った。ゆきは不機嫌そうに眉をよせる。
「私は天城 ゆき。キールは死んだのよ。――おチビ、最初から言い直しなさい」
「もう17年経っている俺のどこがおチビだ。おまえこそ言い直せ、鈍感女!」
確かに今のアガレスは立派な青年の姿をしている。しかし、アガレスが変化を得意とすることを知っているゆきは見抜いていた。
「鈍感なのはキールよ。……それと、その姿は変化しているに過ぎないのでしょう?」
そう言いながらゆきはちゃっかりシェイドから上着を受け取り、術式でサイズを合わせる。言い当てられ言葉をつまらせたアガレスに代わり、ハイネが口を開いた。
「はい、その通りでございます。おチビ様には第二成長期なるものが存在せず、いつまで経ってもちんちくりんのまま。結果、威厳のないおチビ様は容姿を偽装し始めました次第でございます」
「ハイネ!!」
大暴露したハイネを咎めるようにアガレスが叫んだが、逆にハイネの言葉が事実だったのだと証明してしまう。しかもハイネは止まらない。
「キール様改めましてアマギ様は大変聡明でいらっしゃるご様子。我々闇の精霊の間では長様の挙措に大げさに一喜一憂なさっている鈍感なキール様を見られなくなったことを残念に思っておりますが、それと同時に、つれないアマギ様を長様がどう振り向かせるのか大変興味深く賭けの対象になっております。ちなみにわたくしはアマギ様が振り向かない方に賭けておりますのでどうぞよろしくお願いします」
これには、いつも余裕の笑みを讃えているシヴァの表情がひきつった。ゆきがそれを珍しそうに見ているのに気づくと、シヴァはゆきの後ろにまわり耳をふさぐ。
「――ハイネ、賭けをしている者共を後で私の前に並べなさい。あなた共々しっかり首を洗ってから待つように伝えてくださいね?」
シヴァは笑みを消して爛々と残酷なまでに目をぎらつかせた。ゆきにはシヴァの表情も声も聞こえなかったが、必死に影へ逃げ込んだハイネや顔を蒼白にしたアガレスたちは見えていた。
ゆきは後でシヴァが何をしたのか聞いたが、誰も答えてはくれなかった。




